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邪馬台国日田説の風景 「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」


北部九州が女王国である。
この地図のゾーンである。

北部九州交通路 
さて、九州の山は低いので、山がそれほど明確に生活圏を区切らなかったりする。
中国山地における山陽と山陰の区切り方とは少し違う。
いやだいぶ違う。
日田から阿蘇へな簡単に行けるし
阿蘇から高千穂も簡単に行けて
高千穂まで来ると川に沿って延岡に簡単に来れる。

つまり日田から延岡には山道を通っても簡単に行ける。
私は別府から宇佐にしょっちゅう行き来していたことがあるが
この間の立石峠は全然高くない。別府は速水である。
速水から玖珠経由日田はとても簡単にいける

日田は天領である。
徳川はなぜ日田を天領にしたかといえば
ここを押さえると筑紫平野の国々の背後を完全に取るからだ。
つまり福岡黒田藩と佐賀鍋島藩と、その南、熊本肥後藩ににらみを利かせることができる。
おまけに日田からは有明海方面に筑後川
宇佐に向かって山国川
京都郡に向かって英彦川と
大きな川が流れているし
日田の隣接の東峰村からは遠賀川が流れている。

つまり日田を取ると
北部九州を押さえることになるといっていい。

とすると
女王国が北部九州であるとき
その都はどこか
都であるからには
交通の便が良く守りやすく攻めやすい
そんなところがベストだろう
 blog_import_5a8e423c689ed.jpg 上は川を書いたものだがこの観点で北部九州を見るとき
その中心は日田である。
つまり日田こそ女王の都にふさわしいともいえるのである。
筑紫平野は古代には湿地帯だったし、福岡平野の大半も湿地帯であるのでこのあたりのまともな陸地は
糸島と筑豊と
そして日田である。
日田には久津姫がいる。景行天皇も日田経由で宇佐に抜けている。
瀬戸内海、有明海、玄界灘、周防灘のすべてに簡単に行ける場所でもある。

そして実は
blog_import_5a8e422aaa993.jpg 日田と阿蘇を経由すれば日向には簡単に行けるのである。
後から来た上陸弥生人の一派が
すでに開墾された北部九州からさらに南に進んで日向まで行くのは
地理的必然である。
すると日向には長江からの一派も来ていたかもしれないので
半島に対して裏日本になっているように見えて
九州の陸の道という観点で見ると決してそんなことはないということになる。



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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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