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倭>女王の勢力範囲>女王国(邪馬台国)

倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑


=倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいて、山や島を境界にして国やムラに分かれている。


つまり倭の国は山や島がそのまま境界という狭い領域の国々であるということですね。


そもそも魏史の中の国というのはもちろん今日にようなクニではありません。


魏史韓伝の部分でもみるとわかりやすい。高句麗が今の北朝鮮部分。


韓伝はまさに今の韓国の地域。そこが辰韓と弁韓と馬韓に分かれています。


それなのにそれぞれの内部にはクニがたくさんあります。



 


馬韓54カ国


 



  1. 感奚国

  2. 監奚卑離国

  3. 乾馬国

  4. 古臘国

  5. 古離国

  6. 古卑離国

  7. 古爰国

  8. 古誕者国

  9. 古蒲国

  10. 狗盧国

  11. 臼斯烏旦国

  12. 狗素国

  13. 狗奚国

  14. 內卑離国

  15. 怒藍国

  16. 大石索国

  17. 莫盧国

  18. 萬盧国

  19. 牟盧卑離国

  20. 牟水国

  21. 目支国

  22. 伯濟国

  23. 辟卑離国

  24. 不彌国

  25. 不斯濆邪国

  26. 不雲国

  27. 卑離国

  28. 卑彌国

  29. 駟盧国

  30. 桑外国

  31. 小石索国

  32. 素謂乾国

  33. 速盧不斯国

  34. 臣濆活国

  35. 臣蘇塗国

  36. 臣雲新国

  37. 臣国

  38. 兒林国

  39. 如來卑離国

  40. 冉路国

  41. 優休牟涿国

  42. 爰襄国

  43. 爰池国

  44. 一難国

  45. 一離国

  46. 日華国

  47. 臨素半国

  48. 咨離牟盧国

  49. 支半国

  50. 支侵国

  51. 捷盧国

  52. 楚離国

  53. 楚山塗卑離国

  54. 致利鞠国


 


辰韓12カ国


 



  1. 已柢国

  2. 不斯国

  3. 勤耆国

  4. 難彌離彌凍国

  5. 冉奚国

  6. 弁樂奴国

  7. 軍彌国〈弁軍彌国〉

  8. 如湛国

  9. 戶路国

  10. 州鮮国(馬延国)

  11. 斯盧国

  12. 優由国


 


弁韓12カ国


 


弁韓は12国に分かれていた。魏書では弁韓と辰韓はあわせて24国あるとされるが、辰韓馬延国が重複掲載されている。


 



  1. 弁辰彌離彌凍国

  2. 弁辰接塗国

  3. 弁辰古資彌凍国

  4. 弁辰古淳是国

  5. 弁辰半路国

  6. 弁樂奴国

  7. 弁辰彌烏邪馬国

  8. 弁辰甘路国

  9. 弁辰狗邪国

  10. 弁辰走漕馬国

  11. 弁辰安邪国

  12. 弁辰瀆盧国



78国もの国がこの狭い領域にひしめいているのですね。これは今の国と違うのは当たり前の繰り返しになります。




なぜこの韓伝の部分を対比するかというと、韓伝の範囲は明瞭ですが


倭の範囲は明瞭ではないからです。


一体本当のところどこからどこが倭でしょうか。加羅も倭であった可能性が大きいですね。


朝鮮半島南端から倭が始まるわけです。



倭の範囲は当然今の日本国とそのままかぶりはしません。


北海道や東北は入らないでしょう。問題はでは倭と言われるものの北限はどのへんなのか?


倭=女王の勢力範囲ではありません。




次有奴國此女王境界所盡


つぎに「奴国」がある。ここが女王の境界が尽きるところである。


そしてその境界の向こうには狗奴国があると語っています


この国は女王に従属していない。と書かれています。


狗奴国は女王国の勢力範囲ではないが


倭の領域のなかではある。ということですね。


其年十二月詔書報倭女王曰


=その年の十二月の詔書が倭の女王に報せるところによれば以下のようである。。


詔親魏倭王卑彌呼=親魏倭王卑弥呼に制詔する。


ここにおいて卑弥呼が、邪馬台国の女王が、邪馬台国を中核とする女王の勢力範囲の主である女王が、倭王となります。魏から承認を受けるのですね。


こんな印をもらったとなっています。


漢委奴国王のように発見されるのではと期待もされますがこんな考えがあります。


 


そもそも中国王朝交代時には、諸外国に対して新王朝への忠誠の証として前王朝の印綬の返上を求め、その代わりに新王朝からの印綬を与えるのが慣例となっていた(前漢からへの王朝交代の際に、印綬の交換を巡るトラブルが生じて、匈奴などの離反を招いている)。


 


