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大和朝廷こそ狗奴国である

結論を言えば


奴国から始まる倭王の称号を大和が引き継いだということ。


初代倭王は奴国の王ですよね。57年の金印から百七年のスイショウという人物


そして239年に卑弥呼が倭王に。


次はトヨが260年頃に晋によって倭王に。


やがて倭王というと



という人たちになっていきますし


隋では倭王の名を聞かれて


俀王 姓 「阿毎 字  多利思北孤


このアマは海士部か天


天孫族か海神族です。


奴国


邪馬台国


天孫族と


倭王は三つの系列があるように思います。


大和=狗奴国が邪馬台国=熊襲を滅ぼして、


つまり倭王を滅ぼして倭王という称号を継いだ。


そもそも邪馬台国も奴国王が持っていた倭王の称号を


勢力下に収めた時に奪って邪馬台国王が倭王になり


奴国は傘下に入っていたわけで


古代において倭王という称号は箔のつくもので


この称号は次代の支配者が持つということですね。


 


だから大和は倭王の称号だけ引き継いだのです。邪馬台国が奴国からそうしたように。


決して奴国が邪馬台国に進化したわけでないと同様に


邪馬台国が東遷して大和になったのではない。


 


*漢委奴国王の金印を埋めたのは奴国が邪馬台国の傘下に入り、邪馬台国が親魏倭王をもらった時に


 前の金印は埋めるように言われたのではないでしょうか。


親魏倭王があるのに漢委奴国王もあってはよくないですね。あたりまですが。




またあれだけ執拗に邪馬台国と戦争状態というのも古代史にそんな二つの勢力が?
いろんなことが曖昧になるもとは邪馬台国=大和で、


そして狗奴国は反乱勢力とするからでは?
考えたら大和王権こそ日本中に出向いて、侵略戦争した張本人ですからね。


ひどい連中ですよね(笑)いやいや笑い事ではないな。


東北のアルタイにしても、防衛戦争の末とらわれて殺された


大和は侵略者です。よね。




これは隼人族。反乱ではなくて独立運動ですね。史実は一つ、解釈=認識は人の数です。



熊襲征伐の神楽などあまりにも多すぎる。反乱のわけがない。


防衛戦争の記録です。



大和は侵略者。各地の国には鬱陶し存在です。


日本を戦乱に巻き込む狗奴国こそ


大和の正体です。


そう考えたらどうなるのだろうというのは、ぼくにはとても面白いテーマです。
関東方面にも勢力をもつ本州国家は特に大陸の権威付けは不要なのではとか思います。



上図。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文「獲加多支鹵大王(ワカタケルノオオキミ)」こそ、雄略天皇のことであるとされる。 


関東の王が近畿の雄略に臣下の礼を取っていた。




九州北部にのみ拠点をもち、あとは半島に根城をもっていたからこそ、


卑弥呼は魏の威光と軍団の抑止力を振りかざそうとしたし、


半島から魏軍、後には新羅や百済軍が支援に対馬海峡超えたら、


景行天皇のようなことがあっても、


博多湾地帯に大和がいけなくなりますからね。


仲哀天皇も攻めきれず戦死した。



 


この神功皇后の進路こそ邪馬台国滅亡の最後の戦いだったのではないか。もろに


筑紫平野重要拠点を撃破しています。


田ブラ津姫という巫女の王を殺した場所は彼女の本拠地の山門=やまとですからね。


何気に似たような地名はいくらでもあると学者はスルーするけど


地名でもって糸島=伊都国


 松浦=末盧国としているではありませんか。


そして


神功皇后は背後に控える勢力も抑えるために、半島に攻めていった。


倭人世界の=邪馬台国の


半分は半島にありますし、


そこには新羅や百済など時によって支援勢力ですから。




神功皇后の戦いは最後は一番小さい円の中、邪馬台国の本土への侵攻。


仲哀天皇はこの筑紫平野そのものの侵攻に際しての猛烈な抵抗の末戦死した。


神功皇后はこの一番奥の円を最終背圧するために半島のバックアップを取り除くため


半島に行った。


そうすると行動のすべてがすっきりしますね。




空白の四世紀に


日本からしきりに新羅や百済や高句麗に軍を出したのは


あるいは邪馬台国残存勢力の


掃討作戦ではなかったでしょうか?


そうすると執拗に半島に出撃する理由が理解できます。




そんな駆け引きの歴史だったのでは?


