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邪馬台国台湾説について

九州から南に20日も海を渡れば沖縄くらいに行きます。そしてそこから十日で台湾です。
沖縄までは有視界航路なのですね。
実際にはもっと合理的な海路や流されたりもするでしょうけど、基本的にいつも50キロ以内に島がある海路です。沖縄かごしま 

倭人伝の通りに博多湾あたりから南に下るとすれば

投馬国は沖縄、邪馬台国は台湾となります。


まあそんなことはないと思いますが、しかし呉にとってはそれがもし万一本当だったらおおごとです。


親魏倭王の大国である邪馬台国がどうも地理的にたどるとあの台湾という島のようだと。あれが親魏倭王ならおおごとだ。


当然こうなります。


ほんとうにそうなら魏本土と邪馬台国に挟撃されて呉は終わりです。

魏 
魏志倭人伝に沿って日本列島があるなら本州はこの白い部分になるでしょうか。
そうすると呉の東の海上に大国邪馬台国連合があるということになります。
この間BS歴史館を見ていたらこんな説が主張されていました。

さてそういうブラフのために邪馬台国の女王の都を南に南に書いたという説が最近強いようですが、確かに地図でみると


呉にとってはキューバ危機のような感じになります。


   


しかしきっと嘘はばればれだったでしょうね。呉は確か将軍を台湾に派遣して屯田兵のようなことをやらせていたと記憶します。でももしかしたら、魏の言うところの邪馬台国かどうか調査に行ったのかもしれない。

 


またあるいは倭人というのは九州から台湾に至る島々に住んでいた人の総称なのかもですね。九州から東の出雲や吉備や奈良は倭人という概念ではなかったかもしれない。


九州から当然日本は本州に伸びていくというのは今日の常識であっても当時は違う。対馬海峡国家「倭」は、


実は対馬海峡からさらに沖縄、台湾へと続く海人族だったというのもなにやら本当っぽく感じるのです。


倭人とは黒潮に乗って対馬海峡にやってきた人々。やがて遠い南方の本国とはきれ列島を北上していく。


この台湾から来た人々は日向と有明海と出雲と越に上陸した。


台湾というより、昔の呉、越からの亡命もあった。彼ら亡命者がこの島々に点点と存在していた


そんなことも考えられなくはないかと・・・・・・


まだまだ夢想は続きます。


夢想を読んでいただいてありがとうございます。



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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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