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邪馬台国四国山上説は成り立たない

なぜだか

 一番人気の記事は四国山上説


ぼくの古代史ブログ記事の中で一番人気があった記事、

一番アクセス数が多かったのがこの「邪馬台国四国山上説はなりたたない」でした。


なぜだろうと不思議に思ったものです。

他にもいろいろ400記事くらい書いていて

四国についてはよく知らないので感想文程度の内容しか書いてもいませんから。

ブログ引っ越し前は、グーグルで邪馬台国四国と検索すると、

ぼくのブログが堂々一位になったりしてました。へえ!!って感じでの驚きでした。

引っ越し後もグーグル検索の1ページ目に出て来るのです。

他にも大国主や神武東征の謎や邪馬台国に絡んでの諸々があるにも関わらず・・・・・・


やはり邪馬台国四国説にはそうとう根強いファンがいるということでしょうか。

そしてきちんと論じられているものは案外すくないのかもしれません。

そもそもぼくのブログは九州と奈良について書いており、四国説はぜんぜん想定してませんし。


ちょっと思ったのは近畿も九州ももういじくりすぎて

新たな展開や発想はむずかしく

それだけに四国は思考の荒野のようにこれから反転する余地が多いにあるのかもしれない。


それで


邪馬台国四国説が脚光を浴びるのではないだろうか?


四国山地の広大な高台が高天原だという説もあります。

阿波こそ日本発祥の地で忌部氏こそキーであるという話もあります。

個人的にはピント来ませんが四国を想定してもろもろ考えるのは楽しいことです。
大国主も阿波にも妻がいました。
だから阿波説ならまだしもですが四国山上説というのはなかなかぴんと来ません。

以下はそのアクセスの多かった以前の記事です。

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ここからはずいぶんまえに他のブログでアップした時の内容そのままです。
まだ知識がほとんどなく、結構へんなことも言ってますがご勘弁を。
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なぜ四国山上説がなりたたないかというと。

1 米作をするための立地  絶対面積として農地が足りない。


2 狗奴国が小国すぎる。軍事的脅威にならない。



img20160716131155699431.jpg



3 地政学的に半島から遠すぎて魏の権威は軍事的抑止力にならない


上の地図の場合には九州も近畿も出雲も吉備もなんの役割も果たさず、

倭人世界は四国という島で完結してしまうのです。

いくらなんでもそれはないだろう?

そう思いました。


 それに四国のこの位置の国には魏の権威など関係ないだろう。

半島・大陸に近いときはじめて魏の権威は脅威となる。



この九州の平野を無視して豊後水道を超える。


そして四国の平野に上陸する。


世界の秘境、四国山地に登る。


そしてほとんど平野のない四国山地で人口50万人以上が暮らす。

そんな馬鹿な!!



邪馬台国阿波説


同じ四国でも邪馬台国阿波説ならば

まだわかる


四国の阿波は忌部氏の本拠地でもあったし。

大国主の妻の一人がいた場所でもあったし。


そして地理的にもいろんな役割がありそうだ。

しかしどうしても通路に思えてしまう。


こんな感じだろうか


 blog_import_5a8e3e6e03aa4.jpg 

中国地方の広島や岡山つまり

安芸や吉備の山あいのルートを歩くより

四国の北側を歩く方が歩きやすい。

瀬戸内海を船で行くならともかく

陸路ならば四国こそが古代世界の大通りだったのではないか

などと思えてしまう


blog_import_5a8e3e728704f.jpg 

邪馬台国の奈良にから

九州の投馬国や伊都国にいくときに

吉備と出雲連合が狗奴国であるならば(ちょっと飛びすぎですが)

そのルートは瀬戸内海も危なく

四国北岸を歩くしかない。

ここに四国の重要性が増す。

こうなると阿波は近畿に入る前の最後の平野として

出港の港でもあり

おおいに栄えたのではないかと思います。

しかし

この流れだと、卑弥呼は阿波ではなくて奈良にいる

そういうことになります 



もう一度四国山上説


山中にはほんとに平野がありませんね


村落共同体はいくらでもあったでしょうし、その証拠となる遺跡もあるでしょう。


しかしこの森林の中でどうやって50万人以上の人間が食べるのでしょうか?


