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土笛と宗像三女神と出雲






古代世界で、朝鮮半島経由で倭に来るときには
対馬へ行き、そこから壱岐を行き、壱岐から九州に上陸するというのがルートだったでしょう。
壱岐は魏志倭人伝に登場する一支国であり、その原の辻遺跡には、漢の時代の楽浪郡の土器もありますし、東アジア最古の人口の船着き場もありました。
国際中継交易都市だった様相があります。

漢の倭の奴の国王の金印は奴国王あてのようですが、その時代に半島との行き来には壱岐→対馬→半島だったことでしょう。

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想定している国の場所は少し変わってますがこんなルートで行き来していたと思います。

さてやがて壱岐経由ともう一つ、沖ノ島経由ができるのです。
それは出雲から半島に行くためのルートだったでしょう。
こんな感じ。

出雲へ

丹後へ

出雲から半島は近い。

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さて、沖ノ島経由というのは
厳密に言えば

宗像(辺津宮)→大島(中津宮)→沖ノ島(沖津宮)→対馬→半島

となりますね。 
宗像三女神というのは出雲から半島に行くためのはずせない海路だったということです。
すると
アマテルとスサノオのウケヒで生まれた宗像三女神というのは

半島へのルートは奴国がもっていて、出雲は奴国の許可を得て、伊都国まで行って壱岐経由で半島へ行っていたはず。
そうすると距離も時間もかかるし、きっと税的なものまで取られていたかもしれない。
スサノオが高天原にごねていたのは海路割譲だったに違いない。
そして沖ノ島経路割譲条約というのが
つまりウケヒだったのだと思います。

それは前述のように
宗像(辺津宮)→大島(中津宮)→沖ノ島(沖津宮)→対馬→半島
と言うルートです。

ここでさらに目を引く話として土笛分布というのがあります。
出雲を中心に大量出土しておりその発掘の東限は丹後半島。海部氏の居城ですね。
そして西の端が宗像なのです。
それはもう見事に宗像で終わりで、すぐそばの志賀島や
奴国の遺跡といわれる福岡平野の各遺跡からも見つかりません。
つまり出雲生活圏交易圏の範囲は日本海沿岸で言えば
宗像から丹後にかけてです。
出土数は圧倒的に出雲周辺が多い。
宗像と言えば大国主の妻がいたところでもあります。

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土笛とウケヒと沖ノ島航路。

これを想定して考えると
出雲のスサノオと
奴国から壱岐対馬半島までの交易圏(高天原に想定)を支配するアマテルの
関係が神話の一部になっていることは間違いないと思うのです。



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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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