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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」再録です が 邪馬台国自身が記した歴史や政治の記録はあったはずだ

邪馬台国自身が記した文字記録


ところどころ随分今では意見が変わったりしてるし


生意気っぽい書き方でどうかとも思いますが


久しぶりに最初の頃の自分の考え方を読んでそれなりに面白かったので。




前から不思議に思っていたが、邪馬台国を含めて3世紀の倭国は文字を使って記録をとっていないのか?


親魏倭王の文書や金印をもらって読めていたわけだ。帯方郡とのやりとりもまさか使者の口頭のみ、なんてありえないだろう。


まさか読めないのに、文書もらったり、魏にしても文字も読めない国と外交も何もないだろう。


そこで思うのは、 読めるのに全く書かないことがあるだろうか?


「倭国建国記」「倭国大乱記」「魏交渉史」など。


きっとあったに違いない。ではそれはどこに行ったのか?


狗奴国だって「邪馬台国攻防記」「くな国建国記」とかありそうです。


それは蘇我氏滅亡のおりに焼かれた日本旧記など。


古事記に登場する一書に曰くの「一書」の一つだろうか。


それでも伝承というものはどうなるか?


人口50万人から80万人の共同体の記憶が口承でまるでないなどというのは、ありえないと思う。


今の感覚で言えば1000万人の都市だ。当時、500人程度の村落共同体からくにへ数万人の国に発展し、その連合体として50万人ごえの共同体である。


ただの田舎の伝承ではなく、たとえば出雲における神在月のような広域なものがないとおかしい。


ちなみに私の田舎、大分県臼杵市では、神無月に出雲にいった自分の神様を呼び返すのに、


焚き火に竹をいれて、パッカーんと鳴らすのを村ぢゅうで祭りのようにやっていた。


出雲の存在感の名残である。


出雲と大分県の距離でもこうである。邪馬台国の広域伝承はない。変容してあるのか。「


 


それでは推理してみよう!!


邪馬台国が自身の歴史をかくとどうなるか。


当時の邪馬台国人になったつもりで自由に。


1.倭国大乱のことを書く。


  どの国とどう戦ったか。どこの王がどんなふうに軍を動かしたか。連合と裏切りはどうだったか。くな国などがどう介入したか


2.卑弥呼擁立とその統治のことを書く。


  戦をやめる手段として姫巫女を中心に据えた。だれの発案だったか。それは神の意思だっということにするか。


3.そして出雲に国譲りを迫ったのならそれを書く。


4.魏との外交を書く


5.くな国との争いを書く。


6.卑弥呼没後の混乱を書く。


****どの時点で書くによってどこまで書くかは変わるけど、間違いなく書くのは


建国の経緯です。すべての神話はそこから始まる。


ここで仮説を立てます。邪馬台国は対馬海峡の海人勢力が米作のために上陸して作った国々の連合王国である。


するとまずは博多湾に上陸して平野を開発して有明海にたどり着いたことを書く。


これは天孫降臨だ。


そして海人として海と島々で暮らしていたころの伝説を書く。これは邪馬台国の神代記だ。いざなぎいざなみになるだろう。でもあれは出雲地方で活動しているが・・・・・


古事記の3ページ目には宗像とか出てきて九州北岸のできごとのようだし。


九州北岸勢力の邪馬台国は出雲を獲った。


そうか、高天原は邪馬台国のことだな。という気がしてくる。


高天原=邪馬台国として考え、


日本神話は九州北部の邪馬台国の歴史記録なのだと考えると


すんなりものごとが収まります。


近畿の大和朝廷の記録としてはすぐに宗像の神や出雲が出てくる。


本来ありえないくらい不自然な話です。河内平野の勢力の神話の最初が


九州で次が出雲で近す。おかしいですね。


つまりあの部分は邪馬台国記なのです。


不弥国や奴国や投馬国とはいつごろどうやって同盟を結んだのか?伊都国は誰の発案でどういう理由でそこに作ったのか・伊都国の責任者はどれくらいの頻度で邪馬台国に来てたのか?


倭国大乱が収まったときにこれらの国々は連合したのか。それとも大乱時代からの同盟国なのか。


こんなたぐいの記録を書き連ねていったのが、高天原の一連の記述なのではないか?


