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倭人と倭の領域

韓国や中国では今でも日本のことを倭 というそうです。

古代には、白村江の戦いまでは対外的に日本列島の最大勢力は倭と呼ばれていたようです。

日本という国号がいつからかというのはまたいろいろな説があるようですが

普通は白村江の戦いの大敗戦のあと、そして直後の壬申の乱のあと、

天武天皇によって日本になったというのが一般に流布されている考え方です。

少し前の説でも白村江の戦いのあと天智天皇によって国政の大改革に伴って

日本となったというのがあります。

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さて倭王である帥升は、107年に朝貢しますが、

この人の本拠地がどこかわかりませんね。

奈良だと思う人はいないようです。

帥升=スサノオという考えもあってそれはとても面白く感じます。

すると本拠地は出雲で、出雲から宗像にいたる下関土器の分布してるところが

その領域となります。つまり倭人とは日本海領域の一部の人たちですね。


では漢委奴国王は?

帥升の50年前に朝貢した王とはどこを本拠地にしたのか?

金印は志賀島から見つかり、どうやら文字の内容は奴国の王が

倭王であるとなっている。

卑弥呼の時には邪馬台国王が倭王でしたから

倭王の称号はそのときどきで持つ主体が変わるということ。

征夷大将軍は

ある時期は鎌倉にいてあるときは京都の室町にいて、あるときは江戸にいて

それぞれ源氏、足利、徳川だった。しかし鎌倉は将軍の血筋はたえて執権がとりしきってました。

ダウンロード 

帥升=スサノオであるとき

漢委奴国王=大国主となるのではないか?


まあこういう対馬海峡から出雲丹後あたりの海岸線が倭人領域だと思います。


対応可能エリア 

その観点でいけば

九州王朝とうのはあまり現実味がない。

なぜなら玄界灘勢力だけではなりたたない。

必ず、あの海岸線は出雲まで一直線であり、交易はあると思うからです。

出雲には弥生最大の遺跡であるムギバンダ遺跡があります。

宍道湖はありえないくらいの大きなシジミが取れていました。

ヒスイの産地でもあり、隠岐の島は黒曜石の産地であり、縄文時代から対岸の沿海州あたりと交易していたようです。

また越の糸魚川流域は世界的なヒスイの産地。そことの交易もありました。安来節の安来川は砂鉄がよくとれます。


海峡 

出雲は日本海という交易圏の中心地であったことは容易に想像できるわけです。

そして荒神谷遺跡に青銅の剣が他の地域からでた数を上回るほどでたわけです。

朝鮮半島や、大陸が倭人と言えば最初に思い出すのは、

出雲を中心とした日本海交易圏の人々だったのではないか?

そう思うのです。

そもそも朝鮮半島から対馬は見えます。

そしてそこに倭人はいるというか、対馬人は半島にもいつも交易にきているので、日常的に対馬や壱岐の人は半島に行くのですね。すると半島の人は自然に倭人がいつもそこにいるわけです。

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だから加羅の地域はもともと倭人世界か韓人世界かというのは意味のない議論で、それはまじわって、一体化した海峡世界だったのでしょう。

そして倭人の根拠地はいくつかあって、対馬、壱岐、唐津、伊都国、奴国、宗像、等々あって、出雲が最大の拠点だったというのが真相ではないか。


だから魏志倭人伝の不思議は、宗像が登場せず、出雲も登場しないことです。

すると宗像から出雲丹後にいたる下関土器の分布地域は狗奴国かと思ったりするわけです。


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宗像を境に、それより西にはまったくでてこない不思議な土器。

志賀島には出てこない。宗像三女神の海路を境に丹後までが同じ勢力。筑紫と壱岐が別の勢力。そんな風にも思えるわけです。

するとこれは天照とツキヨミの対馬と壱岐となり、スサノオや大国主の、宗像ラインとなり、

結局出雲が倭王だった時代と筑紫が倭王時代だったときとあって、

邪馬台国はその先の統合の形態だったのではないか?

などなど徒然に思ったことを書いてみました。


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コメント

囲炉裏端

>魏志倭人伝の不思議は、宗像が登場せず、出雲も登場しないこと
根拠なしですが・・・
博多域はハブ港。①有明世界へ、②出雲など日本海へ、③関門海峡から瀬戸内海へ。
当初主流は①の流れで金印奴国時代まで、次いで
②の流れが大きくなってきた。邪馬台国時代。これの終焉期ころに
③の流れが一気に加速し、近畿まで。②の流れは急速に衰退。

みたいなイメージを持っています。

筆者より

Re: タイトルなし
おはようございます。
やはりこれは海路ではないか。最初の独占海路の、博多湾から唐津湾あたりから、壱岐と対馬経由の半島海路

対して次に、宗像、大島、沖ノ島の宗像三女神経由で対馬と半島への海路。
出雲や丹後はこの宗像海路の勢力。

そして、志賀島から西は壱岐の勢力ですね。と思います。

壱岐はツキヨミ、宗像経由はスサノオ、みたいな。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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