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九州王朝とは?④古代史雑記帳

六朝文化といわれますが南朝は、地図的に見ると、かつての三国志時代の呉が、魏の裏手に公孫氏と同盟したように、まさに北朝の裏側の朝鮮半島を、同盟国にしたかったでしょう。そして高句麗が北朝側についていたとなると、百済や新羅の半島勢力(新羅は高句麗の傘下という説も)をまず見方に。 
すると百済に肩入れしたいでしょうね。そして幻の倭国についてやはり抱きこみたいが実際どれほどの国力かよくわからなかったからとりあえず百済と同じにしたのではないでしょうか。 
この安東将軍か安東代将軍かをめぐって朝貢を繰り返すのですね。 
大陸の南北朝の均衡に応じて、倭も影響を受けていたのですね。




さて百濟も南朝との外交関係を強化したとあります。強化ということは手紙のやり取りだけでなく当然行き来がある、もしくは朝貢国として何度も行く、ということでしょう。 

北朝経由で陸路で行くわけはないのでは?となると 
海路。 
そうなると黄海を超えて長江へ朝貢を(笑) 
そうなるとかなり長い海路であり 
考えてみると 
倭人もまた百済か任那経由で当然その海路で南朝へ朝貢を。 


何度も何度も。 

卑弥呼の時は一度か二度洛陽に行きました。 
しかし洛陽と違って長江河口は船でいくのですね。 
遣唐使でさえ何度も遭難してましたが 
それより300年くらい早い時期に 
同じ海路を何度も? 

五王がずれていきますが確かに南朝へ行くのは洛陽へ行くよりも難しそうなのに、9回も行ってるんですね。百濟も行ってる。百濟はもしかして倭の船に乗せてもらってたのではないかとかおもいますね。 

ただこの半島から長江河口までの航海はなかなか難しそうです。有視界ではないですね。 
ただ黄河の奥地の洛陽に比べて総距離ははるかに近いですね。

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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