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九州王朝よもやま話「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

古田武彦さんの九州王朝説

倭王磐井に対して分家の日本王継体が謀反を起こし、半島出兵に兵を出せと言われて倭都に向かい、そのまま磐井を倒してしまったとか。 

大混乱の理由は倭へ日本がクーデターを起こしたからだと。 
なんでもありみたいな話かもしれませんね。


ヴィキより。
宮崎県東臼杵郡美郷町

滅んだ百済から逃れてきた王族が彼の地に亡命したという伝承があり、百済王一族を慰める「師走祭り」という例大祭が神門神社などで行なわれている。禎­嘉王が美郷町南郷区に、その子の福智王が約90キロメートル離­れた木城町に住んでいたと­いい、死後それぞれが神として祀られるようになったもので、例祭当日には村民が参加して、父を祀る神門神社と子を祀る比木神社の間で親子の対面を再現する
こんな風に逃げたのだと思います。

1490179328_190.jpg 

 そして高千穂のあたりに居城を構える。
ここから下ると耳川と美々津が下流にあります。耳川は古代朝鮮語でミミナリという意味であり。美々津も古代朝鮮語で耳です。

するとここは投馬国であり、そして神武は日向の山にいたのであり、そこから下りて美々津海岸から東征したとなっています。

するとこの伝承は天孫降臨と神武東征と地理的に実にぴったり重なりますが年代はあいません。
百濟の滅亡は7世紀ですから。しかし記紀編さんにおいて、この逸話を入れ込んだということがあるやもしれませんが、それは悪魔の証明ですね。入れ込まれてないことを証明しろと言われてもむずかしい。


居住した地域と美々津と耳川の位置関係です。 
こんなところにもネオ的な九州王朝があったのかもしれないと思うと確かに楽しいですね

九州王朝の敵

有明海沿岸。鹿児島湾。宮崎海岸。豊後水道、玄界灘。阿蘇、日田、九州の地形からいって九州王朝は八女だ。
九州王朝の敵は、火山と豪雨と地震だったのではないか?た「から、安定して繁栄しないのではないか?九州王朝は台風と豪雨と
川の氾濫と
洪水で
いつもたいへんだったのだ

裴世清来日

筑豊から京都郡があついですね。
隋の
ハイセイセイが来日したおり、
筑紫の東に
秦王国があり
そこは
中国と同じだと書いてます
その秦王国の場所は
筑紫の東だから
筑豊
京都郡
宇佐
ですね。
この弓なりの海岸線
と遠賀川の流域
古代九州のもうひとつか二つの
王朝の
根拠地だろうと
想像します。

古代シナの王朝の時代 


紀元前2070年から1600年が夏 

BC1600年から1046年まで殷 

500年も両方続きます 

そして周 
BC1046年から256年 
800年!!途中から春秋戦国ですが形として800年も続いた。!!! 

秦BC221年に統一から206年で滅亡 

漢BC206年からAD220年 

このあたりまでだいたい500年。 
このあとも唐とか宋とか500年くらい。 
シナの王朝は長い。 

それにしても漢こそ日本の文明の曙ですね

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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