卑弥呼の後継者とされる台与(あるいは壱与)が、西晋王朝成立の翌年である泰始2年(266年)に朝貢を行っており、これは王朝交代に伴う朝貢と考えられる。「親魏倭王」の金印はこの朝貢時に回収された可能性が高い[要出典](なお、壱与にも「親晋倭王」等の新しい称号と印綬が晋より授与されたと推測されるが、そのことを示す史料は現存していない)。



いずれにしても狗奴国を統べることのない女王に対して倭王の称号を与えたわけですね。


倭全体を勢力範囲においていないにも関わらず、倭王としたわけです。この権威こそが卑弥呼の求めたものということですね。

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コメント

呆旁搖

Unknown
>共立一女子為王

大乱は、「倭国」o「r邪馬台国」 ? (伝の記述から倭国と思いますが)
女王は「邪馬台国だけの」or「女王国連合全体の」 ?

「共立」の文言からor「女王国連合全体の」「女王」の様に感じる。と同時に「邪馬台国の」「女王」でもあったとも。

記事タイトル「倭>女王の勢力範囲>女王国(邪馬台国)」の
「女王の勢力範囲>女王国(邪馬台国)」の図式にきれいに嵌るのか、
このあたりをどう捉えよいのかわからない。
(抱く邪馬台国象にも依ると思いますが)

作者

Unknown
狗奴国は服属してないが倭ですから、倭全体を支配していない女王です。
女王国という表現と女王に服属しているところ全体が一致がどうかはたぶんそんな印象でしたが精査してみますね。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=6251356&from=home_joined_community" rel="nofollow" target=_blank>http://mixi.jp/view_community.pl?id=6251356&from=home_joined_community
なおここは知人がやってる趣味としての古代史で、他にはない思うことそのままかける気楽なコーナーだからよかったら覗いてみてください。

作者

Unknown
狗奴国は服属してないが倭ですから、倭全体を支配していない女王です。
女王国という表現と女王に服属しているところ全体が一致がどうかはたぶんそんな印象でしたが精査してみますね。

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なおここは知人がやってる趣味としての古代史で、他にはない思うことそのままかける気楽なコーナーだからよかったら覗いてみてください。

呆旁搖

皆統屬女王國 ?
>東南陸行五百里、到伊都國、…有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。

ここで、この「皆統屬女王國」の意味はなんだろうか? 解らない。
・「世有王」は「皆」「女王國」の「統屬」下にあったと解釈しょうとした場合に
女王共立の時期と「世有」が不整合?、また倭国王奴国と女王国の関係は?(並立していた?)

・伊都国が女王国連合の「皆」を「女王國」の「統屬」下に置くべく統治していたと解釈しょうとした場合に
「南至邪馬壹國、女王之所都」 の文脈から観て
「世有王」の文言は「到伊都國」に続いているはずでは?

もしかしたら、全くの見当違いの解釈をしようとしているのでしょうか?

作者

Unknown
伊都国、奴国、不弥国、などが並列してあって、
奴国などは女王国の中の国だが王ないなくて邪馬台国の総督が駐屯。
倭のなかに女王国があり、卑弥呼共立体制の国々の連合。そのなかの盟主が邪馬台国。
そして邪馬台国王が倭王を名乗るがそれは女王国内しか支配してない邪馬台国王に、その範囲外の倭王の称号を形として与えた。

狗奴国との戦いへの応援として。


こんなふうに考えてます。

KATS.I

Unknown
ご無沙汰しています。
貴殿の記事はいつも興味深く拝読させていただいています。

東北アジアの解析にコメントさせていただきます。
周辺国の戸数は以下です。
・高句麗 戶三萬
・東沃沮 戶五千
・濊    戶二萬
・馬韓  總十餘萬戶
・弁辰  總四五萬戶
全部合わせても20万戸前後です。
一方倭国は、
・對海國 千餘戸
・一大國 三千許家
・末盧國 四千餘戸
・伊都國 千餘戸
・奴國 二萬餘戸
・不彌國 千餘家
・投馬國 五萬餘戸
・邪馬壹國 七萬餘戸
行程に通過する8國だけで、15万戸。
残り22カ國を合わせると、倭國は40-50万戸であったと思われます。
邪馬壹國を中心とする、筑紫平野+福岡平野は、極めて豊かで平和であったと推察されます。また、魏に対しても影響力があったと想像できます。

作者

戸数
いつもありがとうございます。人口については膨らませているという説もありますが、韓半島の記述を韓伝でしており、東夷伝はそもそも軍事レポートのような雰囲気ですから、10倍説などは逆に眉唾だろうと思います。40万戸として200万人くらいがすでにいたのかもしれません。日本列島の淡水は山からすぐに流れ落ちるし、棚田もつくりやすく米作に最適だと思います。この巨大な島国が韓半島の向こうにあるというのは魏にもいろいろ考えさせたのでしょうね。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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