世界史において国は大河の賜物です。(平野はたくさんあるが川がちょうどよく流れているところはそんなにない)


日本列島の地理的条件では国は平野の賜物です。(川は無限にあるがまとまった平野が少ない)


 米作にこれだけ不向きな土地が大勢力にならないだろうし、もしそこまでの勢力になったなら


後世においても四国の大名家は、たとえば長曾我部などはその本拠地が四国山地の中にいるほうが必然的だ。


四国全土を見れるし、ここに城があれば織田軍が上陸してもゲリラ戦ができる。


 


なにより、この地域に魏の権威が軍事的抑止力になるわけがない。軍事的抑止力として親魏倭王を必要としたのである。


これは敵国も魏のことをよく知っている必要がある。


そして何かあれば魏の大軍がやってくるのだということです。


北部九州でしかなりたたない抑止力と思います。日本列島の地理的条件で考えると。


まして四国山地となると関門海峡と豊後水道の向こうの島のさらに 山の中の国が、魏の権威を必要とすることはない。


 


四国山上説は軍事的見地がかけている。


ユニークで面白いが


食料確保という経済的見地もかけている。


国の配列の妙です。


それにあの理屈は九州山地でもほぼそのまま適応できるでしょう。


邪馬台国九州山上説





九州山地の真ん中の山中に邪馬台国があれば四国同様に、いやそれ以上に周辺は広大な平野があります。


福岡平野、筑紫平野・佐賀平野。熊本平野、鹿児島平野。宮崎平野、延岡平野、大分平野、中津宇佐平野、直方平野、長崎の平野などなど。


それらの平野に国々をはりつければいいのです。


 


上図をあてはめあえば


狗奴国は薩摩半島の平野ですよ。


宮崎が伊都国で、邪馬国は筑紫平野の山門です。


狗奴国が熊本平野です。鬼国は宇佐あたりです。


不弥国は延岡平野です。


同じように中心に山地があり周辺が平野だからこうなるのですね。


九州の地図をさらにひっくり返しても同様です。


そしたら博多湾が伊都国で唐津が不弥国で・・・・・・というように比定されるでしょう。


 


経済的・軍事的理由のほかに倭人の民族的理由があります。


倭人は海人です。韓地の南端は倭地です。


海で暮らしていたのであり、上陸した理由は米作のためです。


その根本が成り立たない。


確かに古代四国勢力はいくようにも存立したと思いますよ。


たぶん日本中どこでも古代にそれぞれの場所でそれなりの国はあった。


でも邪馬台国の場所を考えるとき


魏の軍事的抑止力を背景とした権威を必要とする地政学的位置か、頻繁に半島から使節がやってくる場所か、


これはやはり大事でしょう。


そして海洋民族倭人の根拠地は必ず日本海や対馬海峡に近くなる。




ただこういう地図をみると阿波に卑弥呼が住んでたような気がします。


 


こんな風に九州から船で南方面に10日行って

その経由四国に上陸して、一か月歩くと

阿波に着く。

まさに水行10日陸行1月。

阿波が邪馬台国なら成り立つなあと思います

そこが邪馬台国という四国説ならありかなあと思います。


しかし阿波まできたらもう少し足を延ばして奈良までくると

同じ文脈で水行陸行が解釈できますね。





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コメント

ふき

邪馬台国について
考古学の専門家様に対して失礼だとはおもいましたが。邪馬台国は四国説というのを拝見させて頂きましたのでコメントさせて頂きました。私も邪馬台国は四国以外に有り得ないと思います。理由は永久凍土から発見されるマンモスです。雪深い北国や雪の多い山などでは希に鹿や猪などが雪に埋もれ身動き出来なくなり雪溶け時期にマンモスと同じ姿勢、状態で発見される事があります、後はマンモスの胃袋にあった草なのですが、長くなりますのでサイトに載せてあります。繋げれば邪馬台国は四国以外に有り得ないと思います。
http://x11.peps.jp/futolugenin3/book/?guid=on&cn=9" rel="nofollow" target=_blank>http://x11.peps.jp/futolugenin3/book/?guid=on&cn=9

