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「日本古代史 邪馬台国と卑弥呼の探求」先代旧事記を復権させよう

先代旧事記を復権させよう。
これは偽書ということになっていて、資料的価値なしというのがいわゆる通説です。

ウイキペディアにはこう記されています。

「  先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。

序文に聖徳太子蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代国学者である多田義俊伊勢貞丈本居宣長らによって偽書とされた[1][2]。現在では大同年間(806年810年)以後、延喜書紀講筵904年906年)以前に成立したとみられている。

物部氏氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる  」


偽書にあるとされる最大の理由は序文を聖徳太子蘇我馬子が著したとあるからで、これは成立年の想定からすると明らかに間違いであり、その時点で二人はとっくに生きてはいません。


内容についても古事記、日本書記の二番煎じの箇所も多く、総合的に見て後代の作り話であるということになりました。


しかし。

です。


聖徳太子らが序文を書いたというのは、ある書物に箔をつけようと後代のものが、ちょっとやってみただけ、ということは十分考えられるでしょう。

そして記紀と被るところはあれでも、それでは被らないところはどういうことになるのか?


物部氏という古代最大豪族の一族の記録という視点も必要ではないのか。

ホツマツタエとは本質的に違います。



Wikipediaより

「  序文には推古天皇の命によって聖徳太子蘇我馬子が著したもの(『日本書紀推古28年(620年)に相当する記述がある)とある。このことなどから、平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として『古事記』・『日本書紀』より尊重されることもあった。しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになり、多田義俊伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた[4]

本書の実際の成立年代については『古語拾遺』(807年成立)からの引用があること、藤原春海による『先代旧事本紀』論が承平(931年~938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから、『先代旧事本紀』は藤原春海による延喜の『日本書紀』講書の際(904年~906年)には存在したと推定され、従って、『先代旧事本紀』の成立は大同年間(806年810年)以後、延喜書紀講筵904年906年)以前と推定されている。  」

成立年代だけが問題になっているという構造のようなのですね。



ダウンロード 


十種の神宝(とぐさのかんだから)などの独自の表現についても一緒くたに作り話になるのは

やや乱暴ではないかと思いますし、饒速日の河内への天孫降臨なども独自のものです。(記紀よりかなり詳しい)まさに物部に伝わる物語なのだと思うのです。

ちなみに『古語拾遺』は忌部氏の記録です。

古事記と日本書記の内容がすべてという王家の方針の中、旧家は独自の記録を編んだのでしょう。

そして先代旧辞記は物部氏としての独自記録なのだと思います。


以下続く




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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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