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「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」伊都国はどこ?糸島天動説を考える 再録

そもそもこう書かれている


女王国より北には、特別に一つの大率(たいすい、だいそつ)を置いて諸国を監察させており、諸国はこれを畏(おそ)れている。


北にあると書いてるし、この場所にあることで諸国を監察するのである。邪馬台国本国より地政学上に有利というわけである。






以下はある人の意見。


糸島が伊都国だということは動かないから


それ以外のものを徹底的に操作する。


ぼくはこれを「邪馬台国糸島天動説」と呼ぶ。


何が何でも糸島が絶対伊都国ということです。


伊都国行路 東南から東北に陸行


曰く


「上記疑問の最も単純な解は、末盧国-伊都国間の行路記事を以て倭人伝全体の記述を信用出来ないものと大胆に切り捨てるもので あろう


しかし、流石に それは短慮では ないか
思うに それは、思考の停止と言うべきか、或いは、先(ま)ず結論ありき の、行き先を どうしても関西に持って行きたい者達の恣意と言うべきか(そのまま糸島に持っていきたいと言ってるから同じだと思います)

今少し原文を読まんと思う人は、唐津から一旦東南に道を取り、その後川沿いに東に向い、山間(やまあい)を北上して糸島に至る道を想定している様で ある(上陸して東南に500里歩いたと書いてるのに、原文に沿うと、どうして一旦東南で、その後東で、さらに北に行くのか?こんなのゴールが糸島と決まってるからめちゃくちゃに原文を無視してるのだ。糸島天動説の極致だ)


 


糸島が伊都国で、ここに一大卒をおき、女王国の北を抑えたというのはどう解釈するのか?


糸島半島に軍事基地があってその東側に邪馬台国があるなどと、軍事的には沖縄防衛のために北海道に陸上自衛隊を駐屯させるというくらいへんな話だ。


北部諸勢力は、遠賀、田川、宇佐、京、宗像、とかあの辺の平野の國だろう。


それを抑えるためにどうして邪馬台国からみて、それらの勢力の逆がわの山の半島に軍があるのか。


陸軍も無意味だし、そもそも大きな水軍はまつろ国からでるだろう、糸島からも水軍を出せるならまつろ国を経由せず直接伊都国に上陸すればいいのだ。いや、そもそも壱岐から直接邪馬台国に上陸すればいいのだ。


こんなに近くて地政学的に同じような立地ならば、一大卒も軍も邪馬台国そのものにおけばよいのだ。


糸島になぜ必ず使節がよるのか?こんな近くにあれば邪馬台国そのものにすぐ行けばいいのだ。


こんな風に考えるべきですね。上陸したあと東南に5百里歩けるところはどこか?



おあつらえ向きにというか、測ったようにと言うか!!


博多湾に上陸したらズバッと博多平野を東南に大宰府方面にむかって歩けます。


なぜこの倭人伝通りに読まないのだろう?


しかもその東南500里先に太宰府があるのだ。


これは何か歴史的な因果関係があると思う方が正常だ。


太宰府が大和朝廷から与えられた機能と、


伊都国が邪馬台国から与えられた機能は全く同じなのである。


ウィキペディアによると


 


外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国(筑前筑後豊前豊後肥前肥後日向薩摩大隅)と三島(壱岐対馬多禰(現在の大隅諸島824年に大隅に編入))については、(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。


 


軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司、主船司を置き、西辺国境の防備を担っていた。


 


外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館(こうろかん)が那津(現在の博多湾)の沿岸に置かれた。


どうでしょうか?これは太宰府の解説ですが、まるで倭人伝の伊都国の説明みたいですね。


「女王国より北には、特別に一つの大率(たいすい、だいそつ)を置いて諸国を監察させており、諸国はこれを畏(おそ)れている。大率はいつも伊都国で政務を執り、それぞれの国にとって中国の刺史(しし)のような役割を持っている。王が京都(洛陽)や帯方郡や諸韓国に使者を派遣したり、帯方郡が倭国へ使者を遣わすときは、いつも津(しん・水上交通上の関)で、文書や賜与された物品を点検して、伝送して女王のもとへ到着する時に、間違いがないようにする」


この地域が伝統的に朝鮮中国との交流の拠点として重要な意味を持っていた。そのため一大率は、伊都国に常駐して北部九州を行政的・軍事的にも統括する任務や女王の行う外交の実務を厳格に監督し実行する任務を持っており、女王の命を受けて全ての外交実務を伊都国で掌握していたとされる。


