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もう一つの水行10日陸行1月 邪馬台国とんでも説 

邪馬台国九州説の心理

ラーメンと邪馬台国は九州だ!!


九州に邪馬台国があるとしたら、不弥国からの水行10日陸行1月が解釈できません。

古代は道が悪かったとか、魏の使節は一日にちょっと移動しては休んで祝宴だったとか、それはちょっと古代人をバカにしてないか?

九州を縦断するのに、40日もかかることは絶対ありません。わたしは太宰府から博多湾まで歩いたことがありますが、5時間程度です。これで25キロ。

20日これをやると500キロです。九州の縦の長さは300キロほどです、。

縦断には400キロもあれば十分でしょう


そもそも日本列島に船で10日行ったあと、陸路を1ヵ月も歩く必然のある場所などあるでしょうか

細長いからどこに船が止まっても陸路は10日もかからない。

仮に薩摩や宮崎が邪馬台国なら、不弥国から全部船でいけばいいのです


そこで邪馬台国九州説の場合はどうなるかを考えてみました


水行陸行は復路のことだった



奴国  

唐津半島のどこかの末盧國のどこかの港で上陸して

その後糸島半島の根本あたりの伊都国に行き

そこから福岡平野の奴国に行き

その隣の不弥国に行く

というルートは

異論はあっても一番支持を集めているのではないかと思います。

まあ、その前提の話です。

さて

この場合単純に太宰府のくびれの向こうがわの

筑紫平野と佐賀平野こそが邪馬台国と投馬国だと言ってみる・・・・・


yama.jpg 

で、その場合は有明海沿岸地域が邪馬台国と投馬国であると考えることができます。


しかしここで水行と陸行の整合性が取れません。

不弥国の隣にあるわけないじゃないかとなりますから。

そこで

ここからは復路のことだたったとなります



邪馬台国は有明海国家連合である


帯方郡から北部九州に来て、

そこから邪馬台国に行って、

最後はまた帯方郡に帰るわけなので

倭人伝の記述は実は往路だけではなく

復路も書いていたのである

という勝手な解釈の話です

倭人は海人族です。

その代表格の邪馬台国も海人族でしょう。

魏の使節は玄界灘を越えて唐津から陸路を取りますが

有明海国家邪馬台国の都についたら帰りは

有明海から直接船で帰るのです。

当時は魏の船より倭の船の方が安全で快適だったに違いありません


なので地図から

こうなります

投馬国から水路をとってそのまま帯方郡に船で変えれば1ヵ月

邪馬台国から水路をとって弁韓まで10日

弁韓から帯方郡まで陸路を行けば1月


つまり「至投馬国」で文章はいったんきれて次の文章は帰路のこと

南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸

至邪馬台国女王之所都できれて次の文章は帰路のこと

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸


こうすると、邪馬台国は有明海沿岸の国だということで収まります。

だからこそ大和王権となんの関係もなあの官命の不思議が解けます

官日彌彌 副日彌彌那利 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮


邪馬台国がヤマト王権の前身であればこの官名はどこかに残っているはずですが、ありませんから

実際にヤマト王権とは関係のない九州王朝だったのだということです。


注。これはシュミレーションであり作者の考えではありません



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コメント

Unknown

弘法が筆を持つ
概ね賛同。コメントをいくつか。  ①この帰路選択の必然性に"?"いずれにしても"10日1月"の解釈論は仮説のたまり場。"邪馬台国"を憲法とし曲解には特に注意して思索したい。 ②この分段の"伊都国中心の軍団"には否です。 ③他、特に中段以降は斬新で鋭く素晴らしい。道具それとも扱う人の素養でしょうか。感動すらします。  あと本論にかんれんして、④道鏡事件から宇佐の重要性もどこかで要考察、そして霧島高千穂にも天孫降臨伝承、また海彦山彦の意味等々も。   ⑤このあたりでは、考古学的アプローチの方の参加を期待したい。

作者です

Unknown
ありがとうございます。
最近南九州をグーグルアースで見るようになって、まずは日向と西都原に地理的な面白さを感じました。霧島の高千穂は、同様の理由で筑紫の有明海から海路でやってきたのかなどと夢想しています。
また宇佐についてはいわゆる女王国の東の端で、次代のとよの根拠地かと。卑弥呼は邪馬台国連合の巫女文化の所産で、各国の優秀な巫女がつくのか。この辺まだ未整理です。

天地無我

平和の証し
宇佐。まだ、そうでしょうネ。   両高千穂の関係はたぶん統一見解不可のテーマ。  楽しめる材料はいっぱい
、平和の国。

囲炉裏端

「 >邪馬台国は有明海国家連合である。」なるほど! でも?
最初の頃の見解交換を思い出して、異見を久し振りに・・・


>40日もかかることは絶対ありません。・・・太宰府から博多湾まで・・・5時間程度です。これで25キロ。
なるほど! でも?

