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一支国探訪

 ついに一支国へ


かねてより魏志倭人伝の一支国である壱岐に行きたいと思っていました。
それも末盧國に比定される唐津から。(宗像が末盧國という説もありますね。
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こんなルートです。
この全体像は
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こんな感じになりますね。九州と壱岐はとても近いのです。
帯方郡から来るときにはこの逆の地図ということになりますね。向こうから列島へ来るのですから。

逆壱岐 こうみると半島から対馬へ行き、対馬内を移動して、そして壱岐に行く。
ここまでが大変な旅ですね。
壱岐まで来たらもう九州も見えて海越えも終わりだなあ
そんな気持ちになっていたのではないかと思いました。
大砲から 帯方郡から倭に行くとき、対馬海峡越えというのが最大の難所ですね。そして結構全体の中でも距離がある。そして魏も半島も海の民ではないから骨の折れる渡海だったことでしょう。
それが壱岐に来るともうほぼ終わり。ほっとしていよいよ倭の本土に行くとなり
壱岐というのはいろんな意味で大きな道しるべとなったことでしょう。

わたしの旅は当然唐津をでるから逆です

唐津からフェリーで行く。
これが一番臨場感のある旅ですね。
朝日の中をフェリーに車を入庫させます。
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そして九州を後にします。向こうに九州の山々が見えていました。

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100分で壱岐へ到着。
平べったい島です。最高高度の山でも270メートルほど。
低いのです。
DSC_0852.jpg  
到着すると港のすぐそばに神社があります。夕方にはこの鳥居の前の潮は引いて、一時間ほど道ができるということです。
まるでモーセの出エジプト記みたいですね。

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原の辻遺跡

わたしの最大のお目当ては原の辻遺跡です。
ここには縄文依頼の出土品が15000点以上あるそうです。
漢の時代の楽浪郡の土器もあります。そして東アジア最古の人工の船着き場の跡もあります。
面積も100ヘクタール以上あって吉野ヶ里や唐子鍵の倍あります。とんでもない遺跡なんですが
さすがに壱岐という島にあるということで観光の力は今一つですね。
博物館には面白い人形がありました。
弥生時代の原の辻の暮らしぶりの再現です。
とてもよくできています
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さらに
集落跡地には吉野ヶ里のようにちゃんとモニュメントが作られています。 DSC_0901.jpg 
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これは使節団の倉です。
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これが外交使節団の長が宿泊していた最高級の建物です。

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中もその他の建物と違いがっしり作られていますDSC_0899.jpg 

壱岐の歴史と神功皇后

壱岐の歴史は漢までは楽勝で遡れますから、紀元前から人が半島と九州を行き来していました。出雲沖合の隠岐の島の黒曜石がウラジオストックから発見されていることを考えると、縄文時代から日本海交易圏というのはあったようですね。

そして神功皇后ゆかりのツキヨミ神社。
ここも神社となるまえから聖地だったのだそうです。縄文以来なのでしょうね。
今や月読神社がありますね。
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そしてさらに奥地に

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もう一つの神社


わずかな面積の島に100以上の神社がありどれも古いのですが
月読神社と別に感動したのは龍光大神神社でした。
壱岐で一番高いゾーンにあります
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個人的には月読神社よりもこちらの方がなにか感性にあっていました。なかなか荘厳な景色でもありました。

鬼の足跡は馬鹿にしてたけどよかった

たまたま足型に見えるから観光化しているところがありましたが
行ってみるとなかなか味わい深い風景でした
DSC_0949.jpg DSC_0953_HORIZON.jpg DSC_0950.jpg 深く物事を考えるのに向いています。

いよいよ島を離れる

歴史がつまって神社もたくさんあるので正直二日では半分もみなかったような気がします。
帰りの船からは冬至の素晴らしい満月が見えていました。
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糸島の可也山の上の月

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コメント

囲炉裏端

>糸島の可也山の上の月

魏の一行は、何を思いながらこの景色を眺めたのでしょうか?
この月影を真っ直ぐ行けば加也山の麓、「いずれにしても伊都国はすぐそこ、旅は終ったも同然」と安堵感。
「>そんな気持ちになっていたのではないかと」。 (。’-')(。,_,)ウンウン

作者より

Re: タイトルなし
というかですね。対馬から船で壱岐についたときに、九州は見えるし、あーも少しだと思ったのだろうと思います。壱岐から本格的に倭だったんじゃないかなあと感じました
そしてその後の可也山は、ランドマークとして航海を導いたでしょうね。すると伊都国は可也山があってみながそこに来やすいことで一大率をおいたのではないかとも思えますね
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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