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「日本古代史 邪馬台国と卑弥呼の探求」縄文時代とは黒曜石文明だった 説

縄文1万年は黒曜石経済であり軍事力もつまりは武器も、黒曜石だったでしょう。

諏訪などは12000年くらい前から2000年くらい前まで本当に1万年継続した集落密集地でした。世界的にそんな例は諏訪湖周辺だけでしょう。



こういう火山岩を人々は今のダイヤや鉄やウランのように求めた。


武器にもなる。



矢じりは黒曜石です。



したがってくに的な団体は黒曜石をもつことが前提条件である。


こんな装飾品にもなる。



 


そして国内に2か所、圧倒的な産地がある。



諏訪。と隠岐の島。


この二つとも多くの人が集まって交易をしたのである。


隠岐の島の玄関口。いわば門前町として出雲がある。


出雲は言わずとしれた神あり月のくに。みな黒曜石を取りに来て大物々交換会をしたのではないか。などと想像します。


神あり月を持つもう一つの地域が諏訪です。

神話によると諏訪の神様は神無月に出雲行きを免除されていました。なので諏訪も神あり月というそうです。


これは神話ではいろいろ事情がありますが、要するに諏訪には自前の大黒曜石産出地があるからくる必要がなかったということだと考えると、すんなりおさまります(個人的にはですが(笑))




そして国譲りで出雲から国を取ったあと、その息子を諏訪に幽閉させる。




これは、国譲りとは出雲と諏訪という二大黒曜石都市を、無用になったという宣言ではないか。縄文1万年の黒曜石時代が終わり、交易センターも鉄や銅を中心の場所に移る。


つまり黒曜石から鉄の時代に変わるということ。




出雲は隠岐の島に向かい合い、全国の豪族が出雲で交易をしたのだと思う。隠岐の島には出雲の豪族しか行けないことにしていたに違いない。それによって、交換率の管理と、隠岐の島に行くというのがある種の儀式であったのだと思う。




出雲は隠岐の島の門前町。諏訪は和田峠の門前町。


隠岐の島が島であるからその管理者は尊ばれる。


皆が集まったときにでは行ってくると船をだし、


黒曜石を大量に乗せて大船団で帰ってくる。


歓声とともに出迎えを受けたことでしょう。


そしてその日から1カ月、大物々交換会のはじまりです。

20161024132428940.jpg
東日本に人口のほとんどいたのが縄文日本です。
西日本にはほとんど人がいませんでした。鬼界カルデラの影響ではないかと言われています。

そして中でも諏訪の黒曜石はブランドであったらしく諏訪からは海の魚などの骨なども発掘されています。海魚をもって黒曜石と交換に行っていたと思われるわけです。

また当時の諏訪湖は今の倍近くあったらしく、
集落跡地はかつての大諏訪湖の周辺に散らばっているのです。

1cd514179758d014a49e1d3290cfac77.jpg  豊穣

これを地図に落すと





48d77f34df5c82811c6cdf407657dc19.jpg 

こう見ると古代諏訪湖が和田峠の黒曜石採取の基地であったというのがよくわかります。


豊穣すぎるほどの山の幸と淡水の幸。
そして黒曜石。
世界で唯一、穀物栽培なしで定住生活をしていた日本列島の縄文生活はこのような国土の恵みの賜物だったということですね。

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一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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