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邪馬台国周辺国の謎③伊勢志摩か糸島か四国なのか

邪馬台国周辺国の読み


*赤は九州にその名がある国



① 斯馬國(しまこく)
② 己百支國(いおきこく)
③ 伊邪國(いやこく)
④ 郡支國(ぐしこく)
⑤ 彌國(みなこく)
⑥ 好古都國(こうこつこく)
⑦ 不呼國(ふここく)
⑧ 姐奴國(さなこく)
⑨ 対蘇國(とそこく)
⑩ 蘇奴國(そなこく)
⑪ 呼邑國(こゆうこく)
⑫ 華奴蘇奴國(かなそなこく)
⑬ 鬼國(きこく)=
⑭ 為吾國(いごこく)
⑮ 鬼奴國(きなこく)
⑯ 邪馬國(やばこく)
⑰ 躬臣國(くすこく)
⑱ 巴利國(はりこく)
⑲ 支惟國(きいこく)
⑳ 烏奴國(うなこく)
㉑ 奴國(なこく) 


これらの国は
「女王国より北の国はよくわかるが南の国はよくわからない」
とされているところの、南の国々になっていますから、
帯方郡から女王国に向かうときの、女王国の向こう側のゾーンにあるものと思われます。
*つまびらかになっているゾーンの国々であるとう考え方もあるので混迷の一途ですが・・・

南は東の間違いであるという説は大きなものですから、女王国より東の国はわからないということかもしれません。
帯方郡から延々と南下して弁韓に。そこから対馬海峡を南下してやっと九州に。
ず~~っと南にいっていたからそのまままた日本列島は南に続くと思っていたかもしれません。
なので
そこから日本列島は東に延びるとは思ってなかったのでしょう。
個人的にはそれほどこの方向の問題は大きなものとは思えません。

①シマ国


さて、上記の国で読み方がピントくるのは一つしかありませんでした。
①のシマ国です。
島、志摩。ではないか・
島国だとすると、島は日本中にありますからよくわからなくなりますが、
志摩なのだとするとそれらしいのは
伊都国の北のシマか、伊勢湾のシマですね。

糸島の志摩


糸島の志摩

現在の糸島しはかつて律令制下では怡土郡志摩郡であり、1896年に糸島郡となりました。かつては南側は伊都国のイトで、北側は志摩でした。

①がこの志摩なら⑰は大分県の玖珠となるので、どうも北部九州に収まって来そうですね。さらに⑯も大分県の耶馬渓の国、かつて山国谷と呼ばれ所です。

この考え方に合致するものとして
このような地図もあります。

o0668055913682267571.png 


しかしです。
伊都国の隣の北にあれば、内容はつまびらかな国ではないのでしょうか。

シマ国の隣の国がそもそもおかしい。
「その次が② 己百支國(いおきこく)」
となっているのですが、この配置だとその次は伊都国になってしまいます。

なによりそうであるなら宇佐が登場することは間違いないのですが、
今の耶馬渓のところに近いからヤバ国の中に含まれるというのはいかがなものか?
伊都国や不弥国の面積でも重要なら一つの国だから宇佐国というのがないとおかしくないだろうか。
ちなみに邪馬国については耶馬渓絡みの名前です。
耶馬渓というのは1818年に頼山陽が擲筆峰周辺(耶馬溪町柿坂地区)を訪れ、
当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりですから、もともとこの地域はやま国であったことは間違いないようです。
以上のことからシマ国というのは糸島のシマ国ではないと思います。

伊勢の志摩


近畿の志摩 
次に伊勢の志摩とした場合です。
志摩から南に向かってぐるっと奈良まで一周できる領域があります。
この紀伊半島こ21の国々の場所だとすると、ある程度納得できます。
ただこの場合は邪馬台国、女王国は近畿奈良となるでしょう。
そしてこの場合、疑問が起こるのですがそれは

瀬戸内海沿岸地域の国々はなぜまったく触れられないのか?吉備や安芸や阿波など。

日本海沿岸の国々もまったく触れられないのはなぜか?出雲や丹後など。

紀伊半島の国々を列記する意味は?
おまけにその領域の先には狗奴国があります。

その点、狗奴国を表すために、邪馬台国と狗奴国の間の国々を書いただけかもしれません。
すると、狗奴国は尾張であり、紀伊半島の向こうに狗奴国があるというような意味になるのかもしれません。あるいは、狗奴国は四国の阿波であるというのもこの理屈の上には成り立ちます。


邪馬台国四国山上説

img20160716131155699431.jpg 四国の地名はほとんど知らないのですが
この四国山上説の最大のポイントは周辺の21国が相当程度整合性をもって比定できることだそうです。

しかしだからといってど真ん中の山の中が邪馬台国というのはなかなか納得できないし、投馬国が土佐の西の端というのも少し?
そしてこうであるなら九州の伊都国に一大率を置いているのが四国の勢力ということになり、なかなか四国からそんな進出経路は考えにくい気がします。


以上、有力説を見てきましたが、個人的には吉備と出雲が登場しないことがやはり一番納得できないことであります。

やはり九州も奈良も同時に糾合する考えが必要であり次回はそれを考察します。




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一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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