作者

Unknown
ぼくのブログの中でずっとベスト10入りしているのですが、邪馬台国四国説が根強い人気を持つ証拠でしょうか。
古代史の空白の地四国。淡路島からこないだ新たな銅鐸が発見されました。
しかし四国には古墳もない。記紀にもでてこない。
瀬戸内海側すらほとんど出てこない。
意図的な隠ぺいだろうか。
しかしながら邪馬台国が四国というのはいささか・・・・・であればもっと渡海するルートが詳細に記述されるはずだし、そもそも狗奴国も四国にあるというのは行き過ぎだ。

ゆう

Unknown
Facebookでシェアされていたので来ました。

ところで、
FloodMapというものがあります。
海面を上昇させたらどうなるのかという地図が見れます。
私は大阪なのですが、日本史で習った大阪平野が、大和朝廷成立時期にどういう形であったのか記憶に残ってます。
+9mほど海面を上昇させると似た地形になります。
これを規準に全国見てみると面白いです。

そもそも末盧国に上陸という点は確定なのでしょうか。
対馬海峡や海の神を祀るのは宗像さんの職掌の範囲なのではと思ったりもしますが。

あと林業の関係で行った事がある四国の山なのですが、山と言うには峻険すぎて、とても人が容易に行き来できる山ではないのです。

ともあれ、四国説。
面白い題材だと思うので参考にさせていただきます。

Unknown

Unknown
ありがとうございます。僕自身は九州説ですけでも。いろんなシュミレーションをして楽しんでます。
そうですか、四国の山は・・・・九州の山は低いです。

上利邦幸

邪馬台国までの行き方
筑紫の東、不弥国から南に舟で20日で投馬国にあたる。と、魏誌倭人伝にあります。筑紫が九州地方ですから不弥国は長門(山口)なります。南が東なら投馬国は丹波になり、不弥が二三なら23字ずれたところに東とあります。暗号なのです。丹波から南へ陸上を一ヶ月、海を10日で四国です。

上利邦幸

食糧と魏
食糧に関してはあわやひえを食べていたと思います。焼き畑です。こめは滅多にたべられません。蕎麦はいまでも四国の特産です。魏から卑弥呼のところにきた使者は難升米といい魏は食糧に困っていました。卑弥呼の鬼道は道教の元です。鬼門と言ったら東北で卑弥呼は機内に魏からの難民を受け入れました。ユーラシアの東北は日本です。銅鐸はロープにつないで海に沈め海底が砂か泥か石かわかるためのものです。日本では少ししか作られていません。大陸からもってこられました。銅鐸は上のほうに空気が抜ける穴と内側に泥や砂が付く段々があります。

上利邦幸

なぜ四国か
オチからいうと北イスラエル国の首都テレアビブから正確に東だったからです。緯度がいっしょです。聖書に東にいけと書いてあるのです。失われた十部族は日本にきました。

作者

Unknown
コメントありがとうございました。ぼくのブログは九州説であり、メインはそのことを書いてますがなぜかこの四国説についてが一番閲覧数が多いので愉快に思っていました。

それだけ四国は注目されているのだなと思います。阿波の忌部氏などいまでもいますしね。

Unknown

Unknown
残された地名を見れば四国説は納得だと思いますよ!
伊賀、奈良、大阪など元々徳島の地名だったようです。そして、実際に発見された徳島の古墳が日本最古のものらしく徳島の人達が近畿に移住していった流れらしいですね。

ジョン男爵

阿波の忌部氏
たしかにそのような考え方があります。忌部氏こそ建国のキーだとかも。
しかし地名だけで考えると圧倒的に九州説が強くなりますよね。ヤマト王権に対してでなく邪馬台国に対しての話ですから。

