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「日本古代史 邪馬台国と卑弥呼の探求」藤原氏とは女系天皇家である   古代の氏族概観

古代世界には歴史上の重要プレーヤーとして多くの氏族名が出てきます。
藤原氏や蘇我氏などは、日本人なら誰でも聞いたことがあるわけですが
その他にも物部氏や大伴氏や忌部氏や宗像氏、そして秦氏などがいます。
どの氏族も遡っていくと神秘的な雰囲気を持ってくるものです。どれか氏族を選んで徹底的に調べると日本古代史の謎が解けていく、そんな説もたくさんあります。
最近藤原氏について書かれたものを読みました。
それはとても示唆に富む奥深い読み物でした。

藤原氏の先祖は大化の改新(乙巳の変)で有名な中臣鎌足ですね。

Irukaansatsuzu.jpg 

そして実はこれ以降明治になるまで日本国は

法的には元首は天皇で律令制度でしたから、藤原五摂家を中心に藤原氏が

645年から1868年まで日本国の権力の中枢だったというわけです。

すさまじい権威ですね。三条実美も藤原氏でしたし、

戦争直前の近衛文麿も藤原氏です。

そして細川護熙さんは近衛文麿の孫でしたから

細川内閣も藤原氏だったのです。言い方次第ですけどもね。


さて藤原氏の前は蘇我氏でしたしその前は物部氏が中心でした。

物部は蘇我に滅ぼされ蘇我は藤原に滅ぼされましたが

藤原氏はどこからも滅ぼされませんでした。1200年にわたって帝の母型は藤原氏だったのです。

ときどき藤原氏以外の皇后が出ましたがそれは皇室出身でした。藤原氏と皇室以外の皇后はいないようなのです(今の知識の範囲です)皇室出身の皇后と言ってもその先祖は必ず藤原氏に行き当たるでしょう。

するといつのまにか日本国は

天皇家=藤原氏なのです。


藤原氏が存続し、巨大になった理由の一つは次々分家をして行ったというのがあります。藤原は3000家もあります。全盛期の蘇我氏で50家もなかったと思います。

巨大な氏だったのです。藤原家。

800px-Fujiwara-Kamatari.jpg 

こんな化け物のような家ですが、もっと巨大な氏があります。

それは天皇家です。

これは巨大すぎて藤原氏どころではなく何か家であって家でないような雰囲気がありますね


さて藤原氏が母方

天皇家が父方として

天皇というのはあったわけです。

天皇の男系女系問題がありますが、男系にこだわる最大の理由は女系を認めると

天皇家とは藤原氏のことであるとなってしまうのかもしれません。


ところで天皇家の母方として一番最初に皇后を送り出した氏はどこか?

初代から3代まで皇后は出雲の事代主の直系の女たちです。


これを考えると女系で妻問婚の日本においては女性側が中心ということになります。

そうするとそもそも皇室という王家を運営していたのは出雲であるとなりますね。

そして645年以降のこの国の真の王は藤原氏ということになります。

出雲と藤原氏の在り方はとても似ています。

だからこそ藤原氏が編纂した記紀において国譲りや大国主は重要な物語なのかもしれません。

大国主の国を譲って皇室が新たな王となったというのは

女系と男系が分かれてまざらず権力運営するというルールづけだったのかもしれません。


いずれにしても藤原氏を考えると、何か天皇家という氏族があまりに巨大で虚ろで、人間離れした存在に思えてきます。



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コメント

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それは女系ということにはならない。
時代に流されて客観性を失うのはよくない。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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