FC2ブログ

南狗奴国であればこんな関係か?加工再録です

素人考えです。


まずは狗奴国は総勢力15万戸近くの邪馬台国と長期間にわたって争った大国である。


そのために邪馬台国が親魏倭王の称号をほっしたほどの相手である。


同規模の国だと考えるべきであろう。


同規模の平野に存立したと考えるべきだろう。


 邪馬台国はいつも狗奴国と争っていた。


ここでも軍事的観点と地政学的観点で見ていきたい。


今はくなこくは、大和朝廷のことだと思っています。


奈良からの軍勢に対抗する軍勢を帯方郡から送ってほしいと依頼にいったのだと思ってます。



つまり邪馬台国は九州の巨大勢力で半島の支援付きの水軍が強い。


一方ヤマトは奈良に発生して九州まで攻め込んできている。




しかし、


南にクナ国があるというのが正しければである。


その場合


争うということは両国は近いのである。


ドイツとフランスはずっと争いつづけた。それは隣同士だったからだ。


今川と織田、上杉と武田、争いつづける勢力は隣なのです。近いのです。


ポルトガルとデンマークが仲が悪いとか、インドと韓国が仲が悪いとか聞いたことがない。


狗奴国が鹿児島とか宮崎で山向こうとか、濃尾平野と河内平野の争いとかいろんな説がありますが、


そんなんに遠かったら日本列島の地理的条件下では争わない。


なぜなら、山で遮られた平野は独立した経済圏ですから、死活的な意味では他を必要としない。


貿易はあったろうし不作のための相互扶助体制もあったかもしれないが、


相手の土地を取らないと自国が破滅するとか、そんなことはない。


だからいつもいつも争い、


そのために魏の権威づけまで欲しがるというのは、


争うのが当たり前な地理的条件があったと考えるべきです。


そこで



この地図で筑紫平野が邪馬台国、熊本平野が狗奴国です。そうすると、平野同士の国境があります。


両大国は海に平野に山にとても長い国境をもっていることがわかります。



最初はとても小規模の平野の田んぼ争い、水争い。


水上交通でどちらの船がよけるべきかなどでのいさかい。


小規規模な山の川の権利争い、森林伐採争い、などだったことでしょう。


それが何十年も延々と繰り返されるうちに、歯止めが利かなくなる。よく騒音問題で隣人と大喧嘩するようになったり、ごみの出し方が気に入らないと言い争いになったりして、挙句は殺人事件にまでなったりすることがある。


はたから見れば些細なことでも、常に隣にいる人間が常に気に食わないことをやり続けると、人間我慢できなくなるのですね。


そんな風にして両国の人々は互いに相手を生理的にも嫌うようになる。


想像するとこんな感じ。


邪馬台国の言い分


狗奴国人など、阿蘇山の火山灰をかぶった火山人間だ、近寄ると火山灰くさくていかん、噴火するたびに山に祈って馬鹿じゃないのか。あんなに山が好きなら。山のふもとに全員移住すればいいのだ。平野は俺たちがもらうよ・


狗奴国人の言い分


海の人間が陸に上がってくるなっていうんだ。潜って魚食ってればいいんだ。あいつらに米を食わせるんて米がかわいそうだ。なんかあればすぐに船に乗って逃げるし、半島と仲がいいことをすぐに鼻にかける。それに、なんかあればすぐに魏になきつく魏の飼い犬めが。


本当に隣国というのは仲の悪いものです 


さかうらみや、勘違いや子供達に嘘を教えて邪馬台国の悪口ばかり。くなこくの柄貝はなしばかりとか。だんだん顔を見るのも嫌になります。


両国の地政学的な位置関係では土地争いがおこる。


有明海でも争いがおこる。海洋民族邪馬台国人は当然我が物顔で有明海を移動する。狗奴国の沖合にいつも邪馬台国と投馬国の船が浮かんでいる。


平野も海も、争いの元です。


そしてそれらが原因で山間部にのびる両国の国境はすべて紛争の種になる。


こういう理由で争いが絶えないのです。


これだけの地理的必然があってはじめて争いは続くのです。例えば熊本平野と宮崎平野は日常的に無関係だからいさかいや単発の戦はあっても、長期間にわたって紛争が続くことはない。


 


