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漢委奴国王は世紀の誤解 再録「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」

漢の委の奴の国王という金印。



 


漢の委奴の国王が正しいという説もあります。「かんのいとのこくおう」「かんのいとこくおう」


ぼくはじつは金印そのものが間違ってるか、馬鹿にされたものだったかもなどと想像してます。


匈奴という国がありました。倭奴は匈奴と対比すると倭奴ワナ国とも読めます。


奴は匈奴の場合も漢では 「な」 と読んでたとのことで 委奴=いと は少し厳しいかなと。匈奴は「フン」もしくは「ヒュン、キョウ」だそうです。当時は奴はですね。


匈奴の人たちが自分たちを「フンナ」と名乗っていたので、漢が字をあてて「匈奴」としたわけで、「な」に奴をあてたわけですね。ちなみに「奴」というのは侮蔑文字です。これ大事なこと。(ローマ帝国はフン族に苦しめれました。フン族=匈奴説は強いです)



  • 「匈」「奴」ともに中国語における悪字で、匈は胸に通じ「匈匈」は喧騒・騒乱を意味する、奴も下に見た呼び方で、「匈奴」は騒乱を起こす連中の意、これを周・春秋戦国時代の北方民族の音写「葷粥」「胡貉」「昆夷」「玁狁」に当てたとする説[6]


 ということは倭奴は倭の連中ということですね。



それにしても匈奴ってすごいですね。紫色の点が倭ですね。


で、人情から言って、「倭の中の奴国の王」という意味もおかしいのでは。


倭人の中の一つの国の、奴の王に金印を与えるでしょうか。


そういうワンオブthemの国という認識のまま


金印を与えるでしょうか。



立派ですよね。


だからこれはワナ国王。という読みで「倭奴国の王」という意味だと思うのです。


しかしですね。


肝心なのはここからです。


奴という漢字は蔑視する際の文字です、それもかなりの。


さっきの匈奴がいい例ですね。匈奴に比して倭奴ですよ。


 


本当は「漢倭国王」=漢の倭国王・漢の倭国の王


のはずが、漢が「奴」の文字を入れた。


そもそも漢や唐などの中華以外の周辺国は基本はみな国名は二文字です。匈奴の地図をみてもらってもほぼそうですね。


ところが東夷の最果ての国が一文字で  倭  という。


そこで金印を掘る時には2文字にした。もちろん 倭 の 連中 ということで


「倭奴」と。


 


向こうからみれば東夷の蛮人です、なにかあったかもしれない。


それで「倭国王」ではなくて「倭奴国王」とほった金印を渡した。


奴の文字の入った金印をありがたがるでしょうか?


馬鹿にされてないでしょうか?


まさか自分たちを喜んで奴国と書くでしょうか?文字の意味を知ってて。


「なのくに」はあったかもしれませんが。奴とは書かないでしょう。自らが。


そしてまつろ国=志賀島に船で到着した使者たちは帰国してすぐに出迎えの連中と相談して


こんなの国辱だということで、埋めた。


今で言えばジャップと記載されてるのと同じでしょう。


捨ててしまうのは漢の手前まずくいざという時は掘り出すために。


捨てずに埋めた。


だから志賀島から出てきたのであり、志賀島に埋めたのです。


そもそも志賀島が半島への発着場でなければ金印などといういわば国家の最重要物がいくら博多湾の国だからといって志賀島からでないでしょう。どこか天神とか大濠公園のあたりとか、太宰府の手前とかで出てくる。


あんな重要なものが出てきたのだから志賀島の地位というものがあるのです。


だから漢と行き来していたのは、倭王だった。


つまり金印をもらったのは、一地方の国である「奴」国なるものではなくて。


倭そのものの王=倭王というとになります。





私たちは、ひょっとして「奴国」というものに対して大いなる誤解をしているのではないか?


奴国。匈奴の例から、これって馬鹿にしきった国名ですよ。


ジャップと記載されてるのと同じでしょう。


金印のときにそんな国はなかった。


あったのはもしかして最初から邪馬台国であり。


それは倭王と名乗っていた。


そんな想像をしています。


 


 

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コメント

murasawatakehiko

日の御子
金印と邪馬台国
意外と両方を関連付けて解き明かす邪馬台国探しは少ないですよね。
帚木蓬生さんの「日御子」はまさに金印の場面から始まる世紀を超えた邪馬台国の物語です。面白いですよ。田中博さんの「日の御子の国」も面白いです、絶版ですけど。

作者

Unknown
是非よんでみます。目下「聖灰の暗号  わ半分ほど読んだとこてす。
いやあ、オモシロイ!

呆旁搖

フリーハンドで
倭。中華勢力は、当初海洋勢一般を"海人=アマ"とこれが時代を経て、転じ"ワ"→"倭"→"倭国・倭人"などと。

蔑称。当時は、中華も周辺の勢力も、これを当然とのこと、当たり前のこととしていたのでは?。
倭では、倭の五王の頃までは。朝貢をしていたが、蔑称は使われていない。どう解釈するか?。もっとも、五王が何者か?、どこの勢力で有ったか?にもよるが。
白村江の戦い頃には、中華とは別の独立した"国"との意識はあった。
現在の中国はまだ当時の認識から脱却できないでいる。韓国も。北朝鮮は脱皮中か。

蔑称がアタマに付くことがあったのだろうか?。"小+日本"のような。若しあるのならば、
卑弥呼の"卑"、邪馬台国の"邪"が、蔑称の可能性は?。卑+巫女?、邪+馬台?。???
狗奴国は蔑称の塊ですが…。

当時、蔑称を意に介さず受け入れていたならば、"委奴国"。分裂し、1つは"委国→"伊都国"、もう一方は"奴国"と。
本家と総家みたいな?。

などと。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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Author:古荘英雄
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