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決着 邪馬台国論争

邪馬台国は有明海沿岸の平野です。まつろ国が博多湾であれば、壱岐から1千里。そこから同じ縮尺で広々と東南に続く博多の平野に5百里で今の大宰府あたり。伊都国です。そしてその南、今の浮羽とか小郡あたりの平野が奴国。その南、佐賀平野が投馬国と邪馬台国は隣り合って存在する国だった。


GoogleEarthで見ると、福岡県と佐賀県にまたがって広がる平野がこんなにくっきりと浮き上がります。


 


当然当時に現在の行政区分はありませんから、米作の場所として、この平野の形が重要です。


普通の地図をみてもなかなかこんなに鮮やかない平野は浮き上がりません



陸路は単に博多湾から有明海に平野を移動したのですよ。里程の問題も方向の問題もきれいに解決するし、大宰府あたり、つまり伊都国は山の門のような地形で、この山の門を越えて女王の国にいきますと、迎賓館伊都国の人々は説明していた「聞いたほうは山の門の国。山門国。やまと国、と思うでしょう。


いずてにしてもまつろ国を博多湾に持ってくるだけできれいにおさまる。博多湾は唐津湾に比べ外海に海の中道で遮られ、能古島や志賀島もある天然の良港。しかも上陸したら平野で、しかも大宰府に向かって御笠川が続く。


博多を知っていれば、ここにくるのです。


 


さてあとは水行10日、陸行1月。この問題を説明できれば邪馬台国は筑紫平野です。


そもそも九州に40万人を食わせる平野は博多佐賀平野しかありません。熊本平野はくなこくですね。40万人分のお米をどこでつくるかという観点が一つもないのが専門家の議論です。


いいですか。海の民でない魏の使節は、韓の人々もそうですが、倭に来るのにできるだけ安全に来ようとします。対馬、壱岐、博多湾のルートですね。


でも有明海沿いにいる邪馬台国や投馬国の人々はそこで船で有明海の外に乗り出すに違いない。邪馬台国から帯方郡に行くときは有明海から直に海路で向かっていたに違いないのです。海の民がわざわざ博多湾まで歩いて行って、そこから船にのることもあるでしょうが、通常は有明海から東シナ海、帯方郡へというルートでしょう。


魏の使節団は有明海沿岸に到着してこう聞くのです。


この海を船で帯方郡には行けないのかと。


当然YESです。そして現実に魏の使節団は帰りは海路で直に帰ったのかもしれない。


ぼくは奴国の南側に、投馬と邪馬台がならんで有明沿いに位置していたと思う。その境目は筑後川ではないか。


そうすると倭人伝の最後はですね。奴国までは陸路です。東に行くと不弥国というのは東にそれがあると言ってるだけ。


そして南というのは国境が接しているのでもう一体化していて距離を書かない。


南に行くととうとう投馬国につきます。そこから帯方郡に帰ったものたちは有明海から出発して船で水行20日かかりました。


同じく南に邪馬台国、女王の都につきます。そこから帯方郡に帰ったものたちは、船で韓の南に10日かかってたどり着き、さらにそこから陸路韓を歩いて約1月かかりました。


 


これです。ぼくは間違いないと思います。


よく帯方郡からみて邪馬台国は南にあり、水行10日陸行1月は帯方郡からの距離であるというのがありますが、それならなぜ陸行1月水行10日の順番ではないか。邪馬台国の人に聞いたらそうだったと言いますがやや無理がある。


もっと言えば、全部船で行けば20日で済むのになぜ邪馬台国からのは10日で韓半島についてそこで降りて1月も歩いたのか?


もしかしたら船団は嵐にあって半分はやっとこさ韓半島について残りを歩いたのかもです。遣唐使にもよくありました、流された空海たちは南方から長安まで相当歩きましたよ。でも船でちゃんといけばはるかない早かった。



そうです。行きは博多湾で上陸して伊都国の迎賓館を経由して陸路博多佐賀平野を歩き、有明海に到着した使節は帰りはこの海から直接帰るかということになったのです。


そもそも韓半島から来るときは有明海へ迂回すると海路が長いし、島々があり半島が伸び入り組みすぎて航海が難しいし、敵国クナコクも有明海沿いにあることから危険もあります。来るときは王道の博多湾、大宰府、佐賀平野のルート。


でも帰りは邪馬台国艦隊のような船団で、クナコクをけん制しつつ(韓半島まで行く邪馬台国と熊本あたりにしかいないクナコクでは水軍にか格段の差があったでしょう。クナコクは地元民。邪馬台国は対馬海流の海洋民族出身です)有明海航路を熟知した船員たちが東シナ海に漕ぎ出すのです。そして目標は朝鮮半島なのだからすぐにわかりますよね。半島から有明海を目標に航海するのは難しくても逆は簡単なのです。


