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邪馬台国と下関の綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)

沖の島航路は紀元前からあったはず


沖の島が重要であったのはヤマト王権ができてから、ヤマトから半島に行くとき、壱岐までいくと遠回りだということで、沖ノ島経由が重宝されたとなっているように思います。

天照大御神とスサノオのうけひ で宗像三女神が生まれたわけですが
これはつまり
天照大御神勢力とスサノオ勢力の間で、沖ノ島経由で対馬から半島の航路の割譲があったということでしょう。
壱岐経由で対馬、半島への航路と、沖の島経由の両方独占している天照大御神に、片方譲ってほしいというスサノオが、条約により、海路の割譲を受けたのだと思います。

邪馬台国へ海路

邪馬台国へのスタートは対馬への海路から始まるようなものですから、そのはるか以前にもこの海路は争いと繁栄の元になっていたということですね。この場合は対馬の次は壱岐ですからある意味、天照大御神勢力の航路をとったわけですね。


下の地図がその世界です。
海峡 そこで不思議に思っていたのが、九州北岸はよく地名なども登場し、宗像や志賀島は海の拠点として有名ですが、スサノオの根拠地出雲と宗像の間に、何も遺跡も伝説もないなあということでした。
出雲より向こうは丹後に遺跡があり、弥生時代から半島との行き来があったことがはっきりしています。
だから出雲→丹後のルートはあったのです。
海上帝国 もちろん黒潮の速度が時速7KM以上だから、直行も可能ではあるが
普通に考えて、対馬、沖ノ島、宗像のゾーンから出雲の間に中継的な場所があるだとうと
ずっと思っていたのでした。ttt 
上図のようには行かないだろう。さすがに山口県あたりで
補給基地的な集落があっただろうと。

ところが最近これを知ったのです。上の地図で言えば関門海峡のところ。
下関にミッシングリンクがあったのです。

綾羅木郷遺跡

あやらぎごういせき

発掘の経緯


下関にあるこの遺跡を知りませんでした。
結構重要なのですがそもそもこの遺跡の発掘当時の事情がすごいものがあります。


史跡指定の経緯   Wikipediaより

1956年の発掘調査開始まもなく、ベトナム戦争の影響から、珪砂の輸入がストップしたため、綾羅木郷遺跡のある台地のさらに下層に埋まる珪砂の採掘作業が開始された。これに際して緊急発掘調査が実施され、保存運動が起こったものの、遺跡の保存計画が進まない間にも採掘作業は継続され、さらには1969年3月8日、遺跡の史跡指定による採掘作業の停止を恐れた業者により、未調査の部分を含む遺跡の破壊が行われた。

駆け付けた調査関係者(市民のグループなどが中心だったそうです)

工事を中断させた(ブルドーザーの前にたちはだかったりしたそうです)

これによって遺跡の南側部分はほとんど破壊されてしまい、北側の一部も失われてしまった。この事件は大きく報道され、事件から3日後の3月11日に至り、遺跡の一部が緊急に国の史跡として指定された。


天安門事件で戦車の前に立ちふさがった人がいましたが、ブルドーザー相手でも大変なものです。


場所は関門海峡近くの日本海側


左)展示入口サイン、右)響灘沿岸部遺跡分布図

関門海峡近くの日本海沿岸にあります。
辰韓の人たちが移住したのであるという説もあります。

周辺はこんな風な広がりになります。
uid000067_201402191624011d9c68d6.jpg 

遺跡:土笛


ここで発掘された「土笛」は響灘沿岸部にとどまらず山陰へそして丹後若狭湾あたりにまで分布しているのです。
ようは本州の西の端から能登半島の付け根まで。

とくに多いのが
山口県下関市周辺→綾羅木郷遺跡あたり
島根県松江市から鳥取県米子市にかけての一帯→つまり出雲です
京都府峰山町などの丹後半島一帯→つまり丹後です。


西方の九州では福岡県福津市・宗像市域が西限です

なぜか日本列島で最初に稲作文化が根付いた玄界灘沿岸より西側では、

つまり筑紫、つまり奴国や伊都国の前身の地域では出土していませんし、
朝鮮半島でも未発見です。

これはこの宗像三女神海路を使っていた勢力の範囲内だったということでしょう。
うけひによる国境はまさに宗像のはずですから。

遺跡:綾羅木式土器


土笛の分布はさらに綾羅木式土器の分布圏と一致するのです。
ということはつまり
九州の響灘沿岸部から山陰の日本海側の弥生文化に共通の交易圏、文化圏が形成されていたということでしょう。
筑紫や有明海、宇佐などの邪馬台国九州説を想定したゾーンとは宗像を境に異なる文化圏があったということですね。

遺跡:アマゾナイト
鮮やかな緑色の玉であるアマゾナイト(天河石)という珍しい石は、朝鮮半島の青銅器文化にしばしば登場する石材です。これが出土しています。
日本列島では弥生時代前期から中期にかけて、まだ10数例しか知られていません。
ほとんどが北部九州地方に偏って分布することも特徴で、大陸からもたらされた青銅器文化と共に運ばれてきた可能性が高い文物と考えられています。
これらの玉類は、朝鮮半島と日本列島の人々の文化交流を如実に物語るものでしょう。


このようにして
この下関の遺跡は、宗像から丹後までの日本海沿岸勢力に所属し、その勢力は朝鮮半島との交易も行っていたことが、ほぼ間違いないわけです。

何者なのか

綾羅木郷遺跡の集落を作った人たちは、出雲丹後と結ばれているわけです。丹後には海神族の古墳があり、丹後には海部氏の本拠があります。

するとそれは西からやってきたのであれば、この山口の

綾羅木郷にまず集落を作りそこから西に発展していった人々かもしれません。


この日本海先進地域の代表こそが出雲です。

続く・・・・・



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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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