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神功皇后の風景「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

 関祐二さんの本


古代史の本を初めて読むとき面白いなあと思ったのは
古田武彦さんの九州王朝ものと
関裕二さんの
突拍子もない仮説です。
面白いですよね。私も関さんの神功皇后トヨ説の本とか楽しく読みました。
いずれにしてもおっしゃるようにヤマト王権以外のものが、あったと考えると、
なんだか暗いところに明かりがついたような気がしてどきっとします。 

ところで蘇我氏はほんとうに武内宿禰の子孫なんですかね。
武内の宿祢は長命だから役職名だという話もありますね。
するとその役職の子孫が蘇我氏ということにもなりますが。
征夷大将軍という役職に就くのは徳川家である。みたいな。
すると天皇という役職に就くのは◎◎家である。
これは天氏ということになりますか。
「関裕字蘇我入鹿」の画像検索結果

「蘇我入鹿が聖徳太子である」


ダウンロード 
ですね。

あの言い方面白いですよね。

真似
「神功皇后が卑弥呼である。」

「対馬の王がアマテルである」


深堀をしたいと思います。 
神功皇后の軍団が九州にいたときの60年間、摂政は福岡平野の宇美町、つまりフミ国にいた、
そして本拠地大和には、即位した王はいなかった。 

この状態、これすなわち九州王朝でなくてなんでしょうか。 

オキナガタシヒメノミコト 神功皇后は天皇だった


倭人伝の行程はフミ国をめざします。 
そしてかなた、邪馬台国とは、女王これ、都するところです。 
居住地はフミ国、しかし都は大和にある、そして、女王国とは、神功皇后軍団が支配している九州の、北半分。 
この神功皇后の状況こそ邪馬台国問題を解決するものです。 
つまり女王国とは、神功皇后居住地のフミ国わ基地とする九州のこと。
そして、邪馬台国とは、その女王が摂政であるところの、奈良の勢力の根拠地。 

摂政の女王が長期に都をあけ、九州南部勢力のクナコくと戦い、その期間王がいなかった。 
この複雑怪奇な状況を、外国人が表したものが倭人伝なのだとします。 

つまり神功皇后こそ卑弥呼である。 


景行天皇の軍団は地元勢力からみたら狗奴国だ

また、もうひとつ。 別の考え方を少し。
景行天皇の軍団が10年にわたり南部九州にいたとき。 
狗奴国とは
景行天皇の軍団のことであるとします。 
すると景行が踏み込まなかった福岡平野以北こそ卑弥呼の国、 
帯方郡に奈良軍団との戦いに支援を願いに行った福岡の勢力。 
「古代軍隊」の画像検索結果
    大和の軍団が九州に来るとき、
    たいていは長期駐留の軍団になって
    広範囲を占領します。
    その期間は、九州王朝状態であると思えばまた楽し。 


    再び神功天皇


    神功皇后は夫が死んだから独身。 
    神がかって、夫を殺したようなもの。鬼道で人を惑わす。 
    なぜ大和から新たな天皇が来ずに神功皇后が摂政に? 
    そしてオキナガタラシヒメノミコトと呼ばれていたから、普段は姫とか姫のみこととか呼ばれていただろうからヒミコでおかしくないと大雑把に。 
    クナコクとは九州熊そのことであり、まさに、そこと戦争するために九州王朝ですに来ていたわけです。

    神功元年から神功69年まで政事を執り行なった。夫の仲哀天皇が香椎宮にて急死(『天書紀』では熊襲の矢が当たったという)。その後に熊襲を討伐した 

    月延石は3つあったとされ、それぞれ長崎県壱岐市の月讀神社、京都市西京区の月読神社、福岡県糸島市の鎮懐石八幡宮に奉納された 

    筑紫の宇美で応神天皇を出産し志免でお紙目を代えたと伝えられている。他にも壱岐市の湯ノ本温泉で産湯をつかわせたなど九州北部に数々の伝承が残っており、九州北部に縁の深い人物であったと推測される。
    神功皇后が三韓征伐の後に畿内に帰るとき、自分の皇子(応神天皇)には異母兄にあたる香坂皇子、忍熊皇子が畿内にて反乱を起こして戦いを挑んだが、神功皇后軍は武内宿禰や武振熊命の働きによりこれを平定したという。

    神功皇后年間の奈良の宮廷は何をしてたんだ?

    ここで反乱を起こすのに、というか70年も九州にいた人たちが王に正式に即位するぞとやってくればだめだと言うだろう。 
    が 
    そもそもなぜ70年(数十年であったかもしれないが)ヤマトでは誰も即位しようという動きがなかったのか。 
    images.png 
    仲哀天皇が九州でなくなりその妻が摂政になり
    政務をなが~く九州で行っている
    勝手なことをするなと
    奈良の宮廷の面々は思うのではないか?
    長期にわたり誰も即位しないなどと異常です。
    だから神功皇后は九州の女王で
    息子の応神天皇のときに東征したのだという説は
    説得力があります
    だから

    この神功皇后時代は、大和には即位した天皇がいたのではないか? 
    そのことを、神功皇后=卑弥呼は、男王は廃して女王になったと伝えたのではないか。 

    よく知らないのですが、神功皇后時代のヤマトの状況はどうだったのでしょうか。

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