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閑話休題 <元寇> ~勝手気ままな歴史感~

閑話休題で古代史以外の日本史雑感を書いてみたいと思います。

今日は元寇についての考え方について


元寇そのものはモンゴル帝国が占領した高麗に第一回目をやらせて
同じく占領した南宋に第二回目をやらせて
二回とも天候にも恵まれた中、武士団が頑張り撃退したことは周知の事実です。
実はフビライは3回目も計画しており
北条時宗はそれを知っており、備えをしていたとか。
常に10万人の武士団を博多で戦わせる体制ができあがったので、
金はかかるし無理もあるが一応侵略を撃退することは可能になったと思っていたらしい。

とまあこれは有名な話なので今更素人の考察はなしにして。

以下2点、勝手気ままに歴史を語ります


1.戦争の必要性は本当にあったのか

元寇とその防衛戦争は日本史における英雄行為としていつの時代も賛美されます。
しかし
本当に正しい選択だったのか
もちろん船団が来てしまえば戦うしかないので、
戦闘になってからあとは鎌倉幕府を讃えるばかりですが。

しかしいきなり元は船団を送ってきたのではありません。
何度も何度も使節を送り
交易をしようと言ってきたのです。
北条時宗の外交アドバイザーは南宋からも亡命僧。
いかんいかんいかん、モンゴルなど信用できん。
というアドバイスにそって一切の交渉をもたず
挙句使者を切り捨てました。

モンゴルがユーラシア各地で行ったことを思えばやむなしという意見が大半。
街ごと皆殺しなどざらでしたし、街そのものを破壊していました。
確かキエフという今に輝く都市はモンゴルのとき
一度完全になくなってしまうくらいの破壊を受けました。もちろん住民はほぼ全滅。

そんな奴らと交渉などとんでもないと。
でもですね。
情報を冷静に分析すれば
仮にモンゴル軍が来週してもそれは高麗軍となるからもう疲弊しきっている
高麗はモンゴルとの防衛戦争を確か40年くらいやってそのうえで占領されたので
もうぺんぺん草も生えないくらいぐったりしていた。
そこから数万人に及ぶ遠征軍を作り船をつくれとなったので死人をまた殺したようなものだと
高麗の高官が言ってました。

鎌倉幕府が交易をするに同意したら高麗人はどんなにほっとしたかわかりません。
そうです。40年かけて占領した高麗の向こうの島国を本気で占領しょうとは思ってなかったでしょう。
それに日本との交易の目的は、それによって日本に南宋との交易をやめさせ、南宋を包囲しようとしたのですね。南宋からきた坊さんが交渉にのってはいけないと言ったのは、日本のためというより、南宋のためです。かれは情報操作したに違いない。南宋を孤立化させないために、日本に元の悪の所業だけを伝えた。
つまり、南宋のために第一次元寇は起こったようなものです。

もし日本が元と交易をしていたら、元寇と言う形の侵略はなかったでしょう。
二回目の南宋の海軍は、一回目が失敗したから二回目も行くしかないということで
組まれた軍団です。

つまり鎌倉幕府が最初の交易の申し出を受けていたらそもそも元寇という現象はなかったのではないか?無駄な戦いだったのではないか?
でも全世界がぼろ負けした元の軍団を撃退したという成功談は世界史に誇れるほどのあまりにも華々しいものだったし、元が世界中でやった殺戮を思えば北条時宗は世界の英雄のようなものだから、元寇についてのすべては正しかったとなっているのではないでしょうか?
(もっとも日本が戦った相手というのは高麗と南宋です。それも高麗軍と南宋軍がいやいや来ていただけで本当のモンゴル騎馬軍団が上陸したのではまったくありません)

もしも鎌倉幕府追討のための承久の変を後鳥羽上皇が成功させていたら、

京都の朝廷政権は、元の使節を切り殺すなどしないでしょうから、元との戦もなかった。
あれはやはり武士政権ならではの発想でしょう。
朝廷であれば交易をしたでしょう。だから戦争がなかった。

でももしも本当に交易のあとに南宋が滅びて、元寇の船団が来ていたら、朝廷政権では負けたでしょう。

するとどっちに転んでも後世に神風という言葉はなく、特攻隊もなかったかもしれない
第二次世界大戦の500万人の死者を考えると
元寇で一度国中異民族に征服されるとよかったのではないかとさえ思います。
そんな経験があれば、鎖国も明治維新もない歴史だったかもしれない。

もし元が上陸に成功していたら


仮に上陸しても日本列島で騎馬軍団は使えませんし、九州に上陸して大宰府を占領しても本州に行くにはまた船で海を越えます。
関門海峡は難所だし、周防灘を越えるあいだに日本の船団に撃沈されるのではないか。
仮に下関とか周防に上陸しても京都までの間の山岳地帯と海上でゲリラとなった武士団に相当やられるだろう。京都につくまでに軍団は壊滅するのではないか。
仮に京都を落としても
鎌倉は遠い。そこにいくまでにはまた山岳地帯を行く。モンゴル軍は消滅するだろう。


ということで、いずれにしても元寇が日本を占領するのは不可能だったと思います。

そしていずれにしても承久の変の正否はとても大きなものがあったのだと思うわけです。

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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