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呉書倭人伝と魏書鮮卑伝「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

魏志倭人伝という書物はない

そもそも魏志倭人伝などという単独の独立した書物はありません。

これは下記のような構造の中の最後の最後の

おまけのような文章ですね。

三国志の一部です。



三国志は蜀の家臣でありその蜀の滅亡とともに晋王朝に仕えた陳寿が作者です。

それに南朝の宋の時代になって簡潔すぎる陳寿の三国志に裴松之が注を加えたものが今日本で和訳されています。


幻の呉書倭人伝


ここで空想するのですが

呉書倭人伝なんかもあったら面白いですね。

じつは呉の揚子江河口あたりから、薩摩とか日向と交流があったなどというような空想古代バージョン。

そして呉も沖縄諸島経由で日向の倭人と交流があり

親呉倭王

の称号を与えていて

薩摩半島あたりでそれが見つかったりしたら

日本古代史を揺るがす大事件!!


それに魏にとっての倭よりも

呉にとっての倭の方がはるかに重要性が高いような気がします。

後世において南宋海上帝国が一大貿易相手としたように

(だからこそ元寇につながるのです)

長江の国は倭が大事だったと思います。


おもわずどこかあのあたりにそんな金印を作って埋めたくなります(笑)

志賀島の金印ひとつでとんでもない影響があることを思えば。

霧島山中から金印「親呉倭王」が発見されたらと思うのです。


中華世界の4つの蛮族


かつてギリシャ人は自分たちをヘラスと呼び

それ以外は何を言ってるかわからないという意味でバーバリアンと名付けました。

そしてバーバリアンは蛮族と翻訳されます。

ギリシャ語をしゃべらないと蛮族だと、なんと自分勝手なんだ!

ところでそれは人類の普遍的な性(さが)のようで

古代シナの世界もそうでした。彼らは周辺を一緒くたにはせず

東西南北で呼び名を変えました。


  • 東夷(とうい) - 古代は漠然と中国大陸沿岸部、後には日本朝鮮などの東方諸国。貉の同類。

  • 西戎(せいじゅう) - 所謂西域と呼ばれた諸国など。羊を放牧する人で、人と羊の同類。春秋戦国時代は王朝をこれに当てた。(蘇軾「夷狄論」)

  • 北狄(ほくてき) - 匈奴鮮卑契丹蒙古などの北方諸国。犬の同類。

  • 南蛮(なんばん) - 東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など。虫の同類。

となっています。まあ自分勝手な話ですが

倭は

東夷です。朝貢をすると東夷から朝貢国に昇進するのですね。

朝貢したら10倍返しくらいでいろいろもらえたそうですから

嬉しかったでしょう。

ところでこの中で南蛮と東夷が

古代シナに脅威を与えたことはありませんね。

脅威は主に北からでありたまに西からでした。


西からは中華世界にとってはまさに秦こそ完全無欠な西戎ですよね。周王朝も犬に西半分を取られたりそのために明治維新で有名な尊王攘夷という言葉が当時できた次第です。

12代幽王の時代、から迎えていた皇后を廃し褒姒を皇后としたため、申の怒りを買い、申は犬戎を伴い王都へと攻め込んだ。幽王は殺され、褒姒の子の伯服(伯盤)も殺された。そこで、携王が即位した。これに反対する諸侯は、王子宜臼を擁し、東の洛邑(王城・成周)(現在の河南省洛陽市付近)へ移り、平王を立てた。周は東西に分かれて争い、東の平王が打ち勝った。ここから周は東周と呼ばれ、時代区分では春秋時代に移行する。

後世においては遼などが西の脅威となりましたが。


北狄(ほくてき)こそ最大の脅威

しかし何と言っても古代シナにおいての脅威は北です。

魏のあとの国である晋は

北の鮮卑に滅ぼされたましたし、

それはひたひたと忍び寄る脅威だったかもしれず

陳寿が三国志を書いてすぐに晋は滅ぼされますから


三国志の魏書において重要なのは鮮卑伝であり、


東夷伝のレポートというのはまあ、軍事的には確実に勝てる相手、


向こうから、洛陽にせめてくることはない連中という位置づけではないか。


それにくらべて北の鮮卑には


西晋の皇帝は降伏して奴隷となってこき使われた挙句に殺されてますね。


下は漢の時代。この頃からもう鮮卑族はこんなに広い領域にいたのです。北こそが脅威。



そして晋滅亡となった永嘉の乱の時の中華世界。

降伏して皇帝は奴隷となるという屈辱の事態が起こります

これが316年です。

陳寿の生きていたのは
生年月日: 西暦233年
ですから
陳寿が倭人伝の筆を執っていたころは
ほんとうに
北の鮮卑の脅威というのはあったかもしれません。

ちなみに卑弥呼の使者が行ったのが
239年で
トヨの使者が行ったのが266年ですから
陳寿はリアルタイムで倭の使節を見た可能性もありますね

c_4524919583.jpg 

結局晋は滅ぼされ揚子江に逃げて

ここから南朝がはじまります。ちなみにその前の呉もいれて6つの王朝が長江流域にあるということで六朝といったりもしますね。六朝文化とか。

関連画像


こんな風に五胡十六国時代は南の漢族に対して

北は鮮卑や匈奴が溢れかえり大混乱。

漢と唐ではまったく別民族であると言われます。

「晋」の画像検索結果

後世には匈奴や契丹人やかのモンゴル帝国のモンゴル、清や金の満州族と

北の民族にはさんざんな目にあってきたのです。


東夷は脅威ではない

それにくらべて東夷はそれほど脅威ではない。

というか

まったく脅威ではない。有史以来

東側の民族が中国に進出してきたのは

近代の日本だけですが

それはまたすこし構造が違う話なのでここでは述べません。

歴史上、東夷という地域は一度も脅威にならなかった。


そんな文脈で

三国志の

東夷伝の

倭人伝を

見る時

そんなに切羽詰まってない

陳寿ののどかな鷹揚さを感じるのですね。


魏書鮮卑伝

これはどんな文章なのでしょう。内容なのでしょう。

これについては

真剣に書いてるのではないだろうか?

東夷伝を書くのとは気合が違うのではないか?


そんなことを想像するのです。



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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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