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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」倭人倭人伝の行程の85%は海路、そして15%が列島内

シロウトのつぶやきです。


 


12000里が帯方郡から邪馬台国の首都までの距離です。


そしてそのうちの半分以上、7000里が半島の移動です。


そこまで船で7000里です。


そこから対馬の島影を見ながら1000里、


対馬から壱岐の姿を見ながらまた1000里、


そして九州の巨大な陸影を見ながらまた1000里。


7000里も船で動いたら、そのあと3000里、島影を見ながら移動するのはもう大したことではない。


 


さて船でここまで10000里も移動している。


あとは2000里です。


つまり、帯方郡から見たらですね。


邪馬台国は列島についてからは大冒険ではない。


旅の大半は半島で、その次に海峡踏破に3000里


なんと海の旅が12000里中、1000里なのです。


列島はまつろ国からあとはもう2000里くらいなんですね。


対馬海峡が最大の冒険でしょう。それだってずっと島の姿を見ながらの航海です。


完全な遠洋航海ではない。


そして、列島到着後は2000里ですから。もうあとちょっと、思いますよね。


そして、船で10000里移動してきた人たちはですね。


もし、列島についても船で移動できるなら水路をとったでしょう。


だから、まつろ国到着後は陸路しかだめだったということ。


まつろ国から内陸に歩いたということです。



よく松浦のまつろから糸島の伊都国へ、博多湾の奴国へと移動した話が


もう決定事項のように言われますが、こうだったら伊都国など作らない。


まつろこくもいらない。


奴国の志賀島に接岸し、伊都国も博多湾につくればいい。


距離も方角も違うというなら、まつろ国はなかった。伊都国はなかった。


奴国はなかった、不弥国はなかった、あるのは邪馬台国だけだった。


そんな説もありですよね。もうどうにでもしてくれ、みたいに。いや、邪馬台国もなかった。あるのは倭人の海だけだった。


ようするにそうなると究極的には


「倭人伝は全部嘘だった」説


この説に反対するなら、それに対抗するには


邪馬台国の遺跡を発掘するしかない。


ぐちぐちモードの諸説にはこういいたい。




ところで、対馬や壱岐の場所は特定できていて、ここは一里が50メートル。これは確定。


そしてまつろ国についたら、そこからは本来の一里500メートルになる、だからまつろから、伊都まで500里が250キロ。


これは出雲でしょう。


そして奴国や不弥国とかいろいろあって邪馬台国は350キロさきとか。


うーん、列島についたら里程が変わるとか、なんか自分の主張する場所にもってくるための方便ですよね。


 


 


 

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コメント

天地無我

戦論(論争)は続くよどこまでも
伊都国への陸行"必然性"。糸島論ではどの様に捉えているのでしょうかネ。 
邪馬台国の地の決定的と思われる証拠がたとえ発見されても、「移動したとか、なんとか」の疑義が出て、万人の結論一致はない。更に素人を交えた論争は続く。だから、面白い。

作者

Unknown
いつもありがとうございます。ご意見、感に入りながら拝見しています。
糸島の地名という強力な武器をもとに糸島伊都国説ではこうなっているようです。
1。壱岐から唐津には倭人伝の縮尺では600里くらいしかありませんが。これは海上の距離はよくわからなかったのであると、言ってます。でもそのほかの海上距離はぴったりですけどね。

2。糸島の伊都国には船が接岸できる場所がない。だから手前の唐津湾で上陸する。そして、リアス式海岸で山がせり出したみちだから歩きにくく、時間がかかった。

伊都国のあと博多湾の奴国にいくのだから、これなら最初から奴国に上陸したらと思います。
伊都国が税関と迎賓館だから、とにかく奴国直行はだめで、手前に上陸しないといけない。

とこれでは最初から奴国に迎賓館と税関機能を作り、港機能つくればいいのに。
要は松浦だから末盧国、糸島だから伊都国がまずありきで、その機能の地理的必然性とうのはないと思うのです。
後世にあの場所に大宰府をおいて北部九州をや九州全体を抑えたことを思うと、地政学亭必然があるのに、邪馬台国時代はないというのが、ちょっと。

それにおっしゃるように、かりに親魏倭王の印が博多湾や、大宰府あたりで掘り出されても、近畿に持ち帰る途中で埋めたとか、魏がほろんだ時に、九州の山に埋めたとかいいそうですね。
そもそも志賀島で漢委奴国王が発見されても、たまたまあの島から出てきたとしか言ってない。でもあきらかない志賀島だから出てきた。漢委奴国王の使者は志賀島から行き来したとしか解釈しようがないと思いますが。

長いですがもう一つ。かつて出雲には巨大勢力があるというと、まるでアトランティス大陸があったというのと同じような白い目で見られてましたよね。
荒神谷遺跡が出るまで、古代出雲は考古学会に存在しなかったわけです。でも今はあ出雲なしで古代は語れない。吉野ケ里遺跡しかり。シュメール文明も19世紀まで、学問上影も形もなかった。
ということで、おっしゃるように、古代史というのは永遠の謎ですね。列島すべてを同時に掘りますなんてありえないわけですから。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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