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雑然と邪馬台国

 















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邪馬台国=ヤマトであれば倭人伝は記紀とかぶります 

邪馬台国≠ヤマト であればまったく別の世界が見えるわけです。 

この別であるときの、ヤマト世界との落差がまた面白いと思います。 
例えば倭人伝の行程は奴国の隣不弥国までは詳しいがそこからさきはなんのことだか意味不明に書いてます。 
なので、魏使は九州北岸までしか行かず、その先にはいかなかった。 
またはそこがゴールだったとも思えるわけです。 
奴国は大宰府の西隣、不弥国は大宰府の東隣あたりです。大宰府は北に福岡平野、南に筑紫平野が広がりそれぞれの平野に川が流れます。そして北には日本海、南には有明海に川を下ってつながります。 

さて日田に久津姫、八女(筑紫平野)に八女津姫、などがあり、地元では二人とも卑弥呼ではないかと言われています。 
いずれも奈良より広い筑紫平野の山間部に社があるわけです。特に八女津姫に至っては平地に降り立ち民をおさめるというような文言があり、さらに八女津姫の社がある場所は矢部村と言って、そこには矢部日向という峠があります。 

この九州の姫たちの古代世界というのはまさに、何かのときには巫女の姫を担ごうという流れを作ったのだと思います。 

魏に使いを送った卑弥呼と名乗るヒメは久津姫でも八女津姫でもおかしくはないように思います。そうすると当時、使者を送ることのできる姫は複数いたのであるとも思えます。 
ヤマトの出来事ととらえると、記紀などで覗く世界とリンクしながら考えるわけですが 
別の世界の話であるとするとまた違う風景が見える。 
そこが邪馬台国の面白さだと思います。 



 


ちなみに九州説の本丸は筑紫平野となります。ヤマトと無関係とした場合。 
ヤマトと関係するとなったときの最大の疑問が伊都国に一大卒を奈良の勢力がおいているということです。西暦200年代にそんなことができたのか?わずか1800戸くらいの国に大軍団をおき、2万戸の奴国がこれを畏れるとはいかなる現象か?平安朝に九州の豪族が大宰府に手を出さなかったのと同じことなわけで、それは技術的に不可能ではないかと思えるのです。 
吉野ヶ里をはじめとする筑紫平野に都を持つ勢力が、日本海側に軍事拠点を置くという程度のものではないかと考えるほうが3世紀の実態にあうと思うわけです。 




伊都国と宗像の海岸線から福岡平野を上り、奴国の領域を通り、大宰府を超え、吉野ヶ里に行ってます。もう一つは、朝倉、浮羽を通り、日田を通り、日田から宇佐へ行き、国東の安芸へ行き、大分の速水に。こうして瀬戸内海へ向かう陸上ルートに見事にはまっています。 

また逆に奈良からやってきたと考えると、宇佐に上陸して日田へ行く。宇佐から日田に川が流れているので、土地感覚では宇佐と日田は隣なのです。 
そして日田に来るとその盆地から筑後川が筑紫平野に流れているので、必然として、浮羽朝倉へ行き、そこまで来ると 
大宰府を超えて福岡平野へ行きます。そして伊都国の糸島へ行くルートと、沖ノ島への港宗像へと向かっている。 

この地図は九州の地制図としてみると、見事にそのどちらかだろうというラインにそって分布しています。





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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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