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日本海から眺める邪馬台国近畿説「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

邪馬台国九州説だと
帯方郡ががよく知る九州までが倭だという考えがありますが
半島と丹後、近江、尾張に奈良は
九州同様海でつながっていますから
別にそこまで倭であってもおかしくもなんともない。
海でつながっているのは九州だという考えは
北が上のメルカトル図法の地図しか
普通は見ないことから来る錯誤であると
言い切ってもいいような気さえするのです。


3世紀の日本の最大勢力が九州にあったとしたら
それは纏向遺跡をつくった勢力よりも巨大な勢力ということになるので
そんなことはないでしょう。
すると邪馬台国九州説の場合の倭王というのは
実は単に半島に近いからササっと対馬海峡をわたって
何も知らない帯方郡から称号をもらった勢力だということになるが
帯方郡が纏向遺跡の勢力のことはなにもしらなかったというのも
ありえないでしょうね。
どうしてそんなのどかなことになるのか
倭人の国の最大勢力を知らないなどということはないでしょう。

こんなことを書きながら女王国は九州にあったと思っています。

纏向



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300ヘクタール。
吉野ヶ里や唐子鍵は60ヘクタールです。環濠集落ではなくて計画都市ですね。土器も越、出雲、吉備、尾張、河内と全国からのものがここから出るのです。共同開発で作られた祭祀都市に間違いない。

弥生環濠集落は40~60ヘクタールに構造的になるようです。
それが纏向はまったく違うコンセプトで作られている。
それは前身と言われる伊勢遺跡からしえ環濠集落とは違うから
その延長上に拡大発展したのかもしれません。

すると卑弥呼共立のときに共同で作った都市が纏向であるというのは大いに成り立つ話です。
というか、卑弥呼が九州ならばここはいったいなんだ?
卑弥呼の時代に
全国の人々が集う場所があったのである
卑弥呼のいない場所に。

このことの重大性をスルーする九州説の人が多すぎるのです。
邪馬台国が九州のとき纏向は狗奴国ということにしかならないと思います。
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地政学的には
この古代河内湿原に向いた豊かな地。
そして東方は尾張から北陸関東の交易にリンクできる土地。
当時の日本の瀬戸内海交易と日本海交易、それに北陸関東交易を同時にやれる唯一の場所ということになります。

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纏向への道はまず丹後への上陸。


天孫降臨全体図
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ここで海神族は隆盛を極める。
古代大丹波王国の成立です。
海部氏の本拠地ということになりますね。




伊勢遺跡


琵琶湖の東岸にある稲部遺跡や伊勢遺跡。
伊勢遺跡が邪馬台国という説の根強い。
これはプレ纏向ですね。
この都市は纏向ができる2世紀末に忽然とすたれるのです。
きっと交代したのでしょう。

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伊勢遺跡は丸く30戸の建物を配置しています。
下は都市築城想像図。

  ise-zentai.jpg 

さて対馬から出雲へ。九州へ。

なぜ丹後や近江や尾張や奈良が半島とつながるのかというと
こんなイメージで海が連なるので
別段九州でなくてもよいわけである。
出雲へ

出雲から丹後へ。
丹後へ


黒潮にのれば時速7KMが24時間続くのです。早い。丸一日で150キロくらい行く。
つまり対馬から出雲へは二日もあればついてしまうのです。

 shizen14.gif   

そして上陸した勢力は琵琶湖から奈良方面へ行ったものと
琵琶湖から関ヶ原を越えて
尾張平野へ、伊勢平野へ向かった勢力に分かれる。

こう見ると丹後の海部氏と尾張の尾張氏は同祖であるというのがよくわかりますね。
奈良の王も丹後の王家から出ているといってもおかしくないような地理的な関係です。

天孫降臨日本 

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コメント

鳥島

対馬海流は
いつも勉強させて頂いております。
ちょっと気になった点として対馬海流は、海峡幅の狭い対馬(朝鮮)海峡付近では5~6km/hの流速ですが、開けた日本海に入ると2km/h程度になってたかと思います。
ただ、常に流れ続けている点は変わりませんし、航海者へのメリットは大きいですよね。漕いだり、帆(潮帆なども)を利用することで速度を稼げますし。
黒潮本流ほど速くない分行きすぎたり、流れから外れたい時なんかのリスクは少ないですしから昔は日本海側の船運が盛んだった。それは古代でも同様ですよね。
流れが複雑だったり、いろいろな勢力の絡みがある瀬戸内より日本海ルートの方が重要だった時期は長かったと思います。

作者

ありがとうございます

示唆に富むご指摘もありがたく勉強させていただきます。
これからも励んでまいりますのでご教示ください。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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Author:古荘英雄
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