FC2ブログ

古代三韓と邪馬台国 鉄

古田武彦先生の話に感想を書きこみました



 韓伝を見ますと

(長いので大文字のところをキーに読んでみてください)

辰韓の王様のことは書かれている辰韓の王様は辰王でございます。これもいろいろな問題があるのですが、いまは省略します。そして、弁韓にも十二の国にまた王がいるというふうに書かれています。これも何という王か名前は書いてありませんが、やはり王がいると書いてある。

 ところが不思議なことに、馬韓については王がない

王が書かれていないわけです。これは一体なぜだろうと。よく読むとその理由ははっきり書いてあります。と言いますのは、本来ここに当然、馬韓の王はいたわけです。ところが楽浪・帯方郡、つまり当時の中国側が、辰韓の一部どの辺からとは書いてありませんが、これを割譲してしまった。つまり辰韓の方から取り上げて、自分に直属させてしまった。その理由は、元々、辰韓は楽浪郡に属していたからである、こういう理由で取り上げた。


 さてこの韓伝には、馬韓が辰韓を統轄していたように書いてある。

そこで王(馬韓の王)は非常に怒って、これに対して軍をもって楽浪・帯方を攻撃した帯方郡の太守はそのために戦死した。ですから、当時は馬韓が韓国代表で、韓王の軍が非常に優勢だったわけです。ところが、恐らく中国本国から援軍が来たのでしょう。形勢が逆転しまして、ついに韓王は敗退した。そして、ついに「中国側は韓を滅した」こう書かれております。

「韓を滅した」ということは、中国がこの馬韓の地を直接統治の下に置いたということ。これは大変な大事件です。

東アジアを震憾させた馬韓の滅亡

このあと、例の倭国の卑弥呼が使いを送るわけです。難升米等(なんしょうまい)です。あの倭人伝に出てくる有名な記事になっている。年代が書いてありますから。そういう順序になっている。の事件は東アジアを震憾させた。特に、倭国の卑弥呼あたりはびっくりしたと思います。そういうことで、難升米等が彼の地を通って帯方郡に行く話は倭人伝であまりにも有名ですが、それは実は滅亡韓国の地を通って行ったわけです

ということは、われわれが倭人伝だけを見ている限り、気がつかなかった。これは非常に重大な問題なんですが

 さて、それでは中国はなぜそんな無茶をやったのか。それはもともと楽浪郡に属していたからか。漢の大帝国がありましたから、その時代は漢の四郡というものを朝鮮半島から北方にかけて敷いておりましたから、元々この辺が、楽浪郡に属していたというのはその通りです。しかし、そんな理由でいまこれを取り立てて直轄地に編入するのだったら、どこでも全部直轄地に編入できるわけですね。要するに、それは単なる口実に過ぎないわけです。辰韓の鉄の産地がほしかった。しかもそれを“直接に手に入れたかった”ということが原因なのです。
 では、なぜかというと、その理由が実は韓伝に書いてある。

それは辰韓の項目に書いてある。「山に鉄を出す」と。そして「韓・歳*(わい)・倭、従いて之を取る」と。


ということはつまり、中国が前漢の武帝の四郡以来、朝鮮半島を支配した目的は、もちろん、人間を支配することも目的でしょう。また農作物を税として取り上げることも目的でしょう。

しかし、それと同じく、あるいはそれ以上に鉄を押える。

と言いますのは、当時、中国は完全に鉄器文明です。

ですから、武器としていかに重要かということを百も承知であるのが、当時の中国です。

その中国が鉄の問題を抜きにして韓の四郡というものを考えるとは思えない。

中国側にとって、この朝鮮半島を支配する最大の目的の一つは、鉄の支配にあった。

そうするとやはり、その向うの倭国と手を握ることは、この「滅亡韓国」を支配する上で非常に重要な布石であったろうと思います。

倭国が中国へ行ったのは、倭国は大国中国の財宝、宝物、鏡などが欲しくて行ったという形で従来は理解していたのですが、そんなことだけではなくて、倭国も中国と接触する必要があった。

韓国の鉄山の鉄を貰いたければ・・・。

ところが、同時に中国側も半島の安定上、向うの倭国との国交を必要とした。こういう理解の方が、わたしははるかに理性的な理解であると思うのですが、どうでしょう。
 これがつまり三世紀 ーー弥生時代の話です。「倭人伝を理解するのには、韓伝を背景にしなければならない」と。これが根本のルールです。それなのに韓伝をカットして「倭人伝だけで理屈を考えた」のが、従来の手法ではなかっただろうか。こう思います。

以上、示唆に富むお話です。

そして古田先生の唱える九州王朝の首都大宰府からは、製鉄の遺跡が見つかっています。 福岡の太宰府で1600年前の製鉄炉跡が発掘されています

      ≪出雲と筑紫の日向中心ですね。高天原は鉄がほしくてクニ譲りと                                                                                               天孫降臨を行ったわけですね。≫

古田先生のお話の中の、鉄の確保をめぐる外交の約100年後に作られている格好です。この流れだと、大宰府に国内最初の製鉄施設ができるのは必然ですね。ある日突然製鉄を始めるわけはないので、この前からも大宰府地域は製鉄地域だった、とすれば・・・・・ 

ぼくは大宰府が 伊都国だと思っています。わずか1000戸数で他国を睥睨し、代々行政と軍の代行をしていた。上記内容でいけば、伊都国は女王国内の製鉄集団だということになりますね。だからわずか1000戸数でも重要だった。



 →今はそう思ってません


にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

スポンサーリンク

コメント

非公開コメント

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

スポンサードリンク

プロフィール

古荘英雄

Author:古荘英雄
一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

ブログ村ランキング参加中

ブログ村古代史ランキング参加中

PVランキング参加中

ブロとも申請フォーム

検索フォーム

QRコード

QR