こういう歴史上例も多々ある現象についても、邪馬台国論議はなおざりになっていて、神学論争的に、複雑な解釈をしているように思う。場所の地名の必然性とか、陳寿がいい加減な情報をもとにおおざっぱな記述をしたとか、大和朝廷の関係でいえばとか・・・・・・・・・


重要なのはなぜそうだったかです。


なぜ邪馬台国連合は15万戸を食わせることができたか


  広い平野にあったのです


なぜ狗奴国と争っていたのか


  前記のような理由です


なぜ伊都国に外交防衛を委託したのか(ほとんど後の大宰府の権限ですからね)


 立地がそのようであったからです。博多湾から邪馬台国本土に行くとき


 絶対に通過する狭い地点だったことと、山に挟まれて両脇狭いから防衛上もそのゾーンを守れば大軍を撃破できるからです


 


要するにこういうことです。


邪馬台国は人間の作った国であり、


経済、国境維持、軍事、など当たり前の動機で動いていたのである。


これだけくっついてるからこそ争う。そして二つの平野がこうもくっついて、豊かで凪いだ海の上でも接し、延々と山々にも国境が続く。そんな風にして存立する巨大な平野というのはここしかない。


*八女津姫の根拠地である矢部は、邪馬台国側だと思うがあまりにも阿蘇に、狗奴国に近くて不思議に感じてましたが、ここはあるいは山間部の国境守備の前線基地だったかもしれませんね。そんな拠点ごとに守り神的な意味合いで姫巫女も駐在していたのかもと考えてます。八女津姫は八女から国境守備の兵士を激励鼓舞するために、矢部に駐在していた・・・・・・


だから狗奴国は熊本平野だし、邪馬台国はどう考えても筑紫平野です。




しかし匈奴と漢民族の関係を考えると、くなこくは球磨郡あたりを根城とする山岳民だという考え方も出てきます。そうなると身軽に狩猟する集団だから戦が強かったという話になってきます。これは第三の考え方でいずれ考察したいと思います。

スポンサーリンク

コメント

天地無我

今後が楽しみ
他の論文に欠落していた観点であり結論は若干私論と≠ですが、大変面白く今後楽しみにいています。             フィナンシャルの神髄と孫子・仏教原理のような貴殿の論文を読んでみたくとも思いました。

作者より

Unknown
ありがとうございます。今後の励みになります。Googleアースで倭人伝をなぞった驚きと私的発見の随想を勝手に書いてますが、すっかりはまったので、勉強していきたいと思ってます。
でも古代史を横から眺める感覚が好きなのかもですね。

天地無我

お礼と私見の立脚点
丁寧な返信に39です。私見の立脚点は魏志倭人伝≒,記紀≒、社会現象の普遍性整合性(貴殿の立脚点と≒?)です。
ヤマト・ヒミコ・ヒムカは象徴・ブランド。宇佐神宮・日向から天皇家へ?。九州→出雲→奈良へは数回に亘り。紀伊半島と九州の地名類似…浅倉甘木地区の人々・国出身者がブランド(権威づけ)としてヤマトを活用の可能性。

呆旁搖

なつかしく
切り口、着眼など斬新で面白く、その後も欠かさず拝読させて頂いています。

投稿の最初の記事・テーマでしたので…。

天地無我

作者

Unknown
ご無沙汰しております。この時のコメントはとても嬉しかったです。最近はミクシーの方にだいぶエネルギーを入れてるので、少しブログがサボリ気味ですが、有明海とか、食料とか太宰府とかで入力するとわたしの記事が検索の上の方にきて密かに感激してます。ニッチを狙ったわけでもないですが、しかし有明海邪馬台国で一番上に来るというのは考古学者何やってんだとかいいたくなります。

作者

Unknown
ご無沙汰しております。この時のコメントはとても嬉しかったです。最近はミクシーの方にだいぶエネルギーを入れてるので、少しブログがサボリ気味ですが、有明海とか、食料とか太宰府とかで入力するとわたしの記事が検索の上の方にきて密かに感激してます。ニッチを狙ったわけでもないですが、しかし有明海邪馬台国で一番上に来るというのは考古学者何やってんだとかいいたくなります。
非公開コメント

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

スポンサードリンク

プロフィール

古荘英雄

Author:古荘英雄
一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

ブログ村ランキング参加中

ブログ村古代史ランキング参加中

PVランキング参加中

ブロとも申請フォーム

検索フォーム

QRコード

QR