奈良や大阪が徳島=阿波といってもそれが邪馬台国と関係するかだと思います。


邪馬台国が九州にある場合、阿波から奈良への移住はなんの関係もなくなります。

ヤマト王権には関連深いでしょう。
しかし阿波と吉備の関係も考えると邪馬台国キビ説の方が説得力が強いのではないかいとか思います。

四国山上説とは違うけど

Unknown
私も阿波だと考えています。

ただ大杉氏の四国山上説とはちがいますね。

まず魏志倭人伝との記述の一致

邪馬台国の時代と重なる日本最古の前方後円墳、萩原2号墓に使われている水銀朱は魏があった狭西産の物が使われている魏と交易があったことを示している。
萩原1号墳墓はあきらかに高句麗の 影響があると思われる。石囲木棺に積石塚は、紀元前から高句麗の支配地域に有り、高句麗の墓制であり、萩原1号墳墓から出土した画文帯内行式神獣鏡は平壌から出土したものと完全に紋様が一致している。しかしこの時代、高句麗は魏、晋の支配下にあった。
また萩原墳墓群付近の大麻山周辺にある 阿王塚古墳
西山谷古墳群  天河別神社古墳群  宝幢寺古墳群
春日神社古墳群  諏訪神社古墳群  愛宕山古墳
蓮華谷古墳群  黒谷川郡頭遺跡 などおびただしい古墳があり
すべて発掘された鏡もすべて中国鏡。
これだけの古墳群があり都市遺跡がないというのはただ資金不足と発掘許可がおりずに発掘できないでいるだけ。


大和の古墳で使用されているのは阿波の若杉山遺跡のもの。かの高松塚、キトラ古墳も若杉山の水銀朱が使用されており、大和で中国産の朱が出土したことがない。

帯方郡から直線距離で短里計算で12000里である。

其の山、丹有りに相当する若杉山遺跡がある。邪馬台国時代の丹砂採掘遺跡は日本で唯一。

日本最大の弥生遺跡、矢野遺跡がある。
ただ発掘されたのは南環状道路の建設にともなった調査発掘にすぎないのです。

阿波より東に海を隔てて1000里で別の国がある。

天石別八倉比売神社の社伝によると、社殿裏の五角形の祭壇の下がアマテラスオオカミの古墳であり、そこに金印と一緒に埋葬したとある。
また倍塚が周辺に300基あり、殉葬と取ることができる。

近年になって発掘された古墳から女性の全身骨が発掘された、発掘された全身骨の頭部から胸部にかけて水銀朱が塗られていた、これも魏誌倭人伝の記述の通りである。
このような人骨も大和では皆無。

式内社、宅宮神社に古代より伝わる神代踊りの歌に、伯母子の宗女、壱予、御年十三にと歌われ、倭人伝の壱予の記述と一致する。

神山町神領に神に使える巫女、それが日巫女であり、アマテラスであると八倉比売神社の社伝に書かれていること。

日本書紀垂神天皇の条にある倭の国の魂を祀る式内社、倭大国魂神社があること、この神社は徳島県しかない。
その他に倭と付く神社が3社あり、すなわちここが倭ということ。

古代の海洋氏族といえば安曇氏や海部氏があげられるがこの氏族が本拠地としていたのが阿波である。
籠神社の海部宮司からお伺いした話だと
古代海部氏は忌部氏に仕えていたといっていた。


天照=卑弥呼だとすれば、伊勢神宮の大神主の度会氏は阿波忌部氏である。

豊受大神が台与だとすれば伊勢神宮の経典、神道五部書の中に豊受大神=オオゲツ姫であると書かれている。
このオオゲツ姫は古事記に4度も記載される
阿波の国魂であり阿波国そのものである。

邪馬台国を支えていくには強大な資源がなくてはならない、その時代の重要な資源といえば水銀朱と銅である。
それが阿波にはあった。その資源を交易品として海部氏などの海洋氏族が日本海側や朝鮮半島まで進出して交易を行っていた。
食料の問題を挙げているが奈良時代に書かれた文書によると奈良時代の食料生産高が日本で一番高かったのは阿波で、畿内の舟の入港数も阿波がずば抜けておおかった。

作者

ブログ内ランク
わたくしのブログの記事で毎日ベスト10が表示されますが、かれこれ二年弱書いている中でずうっと根強くベスト5あたりにいるのがこの四国山上説は成り立たないです。

