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倭は国のまほろば

日本列島はどの島をとっても、真ん中に山脈が走り、東西は分断されていて、だから本州の日本海側は世界有数の降雪地帯でもあります。


しかし本州で唯一、それほどの山々で区切られていないところがあります。


琵琶湖を中心とした地域です。


ほぼ平地の移動で、太平洋側、瀬戸内海側から日本海側へ抜けます。


古代は逆に若狭湾側から、尾張、大和へ両方いくことができたのでしょう。


いずれにしても3つの海に面して、物流の一大集積センターではなかっただろうか。


若狭湾からは越と出雲から。瀬戸内海からは九州と四国、山陽地方から。


伊勢湾からは駿河、関東から。


この3つの海に面することができその中央部に琵琶湖という水上道路があり、淡路島経由で四国島にも簡単にいける場所。


まさに大和地方は、国のあほろばです。


地政学的にここに物資も情報も集まる。日本海と瀬戸内海から、は九州や出雲経由で半島、大陸の情報もくるでしょう。


ここにいる人たちしか列島全域を一元管理していこうという風に思う必要がないと考えらるのでは。


織田信長の天下取りはまさにこのゾーンの制圧でしたね。


尾張はホーム、琵琶湖一体をカバーして、若狭湾から福井、金沢ととり越後へ向かう。大阪の本願寺と対峙する。中国の毛利へは山陰と山陽から。近畿から四国へ出撃。


この琵琶湖中心の3つの海を抑えることではじめて列島全域を抑えることができる。



 しかしもう一つ3つの海に面した地域があります。九州の北岸です。


対馬海峡で半島に向かいあい、出雲方面にすぐ行ける。


半島にも根拠地がありそこは半島の韓と交流し、対馬や壱岐はその間の島々。


有明海という内海があり、佐賀平野、熊本平野、八代平野が一体化して、その南、鹿児島あたりとも交易できる。鹿児島は南洋諸島と交易していたでしょう。南洋諸島は長江などと交流がある。


そして周防灘に向かって瀬戸内海と。瀬戸内海と向かい合うということは


四国、山陽、河内と向かい合うということ。


 


半島や大陸との文明と時下にかかわるということもあるし、この北部九州の3つの海のそれぞれの交易圏も相当に強力な


経済的、文化的、政治的パワーだと思います。


 


 


 



 だがやがて半島での根拠地を失っていき、九州島のみの活動になっていくと、どうなるか。


大和地方は陸として本州の東側に広大な交易圏や勢力圏をもつことができる。


しかし九州島のみではひろがりが薄い。半島の陸地があるからこそという部分は否めません。


出雲は周防をめぐっては大和の勢力と争うことになる。四国は淡路島経由で大和の方が有利に展開する。


九州島の勢力にとって半島の陸地は重要で半島南岸と九州の北岸を核に3つの海の交易があったのに、半分がなくなると、かなり落ち込む。


 


 瀬戸内海は湖のように閉ざされています。図ったように伊予半島は淡路島があって閉ざされています。


これは海というより天然の運河のようなものですね。遭難しても必ず陸地に流れ着くというかすぐ陸地です。完璧すぎるほどの水上交通路です。これを抑える勢力は強い。北部九州は対馬海峡と出雲へ通路、そして若狭湾方面へと日本海中心に勢力を展開し、彼らの内海の有明海を発展させて、そこからまた薩摩半島や南洋諸島をにらむから、瀬戸内海はどうしても手薄になるでしょう。


半島での勢力をうしなったとたんに近畿の勢力が九州をとることになる。


 


そういう政治的必然の流れが現実の展開だったのだと思うのです。


いずれにしても3つの海をとった二つの勢力ということですね。そうでなければ発展のしようがない島国です。


大和地方は誰かが意図的に作ったかのように、


列島全域を支配できるすばらしい地理的条件です。

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コメント

天地無我

二都物語
2つのまほろば。両地域とも共通して、まほろば充足の要件に出雲若狭地域、とりわけ吉備地域と良好な関係が必要と思われます。しかし、人の住むところ間の諍いは有ったでしょう。吉備も一大勢力圏ですが、二つのまほろばと同時敵対した場合は窮屈な状態に陥る地勢かと。吉備を巡りいろいろな歴史物語があったでしょうね。

