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四大河文明に匹敵する巨大すぎる縄文のスケール

縄文と弥生の土器分布です。



ところでこの境界線にそって、猿田彦神社があります。


すなわち、若狭湾から伊勢神宮の地までの、饒速日の進路です。


 このホアカリノミコト=饒速日の冠島に降臨後の進路は、平野にそっての必然の道程と思っていましたが、


実はもう一つの理由があったのだと思いました。


つまり、縄文地帯には行かなかった。その境目を進行した結果、


琵琶湖→関ケ原→尾張→伊勢


となったのですね。諏訪方面に行かなかったのです。


ローマ帝国とゲルマン人の境目。


古代シナと匈奴との境目。


そのような境目と同等の決定的な境目だったのだろう。


しかしこんな出来事も縄文1万年の歴史の前に色褪せます。


日本神話は新しすぎるのです。


ギリシャ神話も旧約の事象も新しく、


インドでさえ新しい。


日本の縄文に匹敵するものはシュメール文明の


ギルガメシュ叙事詩の出来事にまでさかのぼらないといけない。


 


この現代の前のわずかな気温の落ち込みが倭国大乱やゲルマン人の大移動などを誘発した。


この低温化で劇的に社会は影響を受けたわけです。



諏訪には旧石器時代の人々の活発な生活の痕跡が多く見出されている。


黒耀石原産地の直下にある諏訪湖周辺や八ヶ岳山麓は


この時代の遺跡がたくさんあって、


巧みな技術によって槍先形尖頭器など鋭利な石器がたくさんつくられた。
 黒耀石はこれらの遺跡に残した旧石器人の手から手へと、


県内はもちろん、関東から甲信越一円にもたらされたのである。


諏訪に通ずるストーン・ロードが幾筋も諏訪に通じていたことが想像される。


*安曇野の存在により、志賀島からも人々が来ていたということのになります。


隠岐の島の黒曜石はウラジオストックまで行くし、伊豆七島まで関東から


黒曜石のために渡海していた。



日本海は湖でしたね。日本列島北岸は、湖である日本湖の東岸に過ぎません。


そういう視点でみると、この三角形の交易はありですよね。


しかも4000年前は列島同様、大陸も暖かった。


 



こんな広がり方も


そうするとこうなります。



神津島。隠岐の島、諏訪、ウラジオストックなどの太平洋、日本海交易ルート。


旧石器時代、縄文時代の人々も意外なほど石器の材質へのこだわりが強く、 


いいものは困難を厭わずに手に入れていたらしい・


これはたぶん夏王朝より古い時代の出来事ですから。


 


これはもう原始時代的な縄文のイメージとだいぶ違う。いや原始時代的イメージのままの人々でも、これだけの距離を移動し、交易する。人間の欲望や好奇心は昔から同じですね。


 









 









北東アジアの細石刃技術など先端技術を駆使して


いた集団も、


日本列島産の高品質黒曜石を渇望したらしい。
 列島内に於ける黒曜石の流通をはるかに上回る


規模で、列島


産の黒曜石は北東アジアに拡散していたのである。






見えてくるのは壮大な縄文世界。




戸時代に米を軸に大阪を拠点に全


国交易が行われていたように、



黒曜石を軸に諏訪、越を中心に太平洋から列島全域、日本海沿岸を含んで交易圏があったのです。


きっと。


黒曜石渡す約束で、栗を先にもらったり、


イノシシの肉をもらったり、土器をもらったりあったかもしれない。


諏訪の人が静岡に旅に行く。そこで


「来年、諏訪に来た時に黒曜石あげるから、今その魚食べさせてくれ」



などという感じで。


黒曜石先物取引ですね。そこに行くと必ず存在する黒曜石の貨幣価値は不変です。だから長期に安定する。


黒曜石本位制の黒曜石貨幣経済。きっとあったと思う。


コメに比べて必ずとれるし持ち運ぶのも簡単。


 


 


縄文の重要拠点は


やがて弥生にも残存勢力となっていくのですね。




1。 諏訪が一大中心地。


しかし諏訪と大陸と西日本を結ぶ交易センターとして越が台頭する。




2。そして出雲の人々は越を手に入れる。


越を抑えれば東日本の交易ルートをそのまま、手にするからです。


最初は越が出雲を植民地的に抑えていたきらいもありますね。


その解決方法がやまたのおろち征伐です。


出雲は越と地位逆転した。


そしてくにびきで隠岐の島という黒曜石交易センターをとった。




3。しかし、やがて出雲も倭人世界の東進によって国をとられる。


その時は出雲をとれば、出雲がもっている東日本・日本海の交易ルートがすべて手に入るということだった。



だからこれは縄文の遺産を継承していく過程だったわけです。そうとも考えられる。


縄文人の活動領域。



これは普段の地図で気づかない地形としての日本列島の真の姿。


この島々が本来すべて列島本土です。4つの島以外はプラスアルファとしてみるから、


海が見えなくなる。


北、本州、南と3つの弓なりの島々の連なりに南洋の島々。


日本海はほんとにいい内海なのですが・・・・・


そしてこの海洋文化圏日本列島は海から見ると



私たちは極東の島国ではなく、太平洋の東北部の広大な一角を占める、


大陸のような領域が広がる海と山の文化圏なのですね。


中国文明の中原より広いですよ。


地理的に。国粋的な意味でなく、単純に地理的に。


 


