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倭人伝から畿内説とは思えないいくつかのこと

自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史


女王国の北には、特に「一大率」を設置し、諸国を検察させ、国々は畏れ憚っている。常に伊都国に置かれており、中国の「刺史」のようである。




王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯


王が使節を、洛陽や帯方郡または諸韓国に派遣する場合や、帯方郡の使節が来た場合は、それらの使節は港で文書や賜物をあらため、女王への錯綜が起らないようにする。






九州の有明海沿岸から筑紫平野、宇佐あたりを邪馬台国と比定すると


その北に特に 一大率を置くというのはよくわかります。



方角もその通り北だし、


特に北側におく理由もわかります。


これは壱岐から来る半島の人々の関所になるわけです。そこに軍団をおき沿岸警備をすると同時に壱岐や対馬、末盧国や奴国を監視する機能おある。九州中部の邪馬台国は九州北岸に軍団を奥必要があるわけですね。


 「一大率」の画像検索結果


しかしです。


これを畿内の国の出来事として読むと違和感を覚えるわけです。


なぜ畿内なのに北なのか?


それは水行が東を南と間違えてるから逆なので北になるという曲芸のような解釈が多いのですが。


 


しかし北の国々が恐れるというのは、


どうなのだろうか。


 


畿内から軍団が派遣されて必ず伊都国を通るというが、


しかしそんな遠くの伊都国を畿内からコントロールできるのか?


そもそもそれならば大宰府をあの場所に作らずにそのまま伊都国に大宰府をつくればいいものをなぜ変わったのか?



そして北の国々が一大率を畏れているいうのは?


その場合九州に駐屯している奈良の軍団を九州の国々が恐れているということになります。


2世紀後半から。


 


それでは大和王権が成立したのは2世紀後半ということななります。200年も建国がさかのぼる大変な考え方であるのに


みな安直に畿内説という。


 


そもそも畿内説の人達は行程や伊都国の出来事などあまり頓着しません。


ふみ国がどこかとかどうでもいい。


ようは奈良にきたのだ、途中はみな適当だという


ものすごい論理をいうわけです。


 


さてもう一つ。


奈良は寒いと思うのですね。西日本全域を倭というならば出雲や越の気候の考えると次の個所は


どうなのか?


 


倭地温暖


=倭の土地は温暖である。




これは九州のことではないのか?




皆徒跣=皆はだしである。




雪の積もる奈良で?






というようなことでどうも九州の習俗としか思えないのですね。




それではまた。


 


 

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コメント

呆旁搖

同意です
>遠くの伊都国を畿内からコントロールできるのか?

(であれば)

>大和王権が成立したのは2世紀後半ということななります。
200年も建国がさかのぼる大変な考え方であるのに。

邪馬台国を畿内に比定した場合には「支配力」と「「伊都国」についての説明が必要。
近畿に九州邪馬台国に比肩する、これとは別の文化圏があった、と何故考えないのでしょうか?
伝を捻じ曲げて解釈してまで。
皇国史観あたりが関係しているのでしょうか?

作者

Unknown
邪馬台国=ヤマト国と読むところでしょうか。
これが狗奴国の卑弥呼であれば別の国だとするのでしょうけど
なまじっか似てるものだから。

近畿説の人は
行程について実におおらかに適当に書かれているで、済ませます。

ふみ国は港で畿内へ向かう港となるはずですが
まつろからの行程では福岡平野とか有明海方面になるとか考えない。
それは適当だったのよ、で終わりますね
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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