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ほんのちょっとだけ書きます 不弥国について

邪馬台国九州説とします。


 


こんな展開を考えてみます


 


よく言われることですがまつろが唐津なら、糸島の伊都国に向かって最初東南には歩かないといいますが


 



東京から木更津に歩いて行くとしてその全行程を表現するとき


東京から木更津には


東南に歩く


 


と言うのではないでしょうか。


最初は東北に歩きその後南西に歩くと日常の言語使用で言わないですね。


 


さてふみ国は大宰府のそばの粕屋郡と境の丘とします。この丘の頂上から糸島方面を見ると



見事に見渡せるのですね。


今日ではこの眼下に広がる平野には福岡市があってビルがたくさんありますが


当たり前ですが古代にはビルはない。


ず~っと見渡せたわけですね。


するとこの丘は筑紫平野の見張り台の一つ。


全体としての見張り台は背振山系ですが


この丘は御笠川も筑後川も両方を見渡せる好立地でした。両方の川に船がどう動いてるかが


わかるわけです。


 



この3Dを地図にするとここからあそこを見ています。


ちなみに脊振山系から壱岐をみると



 この黄色のラインは唐津から壱岐へと向かっています。背振に上ると伊都国の全部、マツロコク、一支国まで見えるのです。


さらに



今度は南のほう、佐賀平野方面を背振から見ると、有明海から遠く雲仙が見えるわけです。




 赤いラインは筑後川です。




つまりこの九州北部の勢力は背振を押さえると壱岐から有明海まですべて見ることができるのです。


吉野ケ里遺跡はまさに背振山頂が見えるぎりぎりのところにあります。


この山頂からののろしを見ていたに違いありません。


全体としてはこんな感じ



このように背振からもふみ国からも


古代は眺望による見張りというのが重要だったと思っています。


だって見えるんですから見ないわけないと思うんですね。






さてそんな福岡平野を超えて筑後川にのれば水行の始まりはこのふみ国からと思われます。


筑後川から有明海に出れば内海として熊本、八代、島原などを通り出水から外海にでて


薩摩、日向へと行くことができます。


 


九州島を全体でとらえると、一応、倭人伝の内容に合わせることもできるわけです。


 


琵琶湖の伊勢遺跡や出雲や丹後の赤坂今井古墳、纏向遺跡や唐子鍵遺跡を考えると


邪馬台国はどこか丹後から奈良のどこかと思えなくもないですが


しかし壱岐の原の辻遺跡や吉野ケ里遺跡を考えると


やはり九州島のどこかとも思えます。


いやあ楽しいものです。

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コメント

奈良の天狗

纏向遺跡
卑弥呼と同じ時期に纏向遺跡があり、全国の土器が見つかっています。主要地域、すなわち越、出雲、吉備、尾張などは軒並みに。
するとこの勢力ではないところに卑弥呼がいたというのが九州説となるわけですが、ヤマト創設は実はもう1世紀くらいから始まっていたのではないかと思えてきます。

作者

Unknown
まあ、どこにあってもいいと思っています。

纏向遺跡になんらかの権力があったのは間違いないですね。
全く外の通り。
でも有明海も面白そうだということですね。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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Author:古荘英雄
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