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邪馬台国王=倭王=ヤマト朝廷の王だけど呼び名だけです「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

なぜ倭を、大倭を、大和をヤマトと読むのか?


それは


三段論法的なことです。


 


大和朝廷をヤマト朝廷と読む事実がある。


 


親魏倭王で 倭王=邪馬台国王になった事実がある。


 


邪馬台国はヤマト国と発音されること。


 


だから倭と書いてやまとと発音されるようになった。




考えてみればとても単純なことで欧米の学者に伝えたら同意してくれそうです。


多くの遺跡や過去の研究によって邪馬台国やヤマト朝廷はぐちゃぐちゃになっていて


考古学のひとつの未解決問題が今や邪馬台国学となってひとつの分野になっている。




邪馬台国王親魏倭王として公認された倭王である。


邪馬台国の邪馬台はヤマトと発音する。



 


後漢書」<倭伝>5世紀前半成立


 


(イ)倭は韓(朝鮮半島南部)から東南の方角の大海の中にある。人々は山の多い 島々に住んでいる。およそ百余の国々がある。
 武帝(前漢の天子、在位・紀元前140~前87)が朝鮮(朝鮮半島北部の古朝鮮)を滅 ぼした頃より、通訳が漢に通じる倭の諸国は30カ国くらいとなった。
 国々には皆、王がいて、代々(伝統や王統が)伝えられている。


その大倭王は邪馬台国にいる。





従ってそもそも親魏倭王以降は


倭王=邪馬台国王なので


倭王と書いてヤマト王と読んでいたのではないか?


国内では 倭王と書いてヤマト王と読むようになった。


これが最重要なことです。


倭王=ヤマト王  倭王と書いてヤマト王と読むようになったのです。


その倭国が他を合併して大きくなったら大倭です。これもヤマトと読む。


大倭=ヤマトしたがって大倭王は邪馬台国王です。(後漢書参照)


大倭王=ヤマト王=邪馬台国王


やがて倭の字を和に変えました。


したがって


大倭王大和王ヤマト王邪馬台国王


すなわち


大和朝廷=大倭朝廷=ヤマト朝廷=邪馬台朝廷です。


みんな仲良しってわけではないけど、一つになった大きな倭国です。





すべてのはじまりは親魏倭王以来、倭王とかいてヤマト王と読むようになったことです。


なぜなら邪馬台国王は倭王となったのですから。


親魏倭王以来 倭と書いてヤマトと読むようになった。


もう一度まとめるとこういうことです。


邪馬台国王=ヤマト王=倭王=大倭王=大和王


 


べては邪馬台国王にして親魏倭王になった卑弥呼がはじまりです。


邪馬台国王である卑弥呼は倭王に、倭国の女王になったのです。これは歴史的事実ですね。


親魏倭王によって公式にね。


そこから倭王と書いてヤマト王と読むようになった。


倭と書いてヤマトと読むようになった。と考えるのは間違いではないはず。



しかしだからといって、いゆる邪馬台国が近畿の大和朝廷にそのままなったとは限らない。それなら神話はもっとわかりやすいはず。


ぼくはこう考える。


倭人世界では、4世紀、5世紀と時を経て、すでに倭国と書いてヤマトと読むようになったということです。邪馬台国王が倭王と名乗って以来、いつしかそれが定着したのです。


したがってヤマトは邪馬台国を指す言葉ではなくなりヤマトは倭人世界全体を指すものとなったということです。ワよりヤマトの方が語感もいい。はるかに。


つまりいわゆる今の日本と同じ意味ですね。


本世界の中では室町幕府も日本だし徳川幕府も日本だし、明治政府も日本です。また、江戸時代には、長州藩も彦根藩も水戸も尾張も薩摩も伊達もそれぞれの藩名・国名はあっても皆日本であったのと同様に、


 


卑弥呼のあと、倭人世界は自分たちを「倭=わ」ではなくて、「倭=ヤマト」と言っていた。これがミッシングリンクです。


倭国(わこく)の中の邪馬台国や投馬国、伊都国の時代は終わり、倭国=ヤマト国となっていた。邪馬台国はそのような形で名を残したのです。


では近畿のヤマト朝廷とはなにか。


これは今日の我々の言葉の感覚で言えば、ようするに、この列島世界をそのものずばり言っただけ、つまり日本朝廷という意味だったのです。


誰が作ったにせよ、日本朝廷と 名乗ったということです。内部のどれか一国が名乗りをあげたのではなくて最初から、この統合勢力は日本全体の名前で名乗ったということです。


あたかも明治政府が薩摩や長州を中心に作られたにもかかわらず、薩摩国でもなく、長州国でもなく日本国と名乗ったとの同じです。



明治日本が神話を作ったら、東京に権力があるのに、薩摩地方の神話と山口あたりの神話が出てくるでしょうね。


吉田神は萩にいましき。ではじまる。(松陰先生は萩にいた。)


息子(弟子)の高杉神(晋作)は奇兵隊を長州で集めたまいき。(作った。)建国の父である伊藤神(博文)や山県(有朋)神も奇兵隊に参加したまいき。などなど。


知ってるから当たり前だけど、1000年後の読者がこの文章だけを手がかりに、考えたら、東京政府の高官が長州の出身らしい、なぜ?そしてそこにいた吉田松陰、高杉晋作は偉大なる業績をなしたらしいけど、それが東京政府になんの関係があるの?となるのではないか。


それを読む後世の者は、東京政府の発祥の地が遠くにあって混乱する。



つまりヤマト朝廷はある国が拡大発展したのではなくて、明治政府を複数の藩が作ったように、複数の有力国が作った統合勢力。だから全体をあらわすヤマトとなのであり、神話も出雲や九州や、対馬海峡や、日向などあちこちとある。


 


 


ヤマト朝廷とは、統合勢力の中のどれか一国の名前ではない、これが建国の歴史をわかりにくくしている。


1.倭がヤマトと読まれて邪馬台国が名を残したこと、


2.統合勢力が自分の国名ではなくて日本全体を表すヤマトと名乗ったこと。


(中心は邪馬台国自身かもしれず出雲かもしれず、近畿の誰かかもしれず、いずれにしても連合政権だったのですね。連合政権を作って冠に神聖な権威を置くというのは邪馬台国などでも経験済です)


この二つが建国の歴史を迷路の中に閉じ込めたのだと思います。










 

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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