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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」伊勢尾張は2世紀には全国区の勢力だった


伊勢尾張は二世紀には全国区。


アメノハカリノミコトは丹後に上陸。ここに海部氏の根拠地ができます。


そこにはホアカリノミコトの天孫降臨伝説があります。


そして籠神社。それはやがて伊勢にご神体をうつしたので


元伊勢神社と呼ばれます。


それにしてもこの地域3つの海に面して真ん中に琵琶湖があって、この3つの海を支配したから


全国を支配できたのでしょうね。


とにかく琵琶湖にくれば丹後は峠ひとつ超えたところ。河内は川を下るだけ。


伊勢尾張も濃尾平野にすぐに出てあとは川くだりです。


この地図の右端の伊勢から尾張にかけては2世紀にはS字状土器というものを東国一円から北部九州まで流通させます。


この土器は伊勢の川の砂をまぶしてつくってそこの砂であることがブランドであったらしいのです。



東国にはこのように土器が伊勢から分布していきます。


ちなみにこれはヤマトタケルの行程と似ています。



ヤマトタケルの東の行動は英雄的で悲劇的で、出雲や熊襲での行動は暗殺や卑怯なやりかたで、


別人であるかのようです。


この東側にいった人物はヤマトの人ではなくて伊勢尾張の人がヤマト以前に行動した記録であるという説を読みまして感銘を受けました。


さらに最初にマキムクを建設したのは、この伊勢尾張勢力であったと。立地的に奈良盆地の東の山にくっついてあります。これは東から山を越えて来た


人たちがその山に向かっていつでも行けるように山際に作ったというのです。



さて二世紀から三世紀にかけて伊勢尾張の土器がほぼ東国中心にほぼ日本中流通していたということと、


マキムクを最初に建設したのは


伊勢尾張勢力ということになりますと、


長脛彦というのは伊勢尾張の人ではないかとも思えます。


伊勢尾張が築いた奈良盆地に後から吉備のニギハヤヒがやってきて共同運営することにした。


 


だから最大の謎はなぜ西から来るものとして、


ナガスネヒコは


ニギハヤヒは受け入れて神武とは戦ったのか?


神武がよそものだから戦ったのだったら、ニギハヤヒとも戦ったのではないだろうか?


ちなみに受け入れたのは


吉備だけではなくて出雲の丹後も受け入れている。そして地元の土器はないことから


マキムクというのは周辺大国による宗教都市である。


なのになぜ神武だけとは戦ったのか?


 


こんなことがとても面白く書かれている本でした



そしてネタばれしてしまうとこの作者はなんと邪馬台国とクナ国についてぼくと同じ見解をもたれてました。ちょっと解釈が違いますが


まあプロの学者とぼくの解釈が違うなどとおこがましい話ですが・・・・・


邪馬台国まきむく説ではクナ国は存在しなくなる。


伊勢尾張と畿内は同盟関係である。


 


だからヤマトは3世紀に畿内にすでにあった。


そのヤマトに半島交易の権益をすべて奪われて衰退していた北九州こそが邪馬台国であるとする。


それは同じ意見です。


そしてクナ国とはヤマトのことである。


これも同じ意見。


ただし作者はこういう。


北部九州は帯方郡にうそをついて自分たちがヤマトだと言った。本当のヤマトは畿内にある。


しかし親魏倭王をもらって、権威付けして本当のヤマトに滅ぼされないようにした。


しかしやげて本当のヤマトが侵攻してくる。これがクナ国と交戦である。


 


ぼくはうそをついていたとは思いません。


単に北部九州勢力は対馬と壱岐と加羅の地域で交易する国だった。


=邪馬台国


そして列島内最大勢力のヤマトは九州にも手を伸ばしてきたという単純な話。


北部九州は文化的には、


列島の西南の島というより、


半島の南の島


という位置づけであったと思うのです。


人々の心理として。



しかし2世紀には伊勢尾張の土器が全国に流通して


吉備経由と丹後経由で半島大陸文化が


畿内や伊勢尾張に流入してきて


鉄さえそのルートでやってきたということであれば


畿内の歴史はぼくの思っていた100年から200年は早くスタートしている


そう思いました。


また古代史の新しい幕は開きました。


伊勢尾張。


そして吉備、丹後。


無限に興味は広がる


みたいですね。


 


 


 

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コメント

呆旁搖

Unknown
縄文期から全国区の勢力だった様な気がします。

歴史の足跡は解りませんが、地理的には要の地・交流の交差点だったと思います。北・東からは山岳2系統と太平洋岸ルート。若狭湾・近江を経て半島・九州などとも。伊賀越えで奈良・瀬戸内・日向などとも。前記事の黒潮ルートで越などの南方とも直接。

作者

Unknown
2世紀にはこの地域から九州にむかってものが流れていたのならば、邪馬台国時代にはヤマトの原型ができていたというのもあながちありえないこともないかとも思うですが、しかしそれでも伊都国を設置して、九州を監視できるほどの支配力はないだろうと思うのですね。魏志に登場する邪馬台国はやはりヤマトとは別。伊都国の問題は重要だと思うのです。

作者

Unknown
琵琶湖東の伊勢遺跡など知りませんでしたが、すごいものですね。なぜそこに伊勢という地名があるのか?

神墓学者

新たな章へ
九州から畿内へ本格的に思索の対象の切り替えでしょうか。これまではアンチテーゼとしての畿内のような印象でしたが今回は本格的に畿内に。という印象です。伊勢といえば琵琶湖沿岸に伊勢遺跡がありますね。なぜ同じ地名なのでしょうか。もしかして、琵琶湖がオリジナルで南下したのでしょうか?

呆旁搖

イセ シマ
伊都 志摩 、伊勢 志摩 、伊勢 滋賀 。
水運の地に、よく似た地名が、セットで。
" シガ " 。このブログで海の民に関して述べられていた様な記憶が。

尾張と隣接の琵琶湖南岸。列島を行き来するするときには、通らざるを得ない地理。
交流面では、やはり全国区でしょうか。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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