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九州王朝とは?③古代史雑記帳

漠然としたものですが、 
1.倭の五王は九州王朝だった 
2.磐井の乱の磐井もそうだった 
3.白村江の戦いは九州王朝の戦いだった 
4.日本神話は九州王朝で考えると読みとける 
5.聖徳太子の事績はすべて九州王朝の王の事績である 

こんな感じが九州王朝説ではないのかなと。 


http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/yamataikokuco/nazono4cco.html 
邪馬台国滅亡後、日本の動静は途絶えている。 
その中にあって、中国史書によって、5世紀の413年-478年の間に、 

倭の五王が、南朝の東晋や宋に少なくとも9回朝貢し、「倭国王」などに冊封されているている 
ことが裏付けられている。 

9回も奈良政権が中国と接触していて、第一回遣隋使が政治的には失敗するというのが変なのと思うのです。もちろん隋は北朝側で蛮族ですから、漢族の南朝とは違いますが。 
しかし夜だけ政治というのがそんなのやめろよと言われて、国内で急いでやめたほどでしたが、そんなの南朝からもいわれていたはずじゃないのだろうか。 


9回朝貢したというのは半端ではない。65年間に9回ということは 
6年に一回は行ってたということではないか 

そりゃあもう気が付けばまた行く計画をやってたわけで中国通のはずだ!!

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/wngo.htmより 

◆◆◆ 倭の五王(1) 投稿者:解法者 投稿日:2011年 6月14日(火)16時25分13秒◆◆◆ 

 倭の五王の中国からの「冊封」は次の通りとなっている(「四~五世紀の朝鮮三国と日本-中国との冊封をめぐって-」江畑 武〔『古代の日本と朝鮮』上田正昭・井上秀雄 学生社1974年4月20日 108頁〕)。 
1.珍 438年 『宋書』本紀 
  安東将軍(3品) 

2.済 443年『宋書』列伝 
  安東将軍(3品) 

  同 451年 『宋書』本紀および列伝 
  使持節都督(2品)・安東将軍(3品) 

3.興 462年『宋書』本紀および列伝 
  安東将軍(3品) 

4.武 478年『宋書』本紀および列伝 
  使持節都督(2品)・安東大将軍(2品) 

  同 479年 『南斉書』列伝 

  使持節都督(2品)・安東大将軍(2品) 
  同 502年 『梁書』本紀および列伝 
  征東将軍(23班) 『南史』列伝では征東大将軍となっている。 

 「冊封」とは、中国中心の国際秩序で、中国の皇帝が周辺諸国の王に爵位・称号などを与えて、臣下の形式を採る外交手段をいう。諸国王にとっては、定期的に使者や貢物を送るなどの義務を負うが、その見返りとして、皇帝から統治者として認められることで、自国民および近隣諸国に優越的な権威を持って臨むことかできたのである。

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      コメント

      上野俊一

      九州王朝説に賛成です
      神功・武内による東征が可能だったとすれば、筑紫に安定した政治基盤を創り上げていたと考えます。浅学ながら私も九州王朝説に賛成です。おそらく安曇(アントン)から倭王を立て、委任統治させたのではないか……それが磐井まで続いたと見れば、なにか腑に落ちます。

      作者

      ありがとうございます。
      わたくしも博学ですが、学んでいきたいと思います。
      これからもよろしくお願い致します
      非公開コメント

      古荘英雄

      一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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      徒然に記します。

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      Author:古荘英雄
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