作者

超大国
古代日本は大和と北部九州の二つの超大国。
九州の平野は朝鮮半島でも担保される。大和の陸地が東国で担保されたように、九州の勢力の陸地は半島で担保される。それは両岸が同じく倭地だということ。
吉備はどっちかにかけるしかない。ですよね。大国のハザマで。そして九州にかけて勝った。

天地無我

国家への序章へ
そうですね。河内にかけても呼吸困難に至る。気道は九州にしか繋がっていない。瀬戸内に障害のない九州勢は錦の御旗と共に、河内を飲み込み奈良の地へ。まほろば2都は一体化し、大和まほろば国へと…。東遷。こんな感じでしょうか?。

作者

Unknown
四国の陸路と瀬戸内海の海路を考えると九州と河内の人的交流は大変なものがあったのではないかと思えたりします。そうなるとこの瀬戸内海沿岸通路は水陸ともに世界有数の道ですね。暖かく、波もなく遭難もなく平野をさっ直ぐ歩ける。
そうすると、九州の先進文化の人々は河内の平野や奈良の盆地、などにまだそれほど先進地帯でない近畿にいって日本ドリームを追ったかも。
九州は完全に国ができていて勢力も均衡していて・・・・・いくとしたら近畿か、、、あるいはそうですね。日本海北上で越、そして東北、しかし寒い。
もう一つの日本ドリームは朝鮮半島ですね。間違いなく。任那のゾーンで土地を開発。そこの古墳はまさにそこに行ったことを示す。いや両岸が同じく倭ですけど。新羅や百済へ多くの倭人が夢を胸にいったかも。近畿に行ったのと同じのりで。

天地無我

幻の"奈国"(1) プレ大和へ
私の妄想は重要なことに突き当たっています。  まぼろしの国があったのです。 この国がなければ"大和"はなかったかもしれない。    当時建国された加羅・新羅・百済("ラ"="国")。ともうひとつ重要な国が有ったのです。    「奈良の地に相当以前から、朝倉甘木地域より出雲・若狭を経て、また多くの庶民は"四国ライン"を通り移住していた。」(過去コメント) この他にも、半島、長江からの移住者も夫々、地域社会を作っていたと推察。    少し視点を変えて。邪馬台国は奴国の土壌のもとに、できている国とのイメージをもっています。  さて、本題ですが、一端、コメントを切ります。

天地無我

投稿先を間違えました
すみません。続きの(2)は"地図に隠れて…"へ投稿してしまいました。  (投稿先 間違えました。)。                                                               

作者

Unknown
辰韓は秦の混乱から逃げた華人が中心で作ったと。また広島の隣か北九州あたりに秦国があって、裴世清が隋から来たとき、中国人の国があり驚いたという下りがあります。なぜかこういう部分はさらりと読み捨てられるけど、とてつもないことを書いてますよね。秦の亡命者が作った集落が列島にあったと言ってるんです。それが秦氏になったに決まってると思うのですが、いやそんなことはないとわけのわからない理屈で専門家は否定します。
とにかく朝鮮半島は大陸の吹き溜まりの役割を果たし、さらに列島がそれを吸収する。

でも帯方郡と楽浪郡の華人がみな倭に逃げ込んできたと思ってます。
一部は投馬国経由でツマ国の魚民に沖縄経由で東晋に連れて行ってもらった。

天地無我

安住の地 双方ニコニコ
法制度でなく、掟の社会。おおらかでラフと思います。「向こうの丘に住み付いたやつらのやり方。面白いぞ。お前も見てこい。」みたいな。自分たちに害を及ぼさなければ、歓迎したのでは。大きな流れでは、先住者(文化)を南北へ分段する程の人数が来たのですから。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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プロフィール

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Author:古荘英雄
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