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九州王朝とは?⑧「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

南朝からは誰も倭に来てないのだろうか?
呉が公孫氏と同盟して魏を牽制したように、
南朝も
倭と提携して
北朝を牽制したかったのでしょうね。
りょうとう半島と
山東半島の辺りの制海権を取って、
その辺りの陸地にプレッシャーを与えてくれていたら
いいなあと思ったんだろうと
推測します。そして
倭王武が語る領土は
東西と半島に
200もの国を従えてるから
高句麗くらいの広さを
南朝は想像したんじゃないか
南朝からは
誰も倭に来てないみたいだし。
はったり半分ではないか。

九州では赤の有明海沿岸が表通りです

緑の小倉から大分経由の宮崎行きは裏通り。 

関東から見ると瀬戸内海側が表と感じますが、また大分出身の私もそうだと思ってましたが 
高速道路、新幹線、途中の都市など、どう見ても有明海が表通りです。 
こんなところが古代にも影響を与えたかもしれません。たとえば煮詰まった有明海側の旧体制から飛び出い、裏九州の高千穂から瀬戸内海を東に向かった若者がいたとか。 

北九州と南九州のほかに地元感覚でいうと 
表通りと裏通りがありますね。 
でも奈良からみると周防から船で上陸する宇佐をみてこちらが表と思うでしょう 


ようするに九州というのは中央からみると東側が表だけど地元からみると西側が表なのだということですね。
古代の九州
対馬海峡から有明海への道と
対馬海峡から宇佐への道と


宇佐の道は大和への道
有明海のみちは
薩摩への もしかしてツマ国への道かも。

火山火山崇拝も
大事なことだったかも。
なんと言っても阿蘇と
雲仙と
ありますから。地図の有明海には。
狼煙通信
雲仙と阿蘇と脊振と
壱岐と対馬は
それぞれ見えるから
烽通信ができます。

となると、半島南端と都島もですね。
するとミマナと阿蘇や雲仙は、光通信で結ばれますね。


 阿蘇が高天ヶ原説

まさに阿蘇の近くに
高天ヶ原という地名があり
高天ヶ原の乱の時に
応神天皇が
薩摩に逃げ延びるとき
暫く隠れてたという
神社がありますね。

あの辺が高天ヶ原なら
そこの東に日向の高千穂があり
北には日田が
東大阪の方は熊本から筑紫へ。
九州の豪族の集まる場所
であったかもしれませんね。

阿蘇は九州の中央です。
そしてここからは東海岸にも西海岸にも北のほうの海岸にも川が流れ下っていけます。
阿蘇にいると九州のどこにでもいけるわけですね。
逆に阿蘇の向こうの世界というのはとても遠く感じます。
大分出身のぼくは大分から熊本を思うとあの山の向こうかと遠く感じます。
しかし阿蘇にいると、高千穂は目と鼻の先だし、大分も福岡も近く感じます。

images.jpg 

日田というのが実はとても面白い立地


日田からは宇佐にも有明海にも、大分にも遠賀川流域に向けても川が流れていて、北部九州のへそのような存在です。徳川もここを採ると筑紫平野の佐賀藩や黒田藩、ひいてはその先の熊本肥後藩ににらみがきくということで天領にしてました。 

古代においても日田を押さえた勢力は宇佐と筑紫を同時におさえれていたのじゃないかと思います。 
http://hitakodai.web.fc2.com/himiko.htmより 
豊後国風土記には、「景行天皇が熊襲征伐の帰りに、うきはの御座所を出発して日田郡に到着した。久津媛という神が天皇を迎え、日田郡の状況を説明した。これによって久津媛の郡と命名された。日田郡というのは久津媛の郡のなまったものであるという。」と書かれています。(1900年前?) 

この文章からヒサツヒメについて以下のことがわかります。 

1. 天皇を迎えるほどの実力者で、日田で一番地位が高いらしい 
2. 日田の状況を説明したことから、政(まつりごと)に携わっていた 
3. 自分は神であると公言している 
4. 景行天皇はヒサツヒメの対応に満足し、その地位を認めた 

日田の人々は、女王ヒサツヒメは神であると信じ敬っていたことでしょう。



九州王朝とは?⑦

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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