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日本は海のクニであり、山のクニである

九州の内陸の行き来を考えると



いろんなラインが見えてきます。


朝倉→日田→宇佐


朝倉→日田→玖珠→別府


日田→阿蘇→高千穂→日向


八代→阿蘇→高千穂→日向


菊池→阿蘇→竹田→三重→臼杵そして伊予半島の先端へすぐ


複雑に山間部を縫っているように見えながら


上記のラインはほぼまっすぐなのです。


驚きました。


ということは九州北部は日田と阿蘇と高千穂のあたりを中心に北岸、西岸、東岸につながる大変交通の便のいい通路だった。


交通は発達していたように考えることができます。


するとどうなるか。


邪馬台国は九州北部の全部です。女王国はそうです。本土は筑紫平野と熊本平野の合体した平野。


これだけ陸路がつながれば一つの勢力に統合されるのではないかと思います。


福岡平野、直方平野、宇佐平野、筑紫平野、熊本平野が有機的に陸路でつながり、海路でもつながる。



見事に陸路は直線に並び、通常は3日くらいでしょう。筑紫から高千穂までも四、五日で日向海岸まで抜けても10日でおつりがくるでしょう。


内陸交通で有機的に結びついている九州島の国々。


しかも海でも



半島南岸の倭地と九州北岸をはさんだ対馬海峡。


そして有明海。


そしてよく見ると湖のように閉じている周防灘。


3つの海が邪馬台国の内海なのです。物流の巨大な集積センターですね。


半島の北のほうには帯方郡や楽浪郡がある。そこからの文化情報もある。出雲にも海で近い。


素晴らしい立地の邪馬台国、女王国です。



ところで臼杵から伊予半島まですぐだから、わりと四国とも交流があったのではないか。


また内海の周防灘を介して周防あたりとも頻繁にやり取りがあったでしょう。景行天皇は周防から大分へ上陸しているくらいだから


この航路は確立されていたわけですね。


そうすると近畿地方との関係はどうなっていくか。東征の話もあるので、もしそうならどういう経路でいくだろうか。


3つのルートが考えられます。


 



当然瀬戸内海ルートがあります。吉備平野に駐屯して近畿へ。


しかしですね。補給とか考えると、むしろ四国ラインも現実的ではないか。


**ちなみにこのルートを九州と四国と淡路島と近畿の平野を歩いたら陸行1月で、


このルートを全部船で移動したら水行10日ではないかという気がしてきました。いやはや地図という視覚化はいろんなことを考えさせます。


このルート実は安全なルートかもですね。


もっともぼくの基本の考えは九州説だけどでもそう考えるとそれもまた面白い。


臼杵から伊予半島に渡れば、あとはずっと四国北岸の平野を移動するだけです。そして、四国東岸には阿波があり、文明的にすすんでいる。


ここと以前からやりとりがあれば、ここから淡路島を経由して兵庫あたりにいけるし、また大阪湾南岸に上陸して奈良盆地方面にいける。


実にこの四国ルートこそ九州から近畿に行くときは有効だと思います。大船団が必要ない。臼杵は女王国内。阿波が強力すれば淡路島経由で近畿にすんなり入れる。瀬戸内海沿岸よりなるかに歩きやすいし臼杵から伊予は宇佐から周防より近い。


じつはこのルートは交易ルートとして相当使われていたような気がします。地図を見る限り。


 


さてもう一つは言わずと知れた日本海ルート。これは若狭湾に行くわけです。丹波王国説もありますが、若狭湾から琵琶湖に下れば、必然的にその勢力は河内平野と、尾張平野に行きます。そして琵琶湖方面から南下していくと伊勢あたりに向かうのはやはり必然のルート。


クニ譲りで出雲をとったあとは若狭湾、丹波に向かうのも必然。ホアカリノミコトの降臨地冠島はまさに若狭湾にある。饒速日です。


 