逆に邪馬台国側からみたら・・・・・


下は邪馬台国時代に想定されるぶつかり合いです。



この魏軍の進路こそ、倭人伝の使節の通った道。


このように進軍してほしくて魏との交渉を行った。



これは支援軍が来るときの軍団のルートの下見をしてきたのですね。


ということは伊都国までのルートが正しければ、大和軍と戦えるということで


使節の目的は伊都国までで十分達せられるしそれこそが目的です。


伊都国は近畿から侵攻する大和軍と戦うための立地のはず。


今の門司から糸島あたりの北方の直線の海岸線にあったと。


すると、本州から来る大和軍をここで迎え撃ち、筑紫から宇佐までを守備する。




つまりこの経路は軍事レポートです。それを後世に陳寿が編集した。


 


さて敗北した邪馬台国からみれば・・・・・


邪馬台国側から見たら本土がなくなっても残存勢力は半島に逃げた。


そして制海権の奪取さえできればふたたび本土を奪回できる・・・・


そんな作戦行動をとっていたのでは?


そのために大和は半島に出撃していた。


あるいはこんなことが神話に反映されていたのではないか?


でも狗奴国は邪馬台国の南ではないのか?


いや今更そんな質問はなしです。


すべての方角問題はこれでどうでもよくなっている。



末盧国から東南五百里で伊都国なのに東北にあるのですから。


そして多くの学者がこれを支持していて、伊都国と末盧国はほぼ間違いなくここだと


なっているのですから。


今更狗奴国は邪馬台国の南側では?といっても。


逆に東北方向が東南なら、大和方面は南ですから。




これはでも周王朝の宮殿の庭から北極を向いて棒をたてて、その影で方角と距離を測定する方法において


距離がずれたから、倭地の北極ではなく倭地から周王朝の北極方向をむいてそちらが北としたから方角がずれたという話があります


        こんな風になります。



これを蓋天説による測定法というらしく



北極から周にさす光でできる影の長さと、


北極から別の場所にさす光でできた影の長さの


差が一寸の時、周からそこまでは千里。一寸千里の測定法。


このずれを利用したら倭の距離はめちゃくちゃになったので


とちゅうから、倭からの北極をみることをやめ


倭にいながら周の北極をみて距離を測ったために倭の中の方角はほぼ90度ずれたというのです。




???ぼくはやっと理屈がわかりました。正しいかどうかは別にして。




さて


要するに


この大和侵攻軍と対峙する軍団を


半島から派遣してもらうための外交努力こそが


卑弥呼外交のすべて。


権威づけのためとか


文明国と接するとか


そんなことではなくて


狗奴国との戦いへの支援を


必死に求めた。


自力では大和の執拗な攻撃に国が滅びるのが


わかっていたということです。


対狗奴国戦への支援を求めたと


ちゃんと文書が残ってるではありませんか。


印鑑もらったらOKのわけないではないですか。


 

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コメント

作者より

天地無我さんへ
奈良と奴国を比定する考え方であると思いました。
狗奴国もまた奈良を表せる国名ではないでしょうか。
奈の力来る天狗のような奴ら。ということで狗奴の国かも。

天地無我

受け止めるも
言われてみればそうです。自分のストーリの積み上げに一生懸命で、考え方が硬直している様です。ストーリが崩れることを無意識?の内に恐れ、頑なになっていたと思います。気づきのきっかけ、有難うございます。    "狗奴国→奈国"否定は出来ないと思いますが、自身のストーリの前提(仮定)からやはり、"奴国→奈国"と考えたいです。     前提(かなりは記紀の自分流解釈です)。  邪馬台国が東遷し大和。  邪馬台国は奴国を土台として成立。 狗奴国と邪馬台国とは隣接し険悪。 投馬国は邪馬台国・奴国と友好関係にあり、奴国と共に卑弥呼・邪馬台国をたて大乱収束の白馬の騎士、更に東遷に際しては良好な関係にあった瀬戸内海勢力(邪馬台国とは特別な関係を持たない多くの部族勢力)との融和を図った(主として、宮崎平野と瀬戸内の遺跡の関連性と記紀に瀬戸内が出てこないことからのストーリです。)。 … 狗奴国を鹿児島に、投馬国を宮崎平野、邪馬台国を熊本平野中心に比定。   東遷には奴国全盛時代~移住していた奴国民中心の奈国からの引きの力もあった。   甘木辺りは平野が、一度戦乱状況に至れば必ずまともに影響を受けまた、開けていただけに人口増加に伴う食糧問題などから転出(押しの力)があった。  奴国と邪馬台国建国?が奈良でも。  みたいな。  妄想では有りますが、大きな矛盾もない様にに感じてはいます。("なぜ5回"をされたら一溜りもなく吹っ飛んでしまいますが。)    ここで狗奴国→奈国とするとストーリが基から全壊してしまいます。"0"からの再出発になってしまいますので、少佐の疑問を受け止めつつ、まだこのまま進みます。  それにしても、少佐のエネルギッシュ・ダイナミック・斬新な切り口には驚きの連続です。       追記、瀬戸内海/四国は全く考えていませんでした。今ここで、"四国ライン"を考慮した場合、力を誇示することもない穏やかで豊かな人が住んでいた様なイメージです。

