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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」倭の女王が九州に居たときがあった

倭の女王が九州に居たときがあった


仲哀天皇   皇居[編集] 

香椎宮・大本営御旧蹟 
穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや、山口県下関市長府宮の内町の忌宮神社が伝承地) 
筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや、福岡県福岡市東区香椎の香椎宮が伝承地) 

これを外国からみると、倭王は関門海峡から福岡に在住と思うでしょう。 
それにしてもヤマトタケルを父に神功皇后を奥さんに、なんておしつぶされそう。たいへんな運命ですね。


九州に神功皇后がいた頃というのは
倭王はまさに九州にいたわけです。
でもその勢力の本当の根拠地は奈良。奈良の人間が長期に九州に駐留していたわですが


外国からみると九州に住んでると思うでしょう。
なん十年も九州に、そして半島に。壱岐にも。志賀島にも。伊都国にもいたわけです。

そして女王は駐留している地域の南方、南九州や有明海のクマソと戦争してました。
南の狗奴国と、女王は、まさに戦っていたのです。
先代の男王仲あい天皇は
倭国大乱つまり対クマソ戦争を終わらせることができなかった。


なので神功皇后が夜中の占いなどして、立ったわけですね


夜中の神がかりとは、鬼道で人を惑わす行為ではないか!!




いわば奈良にとっては侵攻作戦に失敗した仲哀の妻が作った反乱勢力が、


九州で強大になっていた。
やがて神功皇后と応神は、
奈良に帰るわけだから、
これをもって邪馬台国は東遷したとも言えます。




初期皇后の誰かが卑弥呼もありですが、
初期は女王だったと隠す理由が
納得できるものがないので

唯一の女王、それも応神即位まで女王統治は九州で行った神功皇后にスポットライトを。

すると同じ時期にマキムクがあっても、それは
根拠地やまとの話しで、


魏が認識した女王国は、
神功皇后軍が逗留した北部九州と
対馬海峡だった。


8年熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇は、神懸りした神功皇后から神[4]のお告げを受けた。 

こんな神功皇后は鬼道で人を惑わす状態ですね。




そして神功皇后の摂政というのはワンセットで役職となり


もとのおき長たらし姫が死んだあと


妹の豊受ヒメが神功皇后に就任したとなると


その長すぎる統治の説明にもなり


トヨへの後継もわかります  


九州北部の神功皇后ゆかりと言われる神社を図にしてみました。 



こうみると、この範囲に神功皇后軍が展開・駐留していたわけですね。


それも数十年にわたって


この状態を半島や大陸からみると、倭の都は九州北部でそこは女王が統治していると思えるでしょう


その女王は聞けば、占いで神託を告げるというぞ、みたいな情報になると、卑弥呼的ではあります。 
おまけにその時代、奈良には天皇がいないのですね。仲哀が死んでから。 
そして中国では 
『新唐書』列伝第145 東夷 倭日本[3]に「仲哀死、以開化曽孫女神功為王」、


『宋史』列伝第250 外国7 日本国[4]に「次 神功天皇 開化天皇之曽孫女、又謂之息長足姫天皇」とある。 


神功皇后は天皇なんですね。

九州北部に駐留中の倭王はまさに日本の王ですが


長期にそこにいたからそこが都だと思ったでしょうし


会おうと思えばそこにいくわけですね。奈良ではなくて。


 


つまり倭王は九州北部にいてそれは女王だという認識ですね。 
その南、九州南部には狗奴国候補の熊襲があるわけで、もともとその戦いのために九州にきているわけです。


ただ熊本や薩摩の熊襲ではなく、朝倉の田ブラ津姫が主敵だったと思いますね。 
この田ブラ津姫こそ卑弥呼という説もありますけど。九州説においては。


そのとき田ブラ津姫は当然倭王ということだから


倭王を殺したとはできない神功皇后は自分が後継した。つまりトヨです。


あるいは妹に就任させた。トヨですね。妹は。




九州のフミ国に神功皇后の根拠地があったのではないか。宇美町ですね。だから帯方郡は 
倭王に会いに行くときはふみ国にいくわけですね。だから不弥国まではルートが細かく書かれています。 
それでそこは本当の都ではないから、


使節に対して「本当の根拠地はヤマトでり、そこにはこんな風な宮殿がある」というような説明をして、船で20日、船で10日、歩いて一か月とか言ったんだろうと想像しますね。 
そもそも神功皇后は日本海を船で下関にやってきたわけですし。



この時期はまさに
九州王朝ですね。
そして応神の奈良入りとなりますが
それにしても
神功皇后は摂政のまま。


もし天皇に即位したなら九州にいすぎだし
しなければ
王位不在の時期が長すぎる
実は
奈良にも王が即位してたが
神功皇后と応神の凱旋で
ジンシンノランのように
滅ぼされた
だから
摂政神功皇后時代が長いのではないか。



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一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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