この陸路は現在でも、JR、西鉄電車、九州自動車道が通る道です。さらに太宰府から有明海方面にやはりJR、西鉄電車、九州自動車道が走ります。


そこでこんなふうに邪馬台国とそこまでの国々を比定するとこうなります。


こうすると不弥国は、奴国=朝倉平野の東の端から、倭人伝の縮尺でちょうど100里のところの、山を超えたところの平野になります。その平野はなんと日田盆地です。久津姫の日田ですね。日田からは筑後川に川が流れ、日田の森林の木々はその川をわたって、佐賀平野に直行します。さらに、周辺の平野から裏を取られないように軍事的要衝でもある。


地政学的に大いに意味があるのです。


だから戸数は少なくても記述する。


伊都国 地溝 北の国 地図


伊都国も戸数が少ない。戸数が少ないのに記述するのは、要は軍の駐屯地なのです。


太宰府=伊都国は博多平野と佐賀平野のあいだの山のくびれたあたりにあるのです。まさに軍事的要衝であり、海から邪馬台国への陸路の門、関所のようなところですね。


このような配置となるから伊都国には地理的に必ず立ち寄るのです。


ここを通過しないと、わざわざ山越えすることになるわけですから。


博多湾から大宰府には実際歩いてみると、現代の舗装された道をスニーカー履いて真剣に歩いて6時間くらいかかります。(ぼくは歩きましたよ)


当時なら10時間はかかっただろう。


するとちょうど、邪馬台国に着く前に、伊都国で休憩をすることになり、宿泊します。地理的にも時間的にも、ここに使節は立ち寄らざるを得ないのです。


こういう人間の営みの当たり前の側面からも考えて欲しい。糸島に伊都国がある必然性は何一つありません。


どのみち全部が発掘されてない遺跡をもとに考えてはいけません。そんなことなら荒神谷遺跡が発掘されるまで出雲の勢力は、神話のみで実際には存在しないことになるわけです。


神話であそこまで書かれたら出雲はやはりあった。トロイアしかり。メソポタミア文明なんてまず文献があってそれから遺跡です。




そして伊都国はここにあるから北部勢力を抑えられる。


繰り返しますがそれはまさに後の世で太宰府が持つ役割ですね。大和朝廷が与えた。しかし、近畿の人がやってきて九州全土はここに基地をつくれば便利だな、と思うでしょうか。


 


もし九州が大和朝廷にあとから支配されたとしても、近畿の人が来る前からすでにそういう役割を太宰府は果たしていた。つまり伊都国は太宰府です。太宰府は伊都国の機能を引き継いだ。


しかしながら近畿のひとがあとか筑紫を支配したとは思えません。


ぼくは伊都国かまつろ国のクーデターが姫巫女体制を滅ぼし、実利と軍事の王の時代がはじまったと考えます。


そしてその新邪馬台国の


東方遠征軍こそ神武東征だと。


東征の理由は阿蘇噴火で荒廃した佐賀平野の代わりになりうる大きな平野を支配すること。


火山噴火の恐れのない新たな平野を手に入れることだった。


阿蘇山噴火は確実に佐賀平野や熊本平野を荒廃させ、遺跡だって見つかりにくくなる。


光り輝く古代有明海文明は阿蘇噴火で荒廃したのです。


クレタ島文明が火山噴火と津波で滅びてギリシャ人が後継しのと同じです。ちなみエジプトで見つかったクレタ島大津波の記述は、プラトンのアトランティス沈没の記述と瓜二つ。クレタ島近くの聖地である火山島に聖なる都市があって、そこは噴火で島ごとふっとんで、消えたのですがその聖なる火山島こそアトランティスの原型だと。


 

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コメント

KATS.I

筑紫館
全く同感です。伊都國には筑紫館(鴻臚館)のような施設があった思います。糸島=伊都國とするなら、この施設が後世、平和台に移ることは、無理筋と思います。
伊都國は博多湾~福岡平野であると思います。

作者

Unknown
ありがとうございます。Googleアースで倭人伝にそってなぞっていくと壱岐から香椎あたりに上陸しました。
そして香椎から南東に倭人伝内の縮尺で50里で大宰府がありました。
それが私の邪馬台国探検の出発点。
なんのことはない、博多湾に上陸して、福岡平野、筑紫平野を歩いただけなのだ。と。現代でも高速道路もJRもみな大宰府を経由して筑紫平野と福岡平野がつながりますしね。

ただいろいろ見聞きしてると古代には船の役割が思った以上に大きく、また糸島には神在町というのがあったり、神集島があったり、天降り神社がたくさんあったり、少なくと天孫降臨の場所のような気がします。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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