作者

Unknown
ありがとうございます。
思い付きを気ままに書いてるのが楽しいんですよね。
根本においては
ぼくは筑紫平野に邪馬台国があって、大和朝廷と邪馬台国の関係は今のところ不明という立場です。
邪馬台国=大和もあるし、大和という名だから、出雲、邪馬台国に丹波、関東、四国などがよしっと大連合をしたのかとも思っています。
倭王の称号を長く名乗ったのがヤマト王だから倭のくにをヤマトというようになったとか。
ほんとに古代史は謎だらけだから興味がつきません

天地無我

謎だらけ。フリーハンド?]
そうですね。私は完全に自己満足のストーリを描こうと楽しんでいます(新たに知見を得、それを深堀する努力もしない怠慢のなかで)。妄想であっても"事実"やストーリとして、矛盾がなければ(これも自己判断ですが)よしとするものです。本当に気ままを楽しんでいます。      少佐の現在地。博多湾・伊都国・日田が核心=確信。その他は大胆により広く、より多くの可能性ストーリを描き、果敢に展開を楽しんでいる現地点かと。これがいつか、大河ドラマの様に終結に至るストーリを見たく、期待しています。         大平野の背後地に山ひとつ隔て。遠賀川流域一帯~小倉地域~行橋辺り。かなり重要役割をなし、いろいろな可能性が考えられのですが。稲作の流れと直方の地名、旧国名から奴国と割り切ってよいのか? 、"遠隔の国"か? 地政学的に考察しても ストーリに参加できずにいます。    ??????。  長崎・島原・天草とこの海域もですが。それと五島・佐世保と海域この 。         倭国大連合→大倭国→大和。ここは制約条件が殆どなく自由発想ですね。  邪馬台国を絡めるか否が論点にし得る程度かと。

さわっち

同じ説のかたにやっと出会えました。
大和を中心に呉系譜の鏡(画文帯神獣鏡→三角縁神獣鏡)が出ること、巻向に東海土器が多いこと、銅鐸文化の地域性があり、関東の弥生遺跡と近畿のつながり、
一方、北九州は内向花文鏡や方格規区鏡等の魏の系譜。これらから、
北九州から南朝鮮が邪馬台国、大和を狗奴国と比定しています。

さわっち

補足
勿論、戦いは狗奴国大和の勝利(というより邪馬台国の王家台与を養子にし、緩やかに統合)。九州、出雲、大和が大和を盟主として並立。邪馬台国の神(三種の神器)を受け入れ、邪馬台国の卑弥呼と狗奴国のニギハヤヒをともに天照として祭った。そして、呉系譜の三角縁神獣鏡と前方後円墳を広め、魏の後継の晋とは疎遠になり中国史から消えた。かと考えています。
東てい人は銅鐸文化の人々です。
疑問は籠神社の内向花文鏡。ニギハヤヒは巻向後に呉との連係に切り替えたか。元は天孫で親魏のはず。

作者

さわっちさん
大連合。二代綏靖天皇は
神倭 ぬなかわ の耳 の命
であって 要は
ぬなかわ=姫川 の耳の王というようなところがコアの部分になります。
すると
ぬなかわ姫の息子なのかと思えたり(タケミナカタ=諏訪の王)姫川の王(越の王、あるいは安曇野に遡るから安積族の王、そしてつまり志賀島の王)と思えたり、姫川ゆかりだと、大国主の子孫となり出雲の王、耳がつくから官名が耳の投馬国の王なのかといろいろ空想します。
でも綏靖天皇の和名からいくとこの二代目天皇は
じつは出雲と越と諏訪と投馬国の連合政権のような気がしてなりません。
するとオリジナルやまとというのはなくて、纒向は旧来勢力が人工的に作った一大交易拠点でその王が実は綏靖天王が初代なのかなどと思ったりします。実によくできた名前だと思っているのです。
すると狗奴国というのは?大和王権というのはこの纒向交易勢力の総称ということで、それはもろに大和ですね。大和をヤマトと読むことで、大和に邪馬台国を取り込むことができ、大和が完成したのです。纒向広域交易連合は、出雲の神集まりが隠岐の島の黒曜石門前町出雲に集まり一大物々交換をしていたと解釈しているのですが、その根拠地を黒曜石時代が終わったから纒向に移したことで始まる。つまり国譲りとは交易拠点のバトンタッチです。
最後に邪馬台国が加わり、完成した。
そんなふうに考えています。

作者

補足
もちろん大和の記載は後世で、その前に大倭があったのですが、人々の意識としての大和という意味です。さらに大倭というのは邪馬台国の商業管轄の官名なわけですから、纒向交易運営の長は大倭の王と名乗るかもしれません。
すると欠史八代の天皇の和名にはたくさん大倭となのる人たちがいて、交易責任者、大国主の後継者という意味が強かったような。
この交易連合に参加しない勢力に侵攻したのが朝廷の全国平定となった。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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