FC2ブログ

伊都国の正体①糸島編「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

伊都国は明らかに九州にありますね。

①伊都国は糸島 

②伊都国は太宰府

③伊都国は宗像

という3つの説について
考えていきたいと思います。
②と③は珍しい方になりましたが、例の水行を考えるときには
②の場合は有明海を使って
③の場合は瀬戸内海を使って
とても面白い仮説になるので楽しいシュミレーションです。

さて今回は①伊都国は糸島である


を考えます

現在では定説化しています。
糸島が。
この糸島というのは
もともとは
律令制下では怡土郡志摩郡に分かれていたが、1896年4月1日郡制に基づき両郡を合併させて糸島郡となったので
もろに伊都国だったということみたいですね。平原遺跡のあったあたりの山のふもとが怡土郡
糸島半島と呼ばれる半島が志摩郡でした。
だから平原遺跡はあの伊都国かは別にして名称としてはイト国にあったのです。

伊都国1 

海からみる糸島。

半島部分と山のふもと部分ははっきり分かれます。
平原遺跡はこの山の方の中央部にあります。
そして東にはヒムカ峠(日向)がありますからこの山から朝日がさしてくるわけですから
朝日が来る山をヒムカ山と呼ぶわけで
するとまさにこのヒムカ山の光で祭祀を行う姫のことを

ヒムカ姫と呼んでいたのかもしれません。
なんだか果てしなく卑弥呼みたいですね。

伊都国2  

この地図の黄色いラインはかつては海だったそうです。完全に海ではなくて
中央部は潟になっていたそうです。
すると両方のサイドから中央部の港に船が出入りするでしょう。
魏の使節は普通はこの伊都国の港に壱岐から直接船でやってきたと思います。

伊都国3 

壱岐から伊都国に来るとしたら・・・

右側の唐津半島を経由すると歩かないといけませんが直接船でくればほとんど時間もかわりません。あるいは大型船は潟には入れず唐津湾に上陸してそこから小舟で移動したかもしれません。
しかしそうなると一番合理的な航路は
次のようになります。
伊都国4 
まり唐津湾沿岸はすべて末盧國であり、
糸島の志摩国の唐津湾岸はマツロ国であるということですね。
そこからイトとシマをわける潟に船で乗り付けるというのが一番合理的に思えます。
そしてその乗り付ける場所というのは現代では神社になっています。
「これより伊都国の看板」の画像検索結果
このちょうど両側から水がきての真ん中のくびれのところです。

古代の港の跡地の神社

IMG_0090.jpg

上の看板に
ちゃっかり伊都国の港を形成していたとありますね。
言ったもん勝ちですが、まあその通りだと思います。(笑)

 
IMG_0089.jpg 
IMG_0092.jpg IMG_0091.jpg 

糸島の伊都国説というのは壱岐から船で来るときの地政学的要因と
平原遺跡の存在と
マツロ国との関連から
限りなくその通りなのだろうと思うのです。

ひとつ
?が
つくとすれば
一大率があって北の国々はみなこれを畏れているというくだり。

糸島のこの場所の周辺にある国々ってなにかこうピンとこないのです。






スポンサーリンク

コメント

非公開コメント

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

スポンサードリンク

プロフィール

古荘英雄

Author:古荘英雄
一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

ブログ村ランキング参加中

ブログ村古代史ランキング参加中

PVランキング参加中

ブロとも申請フォーム

検索フォーム

QRコード

QR