江戸時代、健脚男子は1日に30㎞~40㎞を歩いて旅をしていたらしい。( *'σI')ぅん
整備されていない伝・当時の街道状況は、たぶん頻繁な起伏や悪路面。更に沢渡などの極難所では、極端に速度が落ちることも想像できる。
現代のハイキングコースと登山道が混在したような街道ではなかったかと・・・。
また、履物の違いや連日続く旅でもあり、その速度は少し割り引かなれけばなどとも・・・
で、その速度は?と言っても拠り所になるものを持っていないので、ネットから・・・

・・・山歩きブログ/てっぱん家ブログさんhttps://teppan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-17記事から
里山でホームマウンテン猿投山。猿投神社からの東海自然歩道往復ルート(沿面距離≒5.4㎞、標高差≒471m)
全沿面距離10.8㎞、所要時間4h14m、 時速2.5㎞/h。
(・・・他の方のhttp://takemetothe.main.jp/?p=8927では、「5時間ちょっとのコース」「東海自然歩道として整備、子供連れでも気軽で安全に登山」と。)
(伊吹山。もっとも一般的な「上野ルート」の日帰り往復登山、時速1.9㎞/h。・・・  と。)
(平地を普通に歩いた場合のスピードは約4km/hだそうです。)
(計測方法。GPSレシーバーで記録したトラックログから、自分のおおよその山歩き平均速度を。)
(休息時間を含んでいるため、徒歩時間なら、上記よりもう少し速い。)・・・

仮定① [1日に25キロ歩いた、と仮定]  (エイヤーで、2.5㎞/h*10hとして)


"

>九州の縦の長さは300キロほどです。
縦断には400キロもあれば十分でしょう

"
なるほど! でも?

大掛かりな土木工事が想定できない当時の街道は自然地形に従ったものだと思います。
直線的距離に対して実街道距離の比の問題ですね。

島の面積に基づいての真円周値と、その島の海岸線値の「倍数」がその参考にならないかと。次のように倍数を・・・
例外的に小さいもの御蔵島1.02
①1.5倍程度。三宅島1.45、伊豆大島1.54.屋久島1.64.
②2.5倍程度。知夫里島2.11、礼文島2.25、淡路島2.35、種子島2.49、佐渡島2.54、北海道2.70.
③3.5倍程度。・・・該当未
④4.2程度。壱岐島4.09.四国4.29.
⑤5.8倍程度。九州5.72、本州5.96.
上記倍数は水平に歩くとの設定ですが、・・・鳥の目で、半島や湾は端折りや予めの迂回などで距離短縮、また蟻の目では、河口や突如の障害物のため迂回による距離延伸なども想像できます。
島の形状・歪みのほど良さや極端な湾や半島がないことを勘案すると、目安として、2.5~4.0倍が無難な範囲かと?

仮定② [直線的距離の3.25倍を歩行距離と仮定]    (やはりエイヤーで(2.5+4.0)/2)


上記の[仮定]の①徒歩25㎞÷②倍数3.25=直線距離で7.69㎞進んだ。・・・これは伝記述100里に近似しています。ので・・・

仮定③ [1日に進んだ直線距離は100里]

(12000-10000=2000理⇒20日と「陸行1月」、この差10日をどう考えるか?となりますが、これは別問題のため触れません。)

>日本列島、陸路を1ヵ月も歩く必然のある場所などあるでしょうか
伝に「陸行一月」とあるので、30日*100里=3000理。3000*.0075=225㎞

「>九州の縦の長さは300キロほどです。」と、・・・「陸路を1ヵ月も歩く(=225㎞)は<九州におさまることになります。
(仮定・想定の積み重ねで、怪しい見解ですが・・・)

作者より

Re: 「 >邪馬台国は有明海国家連合である。」なるほど! でも?
このあたりは、タイムマシンで行くしかない問題かもしれませんね。
もし邪馬台国が有明海にあって、伊都国に一大卒を置き
玄界灘の地域から有明海の地域に歩いてくるならそれは
福岡平野と筑紫平野と佐賀平野を歩くので
森に覆われた森林の山ではありません

それから
上述の平野には御笠川や筑後川が流れているので
葦などに覆われていても川筋は歩きやすいし、船で上り下りもできます。

たとえば島原に邪馬台国があるとき
糸島から道なき道
ということがあるでしょうか
首都から国際港への道は整備されてしかるべき

などなどと
思うわけですね
議論は尽きず楽しいですね
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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