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邪馬台国の滅亡

狗奴国=大和朝廷は陸路侵攻してきます


これは東北などでも相手を滅ぼしてしまうのですから、何か倭人とは異質の文化を感じます。


滅ぼすのですね、彼らは。



仲哀天皇がいたのは香椎の宮。


ここは最前線基地ですね。


宗像を落として、制海権の半分をとる


そして志賀島への進発基地である香椎をとって、完全に邪馬台国の対馬海峡制海権を奪った。



海からの支援がなくなるわけです。完全に陸だけになる。


宇佐に上陸すればそこから川に沿って日田に抜けることができる。


日田をとると筑紫平野の背後から軍団が突撃できる。


直方平野に向かって宗像を出発すれば大宰府の裏手のあたりに行くことができる。


そして筑紫平野に福岡平野から向かえば大宰府あたりのくびれが決戦上です。


そこに直方からきた軍団が山を背後から駆け下りてきたらひとたまりもありません。


宗像と直方平野、日田などは筑紫平野防衛のためには抑えるべきところ。


日田防衛のために宇佐も抑えるべきところ。


完全に囲まれた邪馬台国は最後の抵抗をした。


中仲哀天皇が戦死するほどの激しい抵抗を見せた。


 


しかし最後はそのすべてを狗奴国に落とされて行った。


この直方平野のあたりに魏の軍団を展開させることができれば狗奴国を抑止できるというのが


そもそもの戦略です。


そして魏軍の脅威があるので長らく狗奴国の上陸作戦はなかった。


魏のあとは晋。しかし317年に晋が滅びて、五湖十六国時代になると帯方郡も本国を失い


無力化。新羅などへの新たな外交によって、


とにかく半島からの支援軍が来るという体制を持ち続けたのではないか。


その間は邪馬台国は存続した。



この構図が命綱だった、半島からの支援軍なしではやられてしまうのです。


だがその構図が滅びて最後の地上戦に負けた。


さらに狗奴国の軍は最後の邪馬台国、加羅の地に向かいます。



邪馬台国連合は当然半島の倭地も含みますから、そこに逃げた者もたくさんいたでしょう。


しかし伊都国は神功皇后側についていたといいます。


直方平野へはじつはもう戦わずして、伊都国の支援つきで上陸できたのかも。


そして伊都国は邪馬台国本土をともに攻撃し、ともに半島倭地を陥落させていったかも。


奴国が倭王だったとき、大乱が興り邪馬台国が新しい盟主になったのであり、


しかも連合の絆は卑弥呼擁立やトヨ擁立というゆるいものでした。


だから伊都国が狗奴国と結んでもおかしくはない。

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コメント

Unknown

Unknown
直方平野。邪馬台国建国の経過を考察の際、筑紫平野に奴国を比定し、遠賀川流域勢力に奴国が追いやられ大乱……、と考えてみた。が、しっくりしなかったのでそのまま保留中。  少佐の様にもっとダイナミックに広域に考え直してみます。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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