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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」諏訪 縄文1万年の都  邪馬台国以前の世界

そもそも日本アルプスは冬山のイメージばかりで


南北両岸をふさいでいるような感がありますが


そして不便な感がありますが


しかし夏に移動することを思えば最良の避暑地地帯です。


冷たい川の水を飲みながら


豊富な食料を確保しながら涼しく旅ができる。




絶景が広がる。


断崖絶壁をよじ登ったりしなくても山道がたくさんあります。


4月から9月までは快的そのものの旅。


この世の楽園かと思うでしょう。




このように他の日本の風景とは異質ですから。


美しい。


10月くらいから3月くらいまでは


さすがに寒い。


だから逆にそのシーズンを避けて夏場に


交易が集中する。より一層人が混むのです。


人みな諏訪湖へ。



そして冬は聖地諏訪は雪に埋もれ湖は氷り、外地の人はいなくて


内省的に過ごす。


やがて春が来て氷が割れる音がしてそれがつまり神渡。



全面氷結するわけです。毎年。


古代人はこれをやはり神の仕業と思うでしょう。



 


神がまた大地を生き返らせ、全国の人をよぶ。


それが聖地諏訪です。


おそらくは7000年は続いた縄文の都。


これこそが永遠の都そのものですね。






ここから空想古代妄想です。




ここに王がいたとしたらその王はその後どうなったのでしょうか?


その王は稲作に対応するために、銅器や鉄器に対応するために


植民地を作ったのではないか?


黒曜石の時代は終わり、食料も稲作となった。


諏訪の地は新時代に対応できない。


すぐそばに安曇野という植民地を作った安曇族に先導させて


稲作の適地で鉄に近い場所を探した。


というか全国の情報は7000年の蓄積があるから


どこがいいかは最初からわかっていた。


これが出雲のクニ譲りかもしれませんね。


天孫降臨。


これは諏訪の山奥から海岸に降り立ったということです。


高天原から安曇族に先導させて。


情報は全国から交易に人々が訪れるから完璧にもっていた。


出雲と日向と博多湾あたりがいいだろうということで。


山を下りて行った。


黒曜石と木の実の時代から


鉄と稲作の時代に移ったのです。


人みな諏訪湖へ。



こんな人の動きが7000年も続いたら


人々は諏訪王家に特別の感情を持つのでは?


そしてこの逆に諏訪の人が進んだらどこでも自由に行けるわけです。


すべての土地の情報がある。


この逆に行けば諏訪から全国どこでも行けるのですから。




そもそも越にも天孫降臨神話がある


まず諏訪から越へ降りていく。


若狭湾の冠島にも天孫降臨神話がある。


越から若狭湾へ。


そして出雲で国盗り。




そして日向にも天孫降臨。


高千穂は山国の彼らが落ち着ける場所であった。




だが最終的に諏訪のように本州島の中心にあり


諏訪のように日本海と太平洋と両方にかかわりを持てる位置の


大和地方に根城を構えた。


日本海、瀬戸内海、太平洋のすべてにすぐ行ける場所。


新諏訪こそヤマトですね。




7000年の情報の蓄積があるのですから。


列島のどこが稲作に適していてどこに鉄器があるかも


よく知っていた。


7000年ですからね。




7000年の都の王家は


皇室よりもすさまじい権威。


諏訪王がこの土地を所望しているといえば誰もNOと言えない。


建御名方はつまり諏訪本土に幽閉されたということか。




越とはそういう諏訪の近くで。


海への表玄関が越。


そして志賀島の安曇族も安曇のに穂高神社をつくり諏訪の近くに根拠地を持った。


越に上陸した。越は諏訪と博多湾をつなぐ中継基地ですめ。そして


諏訪と三内丸山や男鹿半島、北海道、ウライジオストックまでつなぐ中継基地にして、


そこ自体豊かな大地、川、山でした。


とてつもない勢力。


福井は継体天皇が出たとこですがそいういう経済的母体があるわけです。


 


人みな諏訪湖へ。



富士山も見えればこの世ならぬ絶景ですね。


聖なる諏訪湖。神々が与えたようなこの地に


神々の石、黒曜石がある。


ここは神々が降り立った場所。


そんな伝承が全国に伝わる。



6月から9月くらいであれば野宿もできるでしょう。


この世の楽園のような素晴らしい景色、水、食べ物


を摂取しながら黒曜石の諏訪湖へ到着する。


 









こんな状態が7000年は続いてたと。


 



あるいは神渡の形が前方後円になっていたこともあったかも。



[蛇足ですが前方後円墳に諏訪湖の形は似てますね。


諏訪湖の中に前方後円が入ってるんですよね。


これは墓ではなくて儀式の場といわれてますよね。


沖ノ島が海の古墳と言われるけど墓ではない。


諏訪湖を作ってそこに儀式の場を作ったとは


考えられないだろうか?


諏訪湖でおこなっていた縄文以来1万年の儀式を、


模擬諏訪湖を使って日本中で行っていたのではないかと


思えてしまいます。


 


この氷が溶ける時に


中央に前方後円の形ができていたのではないか。


そして神渡の儀式の原型を7000年間やっていたのではないか。


この筋が方の美しい形を描き円も描く。



諏訪王家が全国に降りて行ったのであればなおのこと。


ということは諏訪王家が近畿の王となった?


ということは


日本の天皇家は1万年の歴史の流れをもつ王家ということに・・・・・・・


このあたりはロマンです・


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コメント

囲炉裏端

最古の栗
少し古い記事ですが・・・

国内最古、1万年以上前のクリか 長野の遺跡で発見
(2017年12月25日18時13分 朝日新聞デジタル) https://www.asahi.com/articles/ASKDT4SYLKDTUOOB00D.html
「長野県上松(あげまつ)町は25日、町内の「お宮の森裏遺跡」で見つかったクリの実が、国内の発見例として最古となる縄文時代草創期(1万6千~1万1千年前)のものと判明した、と発表した。一部の実には小さな穴があり、「人為的に針で糸を通して乾燥させた痕跡かもしれない」としている。・・・・」


上松町。
西に御嶽山の北アルプス、東に木曽駒ケ岳の中央アルプスに挟まれた木曽川沿いの峡谷の地。平な所など殆どないところ。
記事の最初の写真の様な所、川の両側は急峻の山で切り立っている。他の地域とは途絶しているような・・・。
すごい地に住んでいたものと驚かされます。

>山道がたくさんあります。
>諏訪から全国どこでも行けるのです
この観点から"上松地域"は、現在も国道でそうなっていますが、諏訪(信州)から全国(美濃・飛騨~)への道の交差点だったかも。
(R19で北は至塩尻、南は名古屋。R361で東は至伊那、西は高山へ。)

作者

ご無沙汰してます。ブログ、こちらに引っ越しましたので今後ともよろしくお願いいたします。

作者

三内丸山遺跡も栗を植林して栗林を作っていましたね。日本列島ではくりやドングリによって栄養のほぼすべてがとれていました。加えて、淡水魚、海水魚、海産物に山の幸の数々、イノシシやウサギやリスなど。縄文の日本列島では世界で唯一、農耕なしで定住ができたのだそうです。縄文時代って新石器時代ですからね、すごいものです。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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