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眺望と博多湾と邪馬台国   《筑紫の日向とはここだ》

邪馬台国のぼくの一丁目一番地は

邪馬台国筑紫平野と福岡平野説です。

と言ってもそれ以外にも

いろいろこねくり回して楽しんでますが、

自分は筑紫平野に魏志倭人伝の邪馬台国があったと思っています。


ぼくは大分県臼杵市の海岸に生まれ、四国の陸影を見て育ちました。


そして中津宇佐に住み、宇佐の海岸に立てば海の向こうは周防なのだと体感しました。宇佐からは海の向こうは四国という島ではなく、本州の一部周防となりますが、宇佐と周防は海上交通で結ばれ江戸期においても参勤交代は宇佐と周防を船で移動していたりしました。


東方海上壱〇〇〇里とはこの海のことだと思ってます。


国東半島を抑えると、四国も周防もわずか参〇キロくらいしか離れてない。天皇の親征も周防から宇佐あたりに上陸しています。


現在は福岡県に住み、吉野ヶ里遺跡から背振の山頂が見えることや


飯塚は遠賀郡の上流で高天原説の夜須高原が飯塚と大宰府を分ける景色を見たり


博多大丸の最上階から大宰府をみると二つの山系の切れ目の向こうに筑紫平野が見えたりとか


地元ならではの楽しみかたをしています。


伊都国の糸島半島

糸島半島の突端に二見が浦があります。

この海は必然として対馬海峡になります。


ここを東から見た図が下。

志賀島からみた糸島=伊都国です。



志賀島から見ると博多湾や福岡平野は空前の美しさであり

海というようり島と半島の展示会をしているようです。


福岡平野


福岡平野には西暦100年前後あたりの遺跡がいくつかあります。奴国でしょう。卑弥呼の100年ちょっと前。



この左側が伊都国で右側が奴国です。

二つの遺跡の真ん中の山の中央には

日向峠があるのですね。なんと。

この二つの平野の南側には広大な筑紫平野があります。

ほんと広いし、視界でいけば南側有明海だから圧倒的に広い空間なのです。

おまけに低い山の向こうは縄文から続く遠賀川流域の文化圏があります。


筑豊の遠賀川


奈良盆地にいるかのような広がりがあります。

遠賀川の下流近くに宗像があるわけです。



グーグルアースで見た印象よりはるかに実感としては広い地域です。


こんな国々の配置の中から志賀島の金印があるのです。



ところであの手の金印は中国の王朝が滅びたら

次の王朝に返しにいくそうです。通常は。

そうだとすると本当は漢からもらった金印は卑弥呼が親魏倭王になるときに

魏に返還してそのかわりに

親魏倭王をもらうということになります。

この流れで行くと親魏倭王の印鑑が見つからないのは

トヨが晋に朝貢したとき

親魏倭王は返還して新晋倭王の印をあらたにもらったからということになります。

魏の禅譲で晋だし

卑弥呼の後継がトヨだから

この親魏倭王と新晋倭王の交換はありえそうですが

 

魏は漢の後継ではなく漢の後継は蜀ですね、あえて言えば。

おまけに卑弥呼は邪馬台国王であって奴国王ではないからどうなんですかね。

しかし奴国を傘下におさめているから奴国の後継国とも言えるわけですが、

要は倭王として印をもらうのははじめてだから返還は不要だったのか。


背振からの景色


背振から筑紫平野を見る図。遠方に雲仙が見えます。






背振から福岡平野。

実に背振とは南北二つの海に眺望のきく山なのです。



上空から志賀島を見る図。遠くに福岡平野。その先、山の間をぬうような場所が大宰府であり

その向こうが筑紫平野です。

この絡み合うように連綿と続く地形。



福岡市から志賀島と能古島を見る図。中央は大濠公園。

海と水の博多湾地域です。



1が不弥国

2が奴国

3が邪馬台国

というのが個人的な考えです

4にのぼれば周辺のすべたが見えるわけです。

邪馬台国勢力は背振で物見をいつもしていた。



つまり九州北岸は朝鮮半島に近いだけではなく

港としてもすぐれていて

平野としてもすぐれていて

そのつながりという点で、広大な領域を背振山系から一望できる。

壱岐と雲仙とを同時に監視できるわけです。

この複合的な好立地のものとに邪馬台国が誕生したのだと考えるわけです。



背振山頂にある自衛隊レーダー基地。半島方面を監視します。

 

背振山頂から宗像方面を見る図。

 


背振の山の中にある川です。

安の河原かもしれません。高天原の。



背振から伊都国を見る図。




志賀島から福岡を見る図。

とにかくきれいですからね。人間きれいなところに住みたいものです。

ニニギもそういってますよね。


此地者、向韓国、真-来-通笠沙之御前而、

朝日之直刺国、夕日之日照国也。故、此地甚吉地。
(此地は韓国に向ひ、笠沙かささの御前みさきを真来通まきとおりて、
 朝日の直刺ただ さす国、夕日の日照る国なり。故かれ 此地は甚吉いとよき地ところ




そしてこの福岡百道浜のビル群が隠している二つの山系の切れ目、福岡平野から筑紫平野に行くくびれの部分こそ

大宰府なのです。

建築物のない古代世界において志賀島からの眺望は、

大宰府を抜けて筑紫平野の南の山系、

耳納山まで。

奇しくも投馬国の官名、耳と耳なりと同音となっています。


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