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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」倭人は海と「沿岸」で暮らす

現代の国家イメージでは国家というのは領土を持つ。まとまりのある広域の領土を持つ。


しかし


倭人に必要な土地は、沿岸の平野と港です。


広い陸地ではない。


沿岸だけです。しかも連続した沿岸ではなくて当然ポイントポイントがあればいい。


そして活動範囲を鳥瞰するとあたかもそのポイントをつなぐ範囲のすべてを支配しているように見えますがそれは錯覚です。


大陸国家がなければ、海の民は海岸線に自由に現れ、拠点を作る。


海洋国家。ベネチア共和国の拠点です。


トルコ帝国やオーストリア帝国がない時代はベネチア共和国は自由に拠点を作った。がこれをもってアドリア海沿岸部分、ギリシャ半島、トルコ半島全部をベネチアが領有していたわけではない。痕跡はその全部にあっても、ベネチアは港と補給基地があればよかっただけです。


ベネチアはコンスタンチノープルまでの海上交通路を確保したいだけで領土欲はないこの拠点も植民地支配してたわけではなくて


港として補給基地の役割があっただけ。それぞれの陸地に国がないからできたのですね。


ベネチア共和国は本土であるあの水の中の都市と、コンスタンチノープルまでのいくつかの補給基地による、海岸連合のようなクニでした。



これもローマ帝国のように、彼らは征服していたわではなくて、沿岸部に交易拠点や補給拠点をもっていただけです。これが領土なら、地中海世界はとっくにギリシャ帝国となって統一されていたでしょう。


必要なのは沿岸です。




さて倭人です。



 倭人は上記の地図の土地全部はいらない。上記の海岸線を移動できるだけの、寄港地と若干の雑穀、米作の場所があればよかった。それに加えて、鉄器、銅器などが必要だった。


 そう考えると、若狭湾というのはとてつもない中心地の様な気がします。



  出雲から能登半島まで。豊かな平野。そして琵琶湖まで歩いて半日くらい。琵琶湖に行けばその制海権を取って、そうすると河内平野を北側からにらむことができるし入ることもできる。濃尾平野も近い。 


ちなみに出雲大社ですが


これなんか、九州から直線が終わって若狭湾にむかって、少し曲がって再び直線が続くというまさにそのポイントに建っているのですが、つまりきっとこれは灯台のような役割と思えてしまいます。おあつらえ向きの場所におあつらえ向きの高層建築です。なんで高いたてものを建てたか?逃げられないようにというかそんなんではなくて、海上交通の目印ですよ、きっと。


能登を超えれば越のクニが広がり、海上には佐渡が灯台役割のようにいつも見える。


日本海沿岸連合、日本海交易圏、九州北岸から、出雲、若狭湾、能登、越とある。越は諏訪に近い。


その中心の若狭湾。ここはそのうち出雲に匹敵する遺跡が見つかるのではないか。交易の十字路のような気がします。


越・諏訪のものと、能登、金沢、福井の平野、出雲のヒスイなど。そして河内平野との交易、濃尾平野からも。


この世界の中心は若狭湾のような気がする。


こんな5つの湖なんかもある。三方五湖です。素晴らしい景色。海人の拠点になりそう。




こんな見事な海岸線が若狭湾にはたくさんあるんですね。そして琵琶湖までも近い。



 


素晴らしい海岸線。日本列島と対馬や任那あたりはみな素晴らしい海岸線です。世界屈指の。海洋民族が活動しますね。


そしてひとたび陸に根付くとこうです。



若狭湾を取って琵琶湖を取ると、河内、濃尾の平野と海に出ます。このようにして列島全域に交易圏が広がり権力が広がるのですね。


高天原も海から来てるわけです。出雲に陸からせめてない。海から上陸している。天孫降臨もあれは海洋民族の上陸です。

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コメント

不弥人

淡水?
若狭湾の湖はきれいですね。これは海とつながっているのですか?もしそうなら素晴らしい港ですね。そうでないなら、海の間際に素晴らしい淡水の確保場所ですね。
しかも縄文時代はやや暖かったはず。この若狭湾は日本海のへそのような場所です。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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