さて瀬戸内海ルートばかりが記録されているが、それはとどめの一撃の記録で。


じつは日本海ルートが饒速日。


そして四国ルートで多くの集団や人が、九州から近畿に向かったのではないかと、


地図を眺めながら思いました。


海人だけでなく縄文以来の伝統で列島にはやはり内陸などを歩いて移動する勢力も相当あったはず。山道はまさに一直線にあちこちいけるようになっている。


それは毛細血管のように川が流れているからです。川にそって山を上ったり下ったりすると道も迷わない。そこに獣道もできる。水も飲める。川沿いで狩猟採集もできるから食料もある。


 


海と山と、日本列島の島々はやはり豊かです。歴史考察も多面的になっていくわけです。

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コメント

天地無我

九州三国志
路線解析とこれに基づく、九州3分の圏(土地柄。平原=女王=魏 / 山=狗奴=蜀 / 水=投馬=呉)。理解しやすくスッキリです。    四国ルート。盲点でした。"庶民"小商人"のルートをイメージします。(瀬戸内海=高速有料道、四国=一般幹道。ミタイナ!)       私的には、①南九州~瀬戸内海を日本海に匹敵するラインと考えたい。 ②延岡辺りまでは投馬とし、高千穂・阿蘇を女王国との交流陸路と考えたい。 (私流記紀解釈から)

作者

裏街道のような
筑紫から日田、臼杵を通って伊予、四国、淡路、近畿へと。これが実は近畿と九州の間を結ぶ陸路だと、グーグルアースをみてはじめて想像しました。
山陽道より歩きやすいと思います。陸路簡単に近畿とつながる。
不思議な道です。
狗奴国は九州の勢力の間隙をぬった楊岳勢力のような。
しかしながら投馬国は女王国ではないような気がします。高千穂あたりは逆に投馬国の対筑紫対応窓口のような位置づけではないか。

天地無我

断層史疑
中央構造線並列道。瀬戸内海(案内料・海賊的なことも)より安全安価。 断層沿いに街道が、断層の交差点に盆地が、人の点と線に一役。  G・アースで何を観るかです(≠見る)。少佐だからこそです。   私の夢想古史観は"邪馬台国と投馬国は友好国"が根底に。最初は白紙でしたが、積み上げて、気が付いたら、土台になっていました。これを否定すると、全壊。コマッチャウな、ですノデ。  少佐の"伊都国"のような位置付けかも。

天地無我

裏の道、花の道
東遷(ストーリはチョット横に置いて)。奴国全盛期から朝倉地域から相当な人が奈良盆地へ移住。日本海ルートではキャパ不足。「どのように」が"?"でした。四国ルートだったのですネ。夢想の積み上げに、ひとつ答えが。39です。 

作者

Unknown
ぼくも地図を見ながら朝倉から河内平野まで、日田経由、大分の佐賀関経由で四国に行くというのに気づいてはっとしました。佐賀関から四国はすぐです。
そして伊予半島先端から阿波たたりまでほぼ平野をまっすぐ歩けるのですよね。中国地方を歩くよりよほど簡単で軽快でしょう。
一般人はここを古代から行き来していたのだろうと想像しますし、四国というものを見直しました。
あわという食べ物はまさに阿波が原産という話もあるし。四国勢力が河内平野に行くとき、それはバックに九州の勢力がついてるということかもとか。
ちなみに日本海から若狭湾経由というのも南北逆にした地図を見ていて思いつきました。思いついたことは結構神話になってるケースが多かったです。

天地無我

断層帯遊歩
五畿七道は律令制による支配の官道。それ以前から幹線としての民道があったでしょう。  四国ラインを中央構造線に沿って北上。紀ノ川~伊賀~東海(≠トンヘ。念のため。)~美濃~伊那谷~諏訪でフォサマグナに遭遇。左へヒスイの糸魚川をみて北上ルート。右へ関東。ここから東北へ、太平洋プレートによる付加体の高まりの谷間を通り青森まで。まさに、日本縦断道です。重要テーマに発展かも。3941トピックスで議論されたら、と考えます。      中々、一休になれない内に3941に参加もとの思いがどこかに。

作者

Unknown
なるほど、縦断ですね。縄文人はそんな風に移動か。海の人々が混ざるまで巧みに列島を縦断。その道は後世の山伏や、サンカにつながるような。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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Author:古荘英雄
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