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「日本古代史 邪馬台国と卑弥呼の探求」魏志倭人伝の南方描写を読み解く

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倭人伝というのはこの三国志中の

魏書の中の東夷伝の中で

最後に書かれた言わば東夷伝の補足のような文書ではないかと思っています。


そもそも日本人は邪馬台国と自分たちのことが記載されてるから興味を持ちますが

扶余や韓伝などに関心を持つでしょうか?


まして鮮卑伝や烏丸伝などまったく興味を持たない人が多いでしょう。

そんな東夷伝の中の韓伝こそが終章で倭人伝は補足でしょう。

でもなんで倭伝ではなくて倭人伝なのでしょう。


ところで南方についての記事がありますね。

http://www.eonet.ne.jp/~yamataikoku/6000.htmlより

 

0680

又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里




また、その南に、人の身長が三、四尺という侏儒国がある。女王から四千余里離れている。



0690又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至參

またその東南に裸国、黒歯国があり、船で一年かかって至ることができる


女王国を去って4千里のところに裸国黒歯国があり、それは船で一年かかるとなります






小笠原や沖縄


神津島の黒曜石が越で発見されており、縄文時代以来、伊豆七島は本土と交流があります。割合、日本列島の住人やその周辺の人々は海を渡海していたものと思われます。



de5bb679918fcb33b5bfc63c10c5ef23.jpg 南の島と言えば、沖縄諸島と小笠原諸島ですね。

この島々と交易をする日本列島の勢力とは?記紀にはこのような南方交易の話はまったくでません。もっとも倭の五王の南朝への朝貢すら載ってませんが。

でも歴史的にも奈良の勢力が海外交易をしていたというのは聞きません。

これが九州の宗像とか安曇族とか薩摩とかは、戦国の世などでもしきりに南方交易をしています。この点から行くと邪馬台は近畿は苦しいのですが、しかし、倭人の記述をしているのであって、邪馬台国訪問記ではありません。


邪馬台国については逆にほとんど何も書かれていないのが倭人伝であり、倭の土地の風物と習俗を書いてるわけです。南方交易も倭の中のどれかの勢力でしょう。



もっと南方


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ベトナムにあるオケア遺跡。

インドと中国の海上交通の中継地。そしてその時のインドのアーンドラ朝は、ローマとも交易があり、オケアからはローマ金貨が発見されています。

したがって ここは交易地として栄えました。

 インドからの官僚が王国に仕えて居たり、

 サンスクリットの碑文があったりローマの金貨がある 

そして中国に朝貢していた。 

つまり日本と中国とオケアとインドとローマは海のシルクロードで結ばれていたのですね。

そして当時の日本の中心はどうやら海人族です。



この国際都市オケアは1世紀から6世紀。初期のころは志賀島の金印やスイショウの朝貢の時代に栄えていたわけですね。ちょうど邪馬台国もかぶります。



 Raised-floor-house_above_river_in_Vietnam.jpg fd2a655b8a867f41eed95406246e5fd8.jpg 

→これは日本の丹後地方 今日見られる高床式水上住宅。オケオより45kmほど北のアンザン省チャウドックの風景が左、丹後が右です。

丹後は赤坂今井古墳があり、海外交易をしていました。

あるいはオケアとも交易をしていたかもしれません。


呉の存在


しかし、オケアはまさに三国志時代の呉のすぐ南にあるわけです。
ということはこの南方記述も呉へのけん制として、呉に朝貢してくるオケアも、倭と交易をしているというブラフだったのかもしれません。


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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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