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邪馬台国の空間

邪馬台国は巨大な領域だったのか。


それても狭い領域だったのか。


 


たとえば日本列島だけで九州の北半分ほどを想定すると、なんだかローカルすぎるわけですが


半島の南端地域も含め対馬、壱岐、出雲の隠岐島、その間の対馬海峡沿いの島々を想定すると


広大な領域になる。



邪馬台国は対馬海峡国家だったと想像しています。



 


このとき日本列島も朝鮮半島もない、まさにその接合点こそが邪馬台国だったとなります。


そして対馬海峡の制海権があれば九州北端といえども半島の人ものがいくらでも補給できるわけです。



そういう地理的な見方をすると今日の端っこどうしをつなぐと


じつはど真ん中に邪馬台国があったということになるのです。


 


卑弥呼の都はしかし対馬海峡の中ではないですね。それはそうではないくらは倭人伝でのわかるわけです。


では?となりますが


対馬海峡こそ生命線の邪馬台国が近畿にはないように思います。


対馬海峡の両岸でもっとも豊かな平野はどこか?筑紫平野と佐賀平野と福岡平野です。その横に伊都国の平野があり、そこから壱岐が見えるわけです。



そして筑紫平野にくると有明海があるわけですね。


それは海の民邪馬台国にはさらなる広がりを南方にのばすわけですね。


 

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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Author:古荘英雄
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