キーワードとして四国というのは邪馬台国ファンの中で人気があるのかなと思いました。
四国説については基本的に賛同してないのですがこれを 機に造詣を深めたいと思います。

どこにあったという強いこだわりはありません。
ただ地勢的に有明海と筑紫平野の連合体と思っています。
しかし丹後から近江、奈良、尾張のラインは高度な勢力があったし、纏向遺跡の全国規模の土器の集まり具合はなにがしかの勢力があったことは間違いない。

これに四国を加えて考えるとますます日本古代史は楽しいですね。

Unknown

纏向遺跡について
石囲木槨と古墳内部の水銀朱に積石塚と共通点の多いホケノ山古墳と徳島県の萩原1号墓出土品はどちらも画文帯同向式神獣鏡。
また萩原1号墓もホケノ山古墳も徳島県産の青石が使用されており、水銀朱も徳島県の若杉山遺跡のもの。
これらのことからホケノ山古墳に阿波の勢力が関わったのは間違いなく、阿波が起源の古墳技術でしょう。
また535粒と大量の麻の種子が纏向遺跡から発掘され、畝傍山の忌部山遺跡と同様の高地性環濠集落は萩原墳墓群にもあり、発掘された土器類も阿波忌部氏の支配地域だった伊勢地方が大半を占めています。
祭祀のための物作り担当は忌部氏、大麻に初めて関わる氏族も忌部氏
これらのことからホケノ山古墳の埋葬者は忌部氏の可能性が高く天皇家の一大祭祀氏族である忌部氏が祭祀を司るなら、纏向遺跡は倭国最大の祭祀遺跡であって当然といえるでしょう。

神墓学者

Unknown
匿名で根拠も示さず、一言だけ適当なことを言っても無駄な話だ。

papua

Unknown
狗奴国というのは南東平野部を
ほぼ支配している国の上に
海人族ですから伊津面なのです
古事記では同族なのでいつかは
合流するべき近親者としての設定かと

作者

Unknown
コメントありがとうございます

Unknown

Unknown
倭人伝と記紀を照らし合わせて
更に大嘗祭のアラタエと
三種の御膳の事実を知れば
天皇の出自がわかります
日本のタブーですね

Unknown

Unknown
あと阿波国風土記関連も面白いですよ
濃厚すぎる古代史の闇です

フミちゃん

秘密は他にも
『日本で最初の天皇家は四国にあって、名前を姫氏という…』それはすごく納得いきますが、
邪馬台国は邪馬台国。
彼等は鯨面だったでしょ?潜水するからです。
邪馬台国の時代は、天武の日本国が成立する前だから、まだ倭国が白村江の戦いで滅びる前のこと。

作者

Re:秘密は他にも
コメントありがとうございます。
古代史において断定することは危険ですね。
可能性は無数だからその無数を想像する楽しさが一番です。
天皇は姫もあるかもしれないがアメ氏もあるし、耳氏もヌナカワ族もあるかもしれない。
それに天皇の前には大物主という名の王家
あったとしか思えないし。単純な洞穴ではなく、複雑な鍾乳洞デショウね。