遣唐使が行きは中国大陸目指すから簡単だけど帰りが難しく遭難の大半は帰路だったのと同じ理屈です。


 



さてみなさん、邪馬台国論争の主なものは里程、距離ですね。


これは博多湾上陸で解消です。


そして方角。国内で水行20日水行10日陸行1月の距離を取ろうとすると


方角が違うとしか言いようがない。おまけに総距離12000里なのにこれでははみでるから結局里程は縮尺が違うとかなんとか。


だいたいい1月あるくと一日20キロと少なめに見積もってもですね。6百キロも歩くんですよ。これって大阪から福岡くらい。おおちょうど陸行き1月で福岡から近畿にいったではないかとなりますか?では水行の合計30日はどうする?これは1200キロ以上は行きますよ。東に合計1800キロも行くと東北ですよ。


まるでプトレマイオスの天動説の星々が思いっきり複雑な動きをしているの同じ。太陽が地球を回るためには多くの自然現象が無理をしないといけなかったのに、地球が太陽の周りをまわるとなったらすべてがシンプルになった。


ぼくはプロの、そしてこれまでの邪馬台国論争は天動説に基づき、天体がどう動くかを議論しているようなものだと思いました。


地動説とは文献通りに読むということ。


とにかく壱岐までの距離の縮尺とそれ以降および総距離の1万2千里などは違うものを使っているとか、天動説もはなはだしい。素直に文献に合わせて場所をさがすべきです。場所を決めて解釈してるわけですもんね。


壱岐からもやっぱり1千里をきっちり航海した。そこには天然の良港博多湾がある。


そのまつろ国から東南には御笠川をさかのぼりつつ大宰府=伊都国へ向かう平野がある。


その南、山門をこえると小郡や浮羽や朝倉の平野=奴国がある。


この平野にあるからこそ半島経由で大陸から来た金印は志賀島で当りまえに見つかるのです。


さらにその平野の端から東側の山を越えて100里のとこには


軍事上の要地の日田=不弥国がある。


そして奴国の南側には有明海の沿岸に広がる佐賀平野。投馬国と邪馬台国がある。


そこまでたどり着いたら帰りは海洋民族倭人の、つまり邪馬台国の船団で有明海から直接船で帯方郡に向かって帰る。


その日程は投馬国からでた船団は順調に航海したから20日(水行20日)


邪馬台国からでた船団は途中難破して何とか10日で半島についたもののそこから1月かかって歩いた。代わりの船もあったが難破してやっと半島についた使節団は怖くて歩いたんですよ。


日本の中を1っか月歩くなんてありえない。沿岸を船で10日も20日も進むなら、とにかく海路を使いますよね。そして最後に大きな平野に上陸していくなら、海岸線から1か月もかかる大きな平野は日本にはない。濃尾平野、関東平野、近畿の平野、ごこでも上陸地点即平野です。


 


ぼくにはそういう意味の文章を漢文で完結に記したように見える。


難破したとも書けないのではないか、おまけに怖くでまた船に乗るのがいやだったとも書けないのではない。


事実として1月も歩いたというのが残った。


 


ぼくは素人ですけど、これは地動説です。なぜ壱岐からまつろまでの距離がいきなり縮尺が違うのか、なぜ対馬から壱岐に南に1千里と書いてる人が、まつろから伊都国以降は方角を間違えるのか。そいでもって、はるか近畿にあったとか。近畿に本拠地があって、九州にある伊都国をずっと支配していたような政権が国内のいざいこざで魏の権威を必要とするあまり、2か月ちかくかけて大陸に行きませんよ。自力で解決しますね。


熊本のクナコクが近くて強いけどでも有明海の田舎者だ、自分たちは平野で博多湾につながりそのまま半島に、帯方郡に、魏につながる先進地域だ、格が違うんだ、プライドがあるんだ。だからこそ魏の権威を必要としたのです。相手とそれほど実力が変わらないから。


また博多湾岸添いに唐津で上陸してちょこちょこと歩く説も、そんな狭いゾーンで40万人分のお米は作れませんよ。なんでわざわざ外海に接する波の荒い唐津湾に上陸してすぐそこの博多湾まで船でなく歩くのか。歩く必然性もなく距離も縮尺がどうこうという話になる。


 


いずれにしてもこの地動説的な邪馬台国論。グーグルアースを見ながら倭人伝をなぞった結果です。衛星写真で考えた専門家はいないと思うから、新しいとも言えますが、大宰府に住む僕としては、確信しています。


今でも地元の西鉄電車は博多湾のあたりから東南に大宰府のほうに伸びて久留米=奴国あたり で西南にまがり有明海方面に伸びていきます。


古来、この陸の平野はこういうルートで移動してるのです。なんと現代でも同じ。高速道路もそのように伸びてる。高速も線路も実は邪馬台国へのルートを走っているのです。


 

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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