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故郷海部郡と神武東征

海部郡

わたしの生まれ故郷は大分県臼杵市諏訪の津留という。
昔は北海部郡諏訪といった。

北海部郡
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南海部郡
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周辺は漁民と農民だが、なぜか瀬戸内海での船舶輸送を生業としている地域である。
平家の落人伝説もあり、盆踊りも平家踊りというし、言葉にも京言葉も混ざっていて明らかに周辺と違うので、学者が調査に来て一時期は百科事典に平家の落人村と認定もされていた。
ところがである。
「海の民 本」の画像検索結果

その後河岡武春「海の民~漁村の歴史と民族」という力作を著し、私の故郷は平家ではないことがはっきりした。なんと広島県の島から江戸期に25人くらいで移住してきたのだという。寺の古い人別長を見てつきあわせるとわかるのだという。
その島の風俗で、女性がものを運ぶときにかごを頭にのせるというのがあるのだが、わたしの故郷もまさにそうしている。また舟屋がり、これは広島の島の習俗にして、丹後の習俗であり、遠くベトナムのオケアあたりにも同様の習俗がある。

海の民」Amazon書評より
「大分県臼杵市の漁村集落<津留>が、江戸時代の初期、今の広島県三原市幸崎町字能地の水上生活(家船)の移住地であることが判明しました。
その根拠は同地区にある善行寺の過去帳の分村記録によるものであると記載されています。
<津留>と<能地>に共通することは、捕れた魚を頭上のハンボウという入れ物に魚を入れ、婦人たちが売り歩く習慣です。
この習慣は臼杵では昭和30年頃まで見られました。
また、津留の人たちは自分たち先祖が平家の落人だと信じていますが、本書籍の著者はこのことは事実ではないとしています。どうやら伝説のようです。
しかしながら、津留の人たちはこの伝説を信じてこれまで歴史を刻んできましたので、それはそれでいいのだと思います。能地の人たちは、現在ではすべて陸上にあがり、また、津留の人たちも高齢化が進み細々と漁業を営む集落となりました。(➡この点は間違いです。津留は昔から漁業をしていません。海運です)往時の活気のあった漁村文化は今では時の流れの中で消え去ろうとしています。この本は漁村の成り立ちについて詳しく書かれており参考になります」


移住した先祖

さて、わたしの先祖は瀬戸内海の安芸の地域の海の民が北海部郡に移住してきたのだが、わたしの故郷の海からは四国が見える。
移住
伊予半島の先端部分がいつも見えていてよほど天気が悪くない限り見えるのである。
写真の古墳も北海部郡の半島の先端部分にあるのだが、どうやら四国との行き来は古代からよくあったことだろう。当時わたしなどは同じ九州の福岡や宮崎よりも四国や瀬戸内海沿岸地域の方が親近感を覚えていたくらいである。フェリーに乗ればとなり駅というイメージだ。

海部の古墳


亀塚古墳公園として残っています。北海部郡の範囲にあります。
亀塚
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20170813_093306.jpg received_1073722996092534.jpeg received_1073723022759198.jpeg 荘厳な古代の祭祀の場である。何より海を感じる場所である。

神武東征を海人族という視点で敢えてみると

さて
神武東征を考えるときこの海部郡と四国の近さに注目したい。
豊後水道を越えて四国の伊予半島にたどり着けばそこからもう瀬戸内海世界である。

古代瀬戸内海交易というものがあり、
吉備を中心に東の端が河内、奈良。西の端が宇佐だったと思われる。
神武の出発地を宮崎としたときどういう展開になるか?
それは辺境の宮崎の若者が当時の世界の中心、瀬戸内海交易の世界に参加したいという情熱のものと、九州の瀬戸内海沿岸地域から出発したということだ。東征ではなく、交易拠点を安芸、吉備に移していき、ついに瀬戸内海東岸の河内に入って一大拠点を作った。
そんな物語にも思えてしまうのである。
そして、その神武と瀬戸内海をつなぐものこそが海部郡の存在だ。
宮崎から瀬戸内海交易の世界には海部郡から入るのである。
つまり瀬戸内海世界の様子や交易での豊かさ、半島や大陸、東国の物資の行きかい、そんな情報を神武の居住地域にもってきていたのは海部郡の海部氏たちだろうと思えるのである。

瀬戸内海

そしてやがて
若きウガヤフキアエズは海部氏の船に乗せてもらって瀬戸内海世界へ入っていく。
そのあとは才覚は発揮して
宇佐から安芸へ、安芸から吉備へ平和裏に移住していったのではないか。
私の先祖たちの一団が広島の島から大分に移住したように。
違いは最後に饒速日が経営していた河内の地を
武力で取ったことだろうか
そこを取ると瀬戸内海交易をやりつつ、尾張が持つ東国北陸交易の拠点ともなることができるのである。
実に奈良ゾーンというのは日本列島交易の唯一無地の拠点となりうる場所であったのは古代から変わらないということだろう。

地政学的な神武のルートとは

東征本当は地理的には神武が宮崎を出発したのならこういうルートで行けばいいのだが宇佐や遠賀郡に向かっている。
その点を考えると本当の出発地は宮崎ではないのではないかとも思えるし、あるいはいろいろな事情により遠賀まで行ったと思える。
宇佐については瀬戸内海交易の西の拠点だから行くのは当然。筑紫や肥後の物資が集まり、宇佐から運ばれたと思われる。
瀬戸内海という海は出雲や丹後が活躍した古代日本海と並び、やはり注目の海である。

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コメント

囲炉裏端

あけおめです。
『「国史跡答申の/所有者が寄付」の見出しで・・・
「・・・船来山古墳群は本巣・岐阜両市にまたがる船来山・別府山・桑山からなる独立丘陵全体を指す。・・・山全体に3~7世紀に造られた111基の古墳が確認され、東海地方最大級の・・・。」』2015/12/15(中日新聞)

天下分け目、言い換えれば近江・琵琶湖~濃尾平野・伊勢湾の連結地域。陸路・水路いずれについても東西日本交流の要衝。当然、一大勢力が存在していたはず。
あるべき所にあるものだと・・・(((uдu*)ゥンゥン


記事はずっと、面白く拝読させていただいています。

今年もよろしくお願いします。

作者より

ありがとうございます
もうブログを読んでいただいて4年ほどになるかと思います。あなたこそ最初の読者であり、初のコメントもあなたからでした。
どれほど嬉しく楽しく思ったかしれません。これからもぜひよろしくお願いいたします。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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