作者より

遺跡は後追いになる傾向がありますね
面白い

安代

加茂宮の前遺跡
徳島県加茂宮の前遺跡は日本最大の鍛治工房遺跡の五斗長垣内遺跡に匹敵する規模です。
しかも五斗長垣内遺跡より100年ほどさかのぼるとされています。

つまり徳島県加茂宮の前遺跡の鉄器や水銀朱は畿内への供給地ではなかったことになります。

作者より

ありがとうございます
四国も面白いところだと思いますね

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よ~さく

阿波は熱い!
僕は徳島県の神社を調査している一般人です。
古代史も大好きで邪馬台国論争や清張・梅原・安吾などを読み漁りました、もう半世紀近くになります。色んな方の説に感服し疑問を持ち調べ直すことの繰り返しでした。ここ10年ほど「徳島県の神社を単独悉皆調査しよう!」という無謀な作業に取り組んでおります。千社以上はお参りできましたが、まだ千社以上残っております。自分のことをグダグダと書いてしまいましたが、徳島の神社を調べているとトテモ興味深いのです、記紀に現れる神をお祀りしているのですが、神名が社名であってそれらの神をお祀りしているのは徳島だけなどという神社が多々在るのです。近年、古代史をテーマにした講演会にも参加させてもらって自らの調査の肉付けをしています。参加している会はどれも〇〇阿波説ですが(笑)、少しずつ異なっています、どの会も盛会ですよ。何故、徳島県人は自分達の故郷の歴史に執着するのか?これは、我々が先人達から聞いている伝承や神社・地名を考えてみると長期にわたりある勢力の中心地であったのではないかと考えてるからです。こんな言葉が有ります「阿波で千年、京で千年」阿波では昔から言われてたようです。これも、諸先輩方が指摘されていますが「全国の皆さんが学んだ日本史は明治以降の学校教育によるものでまだ150年にもならず全て与えられたものです。阿波蜂須賀の徳島藩は300年ほど前に幕府から調査依頼を受けて(天皇陵の所在地等)国学史学に携わっていた藩士達が藩内の調査研究を続けてきた、考証の歴史が違う!」と。明治維新により「阿波国続風土記?」とでもいうべきものは発刊できませんでしたが、その1部は筑波大学図書館で所蔵されています。明治以降、幾多の〇〇阿波説やその擬きが発表されていますが、ほとんどがこの流れを汲む人やそれを学んだ人達です。熱いでしょう!西山2号墳(あえて墳)も学会から無視されてるようです、学者さんが触ると大怪我するんでしょうね。最近、加茂宮の前遺跡や若杉山遺跡の記事が新聞で踊っています。少しは歴史を遡ることはできたかもしれません、でも僕達にしたら当然の結果でもあります、徳島県は掘れば何か出ます!当県の場合、文化財に充てる資金があまりにも乏しいのです、矢野銅鐸は徳島南環状道路・加茂宮の前は那賀川堤防補修工事つまり国が事業体である場合だけ発掘調査をして(させてもらって)いるのです。僕が神社調査に行って土地の方にお話しを聴くと「ここは、掘り返したり家を建てたりしたらあかんのじゃ!浅めに畑するぐらいじゃ!県が言うには掘ったら何が出るかわからんぞぉちゅうんじゃ!」とか(-_-) まぁ、いつの日か真実を覆い隠せなくなって全てが現れる日が来るでしょう!それまで地道に神社を調べます。だいぶ長生きしないとその日を迎えられんなぁ!あと200年ぐらいかな?

古荘英雄

Re: 阿波は熱い!
邪馬台国九州説も実は内実は
宇佐、博多 糸島 鞍手 田川 行橋 大分 別府 宮崎
熊本 島原
とばらばらでして、それぞれの地域はどこも調べれば調べるほどいろいろありそうです
日本中がそうなってるみたいで
つまり日本の因縁はとても古いというこただろうと思います

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作者

Re: 水銀鉱山
邪馬台国に水銀鉱山があるとは一言も書かれていません。
倭には水銀鉱山があるという文脈です。
邪馬台国は、を主語にしてはほぼ何も書かれていないが、みな原文を読まずに錯誤の解釈をしています。
邪馬台国は倭の都のある国であり、倭の一部であり、倭人伝は邪馬台国伝ではなく倭人伝です。
四国に邪馬台国があるための交易網と軍事はなりたちません。
もし西日本を統一した邪馬台国が四国にあるなら後の世にも四国はもっと歴史にでるでしょう、戦略的に無価値な島だからのちの世にもでないわけです

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マノヒロユキ

眞野 裕幸
私は専門的な歴史研究をしているものでもありませんし、ただの建築関係のこの本に個人ですが、この本に出会い、歴史は経歴図からも読み解けるのではないかとも思いました。
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC-%E6%A1%82%E5%B7%9D-%E5%85%89%E5%92%8C-ebook/dp/B07BYVJ43L

眞野裕幸

この説も
https://ironna.jp/theme/965
この説も捨てきれない。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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