 


邪馬台国が自身のことを書くとどうなるかという視点が重要だ。


魏の視点だと倭人伝になるが、当の本人はあんなことを書かない。


自分たちの習俗や国の広さや帯方郡への距離など関係ない。周知の事実だ。


邪馬台国自身の歴史とは?


実は場所にばかり注目して、そして魏サイドの視点に日本人までがなってるが、


邪馬台国サイドにたった、そういう視点はあまりに少ない


私たち日本は、それがいつごろ発足したのか?大乱以前にどんな国々があったのか。どういう勢力が中心で戦っていたか。だれが卑弥呼という巫女をたてて和平を結ぼうと言ったのか?卑弥呼は女王になるまで争ってる国のどれに所属して何をやってたか。


何も知らない。それを知っていたのは邪馬台国自身だ。


そして大和朝廷はどう考えても後継者だ。


経済的軍事的にそうでないとおかしいのである。


民族や宗教は別としても政権のコアは後継していると思う。


なぜなら


邪馬台国は7万戸数。投馬国は5万戸数。奴国は2万戸数。周辺合わせて1万戸数として


全部で15万戸数。邪馬台国連合の総人口は60万人くらい。


同時代の新羅だと1戸数に6.5人いたそうですから100万人です。


邪馬台国本国で50万人くらいいるわけか。


当時の日本列島の人口は300万人くらいと推定される。


そうすると邪馬台国連合は3分の1の人口を持つ。


邪馬台国以外は、くな国が別にある。そして出雲、若狭湾から能登半島、近畿、岡山、濃尾平野、四国、関東平野、東北があるのだが。


うーん近畿勢力、岡山四国勢力、能登半島勢力、東国で30万人づつくらいかな。


どっちにしても突出した勢力だ。


ということは一地方勢力として自然消滅はしていない。


大和朝廷に東征してなったか、大和朝廷に滅ぼされたか。どちらかだ。


記紀に邪馬台国の記述がない。


天皇の記録があるがその前は神話になっている。


これこそ邪馬台国が大和朝廷になった証拠だ。


神話の部分が邪馬台国記だからだ。


邪馬台国の出来事は


九州上陸以前の時代の邪馬台国神話からはじまり


高天原という邪馬台国時代のできごとがあって、


神武東征を経て大和朝廷に続いていく。


古代の河内平野の大和朝廷は「邪馬台国」や「卑弥呼」というのが歴史的に重要などという意識は


当然ゼロですから、こういう思考の流れになる。


自分たちは近畿の支配者でそこをコアに倭国全土を勢力下におく。


自分たちの近畿の歴史は神武東征以降である。


本国の邪馬台国時代は神話として記録する。


邪馬台国上陸以前の建国の経緯はさらにその前の建国神話として記録する。


 


邪馬台国自身は自分たちに歴史的に重要という視点はありません。


邪馬台国自身は大和朝廷として九州時代の記録を神話として書いた。


この神話がいかに九州と対馬海峡、海での出来事とマッチしていくかを研究していきたいと思います。


 

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コメント

murasawatakehiko

Unknown
最近知りましたが、久留米の高良大社は神無月に神様は出雲に行かず高良大社に居るらしいですね。出雲系?の不思議な筑後一の宮ですね。高良山の神籠石の石列は南斜面、八女側に対して築かれているのが肝心ですね。
谷に水門があり貯水目的と書かれてるのもありますが、傍に筑後川や矢部川があるのに貯水は要らないでしょう?と否定的に感じます。あの穴の位置関係からは自己水没を防ぐ放水用の穴かと思います。
記紀に書かれていないのも共通点ですね。

筑紫ぶらぶら

邪馬台国というよりも…
九州王朝かな?とも思いました。
たしかに、神話として封印しているような気がしてきます。

作者

Unknown
高良大社。そうですか。知りませんでした。諏訪や能登の神様も神無月に出雲に行かない神様がいました。
この出雲に行かないとはどういうことで、実際全国にどれだけの数あるのでしょう?対馬の神は一番遅く行って一番早く帰ってきたという伝承があったりしますし。出雲って?ですね。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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