今から10,000年前、


ナウマンゾウやオオツノジカが信州の山野から姿を消すころ、


信州の大地は針葉樹林から落葉広葉樹林の森に大きく変容、


自然と共生し森林の恵みを最大限に活用した縄文文化が芽生えた。


縄文時代の確立期は今から10,000年から8,000年前ころ、


縄文時代早期と考えられている


諏訪市霧が峰下の細久保遺跡、


岡谷市の勝弦峠付近の樋沢遺跡などの山間地に遺跡が展開する。


「縄文の都」とたとえられる八ヶ岳山麓を中心とした


諏訪の縄文文化の隆盛はここにその萌芽を見るのである。




諏訪は1万年の都。




最低でも黒曜石の時代から


タケミナカタノミコト亡命まで5000年栄えている。




黒耀石を求める物流は、以前にも増して活発な縄文人の交流が続いていた。


そしてこの時代は縄文土器や石製装身具の出土品から、交易といってよい東西文物の交流が活発であった。黒耀石と交換されて日本海側からヒスイ、太平洋側からコハクが諏訪地域にはたくさんもたらされた。


それらとともに北陸、関東・東海地方の縄文土器も持ち込まれていた。


土器の中に入っていたモノが何であったのか今は知るすべもないが、


海岸地方からは塩やそれに付随するモノ、塩漬けの海の幸だったかもしれない。





ちなみにその逃亡ルートは上図の通り。出雲から越へ。越から諏訪へ。これはよくある交易ルートの


本道だったでしょうね。聖地諏訪では殺人はできなかったのではないかとか思います。


空間的にも時間的にも壮大な縄文世界。


その拠点拠点が西から徐々に抑えられて行って、


やがて大和王権にまで連なっていってると思うのです。


諏訪と越の関係のようなものが、縄文から弥生への踏み台のような。


出雲は銅器を使うからもう弥生。


縄文世界でいえばもう神話でもなく、とても新しい別の文化です。





 まあとにかく壮大過ぎて、消化するのに時間がかかります。


日本の歴史って感動的ですね。


この縄文のあとの稲作文明の延長に今はあるようなものです。


まだたった2000年くらい。


あっちは1万年で、1000年、5000年続いた集落はどうやらざらですから。


そういうありかたが私たちの意識の根底に根深くあると思います。


 


 




 

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コメント

天地無我

民族性
四大文明とはかなり異質なイメージです。自然・他社会とも折り合いよく、しなやかに広がった文明の様な気がします。他の文化との遭遇に際しても支配・被支配でなく、比較的静かに融合したようなイメージを持ってます。   今の日本、特にほこりはせずとも、世界に浸透している精密部品・電子部品に通ずるような…。

作者

Unknown
四大河文明はそれぞれ異質ですが、時間のスケールとして、縄文は四大河文明規模。
アイスマンも文明もその規模。
いやいや人類は氷河期以後同時多発的に文明化したのですね。とうことは氷河域文明があったと。
そこまでいってしまいそうですね

天地無我

東遊記
四大河文明は河川に根差した文化。  縄文は広域で捉えたとき、河川文明の後の湾岸文明に類似した土壌で育った文化。当然、異質なものとなるのか。   それにしても、すごい持続性です。以前何かで、南太平洋の島で縄文土器としか考えられない土器、との記事?を見た記憶が有ります。
 

作者

Unknown
南米からも酷似した土器がたくさん見つかってるそうです。黒潮に乗って還流して太平洋を渡り。、、、作り方のソフトの伝搬は人一人行けば可能だから、どんなこともあり得ますよね。いずれにしても異民族の侵入がなく、砂漠や草原で食べ物がないと言う環境でない列島ならでは。いやいや、実は北米と南米の古代文明のあり方は縄文に似てますね。ユーラシア大陸だけが、殺伐としてる。アフリカもオーストラリアも縄文風か。ユーラシアが異質ですねを考えてみると。

天地無我

再構築を。 最後に素朴な疑問
南米の縄文酷似土器。土質分析をしていないのでしょうか。黒曜石は南米でも。南洋の島では貝が。ここでは黒曜石は解明キーになりそうもない。そうすると、土と骨の分析か。   八丈島まで進出していれば、南洋の島へ、北回りでアメリカ大陸へ。何の不思議も感じません。縄文文化は、その古さと広がりの規模を考えると、一端は日本の地を忘れ豪州などを含め世界の規模で研究・再構築が必要かも。     それに付けても、文明発祥地を誇る木星国の欠片も、影すら感じないのは?。

作者

Unknown
ほんと。木星帝国は影も形も。
ポリネシアの人々。木枠で海図を作って、ハワイ、南太平洋を航海してましたよね。彼らと、硫黄島あたりで遭遇していてとすると。
ローマ帝国の貨幣がインドネシアで発見されてますが、それはローマとペルシャの貿易に連鎖してペルシャとインド、インドとタイのあたり、そしてそこからインドネシアと行ったわけですが。
同じことが太平洋で行われていたとすると
文字のない時代だし、道具だけがおぼろげにそれを伝えている。
あの木の海図は最初何かわからなかったそうですね。海流の流れを精密に表現している。ありえないですね、南米、オーストラリア、ハワイでつくる三角形を自由に意志をもって動いていた。東北太平洋で同じことをすれば全域が一つ。一説には、この海洋移動による文明の一体感がムー大陸という概念を生んだとのこと。

天地無我

智慧
日本の文化拠点も三角形が浮き出て見えることが往々にある。三角は安定の形ですが、人文でも同じことがいえねのでしょうか?。  現代の科学に替わる"智慧"を持っていたと思います。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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