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神武東征の裏を読む 第1回

神武東征のルート

一般的には宮崎県から船で出発した神武が宇佐や広島や岡山を経由して河内へ入り、奈良の王になったという筋立てになっています。

元文はWikipediaより抜粋

古事記』では、

①神武=神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)は、

日向高千穂で、葦原中国=日本を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、

東へ行くことにした。

②舟軍を率いた彼らは、日向を出発し筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着く。

③その後、岡田宮(筑豊の遠賀川沿いの町)で1年過ごし、

④さらに阿岐国=広島多祁理宮(たけりのみや)で7年、

吉備国=岡山高島宮で8年過ごした。

地図にするとこうなります。

神武東征ルート 

神武東征の雑感です

高千穂については

宮崎県の今の高千穂説と

鹿児島の霧島説と、

福岡県の糸島の山説と、

諸々あります。

筑豊の飯塚あたりという説もあります。遠賀川こそ日本の発祥の地というのです。岡田宮はまさに遠賀川流域にあるのです。

さて、宇佐から周防灘を越えて広島に入ります。

ここで7年を過ごしたということですね、

最初から奈良を目指して艦隊が進んでいったでは絶対ないですね。

とりあえず田舎の日向にいてはうだつが上がらないから、

世界の中心瀬戸内海交易で一旗揚げようとしたのじゃないかと思います。

宇佐を拠点にしたけど、

どうも宇佐にいると日向の田舎者と馬鹿にされる、

半島交易の中心遠賀地域の岡田宮にいったけどうまくいかず1年で宇佐に戻る

遠賀でも日向の田舎者と馬鹿にされる

そうだ!

いっそ海の向こうの安芸へ行こう

そして安芸でまあまあ成功。誰も日向がどこかも知らない。田舎過ぎて。

やがて瀬戸内海交易の最大拠点吉備にいってさらにグレードアップしようと考え吉備へ。

瀬戸内海沿岸は峻険な山沿いが多いのですが

この吉備平野だけは広くて豊かです。縄文以来人が住んでいた場所です。

吉備でも成功、羽振り良く8年暮らす。

そこで持ち掛けられた話。

吉備の人々が神武に言う。

「瀬戸内海交易の西の端は宇佐だ。

宇佐には九州中の物資と、半島からの文物が集まっていただろう。

だが東の端は奈良というところだ。

河内の湿原地帯の、葦原の中にある。

 そこは東方の交易の西の端でもある。

北陸、駿河、関東との交易の中心に尾張がある。

その尾張と交易するのが奈良だ。

*************挿入***************

参考ブログ

*S字状土器は東海を中心に北陸関東方面に分布する。尾張と東方との交易の印と言われ、分布地域をまさに日本武尊は親征している。そして琵琶湖から尾張の蜜な関係が想像されるが、琵琶湖のもとは丹後あたりからの文化の流入で、その証拠に丹後の海部氏と尾張氏は同じ祖先から分かれたとなっている。

img_0.jpg 

***********以下続き**********************

奈良をとると、瀬戸内海交易と東方交易の両方の中心になることができる。

 ひとつ行って奈良を吉備のものにしてもらえんか。

すでに派遣した饒速日は

現地の王に妹を差し出し融和政策をとって自分がそこに根付いてしまったのだよ」


こうして神武は吉備から吉備のために奈良入りしたと考えるとなんとなくひも解けるような気がしています。

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