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三貴神とは対馬海峡を3分割する三人の王だった

月読神社は神功皇后より古い

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壱岐にはツキヨミ神社がある。
ここは神功皇后ゆかりとされるが実はもっと古くて
なにやらとにかく重要な場所だったそうだ。

ところでこんなに立派なツキヨミ神社は
九州にも対馬にもない
するとツキヨミの地は壱岐じゃないかと思えてくる
すると
壱岐は三貴神の一神 月読の統治する場所だとなる

ここにわたしは
天照大御神が対馬から加羅を
スサノオが出雲を統治したと思う。
そしてツキヨミは壱岐から唐津と糸島を統治した。

こうなっていたのではないかと考えるのである。
三貴神のなかではとりわけ存在感のうすいツキヨミだが
意味なく3神になっているわけもない。
また歴史的事実を神話が反映しているというのは
シュリーマンがホメロスのイーリアスという叙事詩を頼りに
トロイアの遺跡を発掘してから常識となり
また日本でも神話に重要とされた出雲から
荒神谷遺跡が発掘されたことを受けてほぼ誰もが納得するところとなっている。

三貴神は対馬海峡世界の3人の王だった


先に記したように
対馬海峡こそが古代の鉄と稲の通り道の幹線通りだった。
揚子江経由も当然あるが物量と行きかう人の多さは圧倒だろう、辰韓には鉱山があったことも確認されているから、加羅の港から鉄を載せて倭にも運ばれたことだろう。
すると
まず加羅から対馬に行く。
すると
天照勢力はこの幹線通りの根っこを抑えてるから最大の勢力だったろう。
ちなみに対馬と壱岐が古来より
南北に行き来するとは魏志倭人伝にも記載されたことだ。
さて
天照王国の対馬から
鉄と稲は
壱岐を経由した唐津の菜の花遺跡は
糸島の平原遺跡に行っただろう。

下の地図をご覧いただくと
この対馬海峡世界の地理的位置関係が一目瞭然と思う。


海峡

半島南岸の加羅から対馬にかけてが天照勢力
壱岐から糸島、福岡平野にかけてが月読勢力
そして宗像から出雲にかけてがスサノオ勢力である。

これは遺跡とも符合している。
出雲の土笛の分布は出雲を中心に東は丹後まで、西は宗像までなのである
福岡平野の遺跡からは一切でない。
大国主の妻が宗像にいるというのとも符合するが
古代世界においては宗像と福岡には文化圏として明確な違いがある。

天照とスサノオのうけひは海路割譲条約だった


この勢力図を頭に入れて
うけひ
を考えるとその本質が見えてくる
スサノオは高天原に文句を言いにいって
そのあげくにうけひで宗像三女神が生まれた

辺津宮と中津宮と沖津宮に。
これはまさに
宗像から対馬に行くための海路である。
壱岐経由で対馬にいくと
スサノオ勢力は必ずツキヨミ勢力に
頭をさげて壱岐を使わせてもらわねばならかった
それが沖ノ島の割譲を受ければ
壱岐を経由せずに対馬にいける
沖ノ島から対馬は約50きろ。見えるのである。
中津宮から沖ノ島も50キロ。視界が良ければ見える。
夜、沖ノ島でたいまつののろしをたけば
みえただろう
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出雲のスサノオ勢力にとって
ツキヨミ勢力と無縁に、
半島とつながるのである。


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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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