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邪馬台国つれづれ

 グーグルアースは古代史を10倍面白くさせました。


ぼくの場合ですが。

















なぜ、地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか (歴史新書)
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洋泉社

 


 


 


陳寿たちの洛陽にとって 
北狄や南蛮、西戎に東夷の国々の使節が洛陽に来訪するというのは 
どれくらいのイベントなのでしょうね。 
結構盛り上がってたのでしょうか。皇帝の威信を見せつける場として。 
そうであれば 
よくわからない謎の国にして東夷のかなたの倭というのは 
卑弥呼の使節もトヨの使節も 
それはそれは陳寿に印象深く残ったかもしれないですね。 

倭人伝を書くときにはその倭人使節の思い出をたぐりながら書いて行ったとも 
思えるわけです。 
ということは 
結構気合を入れてかいたかもしれないですね。





伊都国に来た帯方郡の役人に女王はどこにいるのだと聞かれて、たとえば九州説でいったとき 
ほんとは背振の山の向こうに女王はいるのに箔をつけるために 
「我らの姫は南に10日船で行き、さらに歩いてひと月かかるところに都している」 

なんて適当に言ったかもしれないですね。 
女王が遠くにいると思わせることは必然としておおきな国だということを示し、 
さらに女王の居場所を帯方郡に知られずに済みます。じつはトップシークレットだったとか。 

おまけに投馬国についても遠くに5万戸もの大国がある。倭はすごいと思わせることができる。




呉に対する牽制として、呉の東方海上にちょうど女王の都が来るように書いたという説がありますね。 
九州から南に20日、10日と船でいき、

そこにおおきな倭の陸地があって歩いて1月ならちょうど揚子江の沖合に邪馬台国の都があって・・・・・ 
その国の王は親魏倭王だというのだから、その記事を信じたら呉は驚異を感じたでしょうね。 

魏と倭に挟み撃ちにあう位置にいつのまにかいることになってしまったと。





もうひとつ、ヤマト の問題がありますね。 
ヤマトとはどこのことなのか? 
葦原の中津国=ヤマトなのか?葦原の中津国=出雲なのか?ヤマト=出雲なのか? 
しかし日本の中にヤマトという地名があるのは福岡県です。 
みな山門とあてています。 

空想で恐縮ですが、博多湾に入るときにはは志賀島と能古島と糸島半島の3つのおおきな山が広がりますから、 
その間を船は必然的に走ることになります。 
すると島と半島はまさに山の門になるのですね。福岡上陸に際して。 
その上陸の場所こそ山の門の国ということで 
ヤマトだったかもしれない。 
ヤマトが倭の代表だから 
倭と書いてヤマトと読み 
やがて大倭となり大和となった。 



ヤマトのオリジナルは九州にありそうです。 
そうなると東遷したのか。 
いや、福岡あたりの勢力=奴国と伊都国も奈良に参加したのではないか。 
中心の祭儀を行ったから権威として 
巫女と国名は九州のものになったとかですね。 

参考 万葉集 
大君(おほきみ)の 
遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ 
島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ 


島門とかいてシマトです。 
山門がヤマトであるのはまちがいないような気がしてきます。 
ちなみにこれは  遠(とほ)の朝廷(みかど)=太宰府に船で向かうとき 
博多湾に入る志賀島と能古島の間を島門と表現しているわけです。







又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至參
またその東南に裸国、黒歯国があり、船で一年かかって至ることができる。 

⇒上記解釈で行くと、 

女王国を去って4千里のところに裸国黒歯国があり、それは船で一年かかるとなります 

0700
問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里 
の地を訪問すると、離れた海中の洲島の上を、あるいは隔絶し、あるいは陸続きに、ひとまわりすると、五千里あまりになる。 

⇒この文は深いです。 

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コメント

囲炉裏端

スクナヒコつれづれ
スクナヒコつれづれ

>スクナヒコは外国人のような雰囲気がありますね。最後は死ぬのではなくて戻るのですし。半島人、あるいは大陸人という想定も・・・(2017-11-11 作者様RE:コメ)
異文化の知識を持っていた様に感じますが・・・、戻ったところが奴国だとしたら・・・妄想がムクムクと・・・・

『古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。(ウィキ)

少彦名と入れ替わりにやってきた大物主、いなや大和の国を自分に任せよと。その出で立ち、着想は王の一族か? 。

国元、倭国騒乱に関連して帰った少彦名、実は奴国王の一族。

女王共立により、倭国を立ち去ることになった男王(奴国王またはその一族)は、少彦名から大国主の治めている大和は良い土地だから、ぜひと勧められ・・・で、
大和を任せよと・・・・。

大物主はその後、ニギハヤヒと名乗り、イワレビコ(卑弥呼後の男王)を迎え入れた。

「 > 神武東征は卑弥呼先代の男王の逃亡だった、と言ってみる。(2017年03月21日)」 の 記事に乗っかって夢想し楽しんでいます。

作者より

Unknown
神話は面白いですね。
最近博多湾の小戸の妙見神社に二度行きまして、ここが日本創生の場所だと思いました。イザナギもアメノミナカヌシもみなあります
非公開コメント

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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