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邪馬台国の場所 問題点の整理 ふりかえり

邪馬台国の場所が特定できない理由を整理してみました。


 


1。壱岐からの上陸地点は、壱岐から最短距離の陸地ということで唐津湾。そこを末ろ国とするため、それまでと同じ縮尺で一〇〇〇里にならない。


2。しかし唐津湾から東南五〇〇里の方向はただの山奥になる。そもそも唐津湾から東南に歩く必然性などない


  もっといえば糸島が伊都国で博多湾が邪馬台国とするから、唐津湾と博多湾の間に国など不要だ。


 北部を抑えるための地政学的な重要ポイントとしての伊都国は、別に邪馬台国の位置でもいいわけでね。


     しかも伊都国は糸島とするため、距離も方向も倭人伝と違います。?????の世界。


3。奴国と不弥国を経て邪馬台国というので博多湾岸あたりにそれを見つけようとして、地政学的に


   ほぼ意味のない場所に国々が配置される。


4。その辺から水行20日水行10日、陸行1月、などとなるからいったいどこに何の用だ?ということになる


どれだけこれがめちゃくちゃか?ようするに邪馬台国からまずは歩いて30日次に船で30日でやっと不弥国といってる。


ということは邪馬台国から帯方郡まで三か月くらいかかる。このたびを行うくらいなら、独自の軍事行動で決着をつけるな。


5。    不弥国まで細かく記載して、そこから船で30日あるいて30日と言ってると解釈すると、不弥国まで二か月もかかる場所が邪馬台国。


    そんな遠くの場所は地理的に列島には想定できないし、


    たいていのとこに船でいける日本列島で、上陸して1月も歩く必然の場所など存在しない。


 


この五つの問題により、方向が違うから近畿だとか、四国だとか、そのままよめばジャワ島だとか、実は朝鮮半島だとか


九州説だと縮尺が壱岐から変わったとか、ウルトラC級の小技を繰り出して、辻褄を合わせます。


倭人伝の国々を構成しているのは人間です。地政学的に意味があり必然的なところに国や集落はできるのです。文明の基礎の基礎です。


国防上の視点を持つだけで、伊都国と不弥国の場所がはっきりします。


そして経済的な視点を持てば巨大な平野にしか邪馬台国はありようがないとわかります。


そして政治的には、世俗権力とは別に、神託を告げる神聖装置としての姫巫女がいると。つまり聖地にいるから女王は平野の近くの山の中と考えるのが地政学的な位置とりです。


そして後世にだって圧倒的な影響力を残したはずであり、その施設は残ってもおかしくない。(志賀島の港、大宰府)


 


邪馬台国というスーパーパワーがどこにあるか考えると候補地はそんなにはないのです。村をさがすのではない。


超大国をさがすのです。


1。経済大国の立地。


   当時の経済大国というのは何か。米の生産量です。生産量とは何か。米作のための広い農地があるということです。


   この時代は単にそういうことです。


  米作の農地が広いということは人口が多いということ。人口が多いということは兵隊が多いということ。土木事業や農作業をする労働力がおおいということ、です。つまり持てるものはますます豊かになるのですね。


2、軍事大国。抑止力をしっかりもっていること。


  陸軍が  広い平野を守るには周辺の重要拠点を抑えているということ(大宰府の伊都国 日田の不弥国)


 人口が多いこと。


 そして強力な海軍をもっていること。博多湾艦隊と有明海艦隊を持っていました。というかもともと海人族ですからね。倭人は。


  みんなそれを結構忘れてます。邪馬台国人=倭人=海人族です




クナコクといろいろあっても大陸といろいろ、あっても忘れていけないのは


     倭の中では最大の大国だったということ。だから経済的・軍事的に客観的にも最高である立地のはずです。


 たとえば宮崎の日向の地政学的立地を考えてください。




織田信長が京を抑えられたのは、尾張が本国だったからですよ。武田信玄や上杉信玄は京をおさえられないのと同じで、その他の勢力は親魏倭王には地理的になれない。


古代の対馬海峡と有明、五島、済州島、半島ルートを抑えない勢力は魏とは親しくなれない。倭のスーパーパワーにはなれない






 


3、先進国とつながっているということ(魏と末ろ国=志賀島でつながる)


 


4。政治的な知恵がある  連合のために姫巫女たちを神託を告げる神聖装置として、世俗権力と権威を分けた


   あたかも江戸幕府が江戸にあり朝廷が京にあったようなものです


5。だから女王の本拠地は、山奥にある。世俗国家邪馬台国は平野ですが女王の城は聖地でありしたがってギリシャのデルフォイがそうであるように人里離れた山の中にあった


6。女王の居住地と女王の駐在する都と、邪馬台国本土の領域と、邪馬台国の勢力範囲=邪馬台国連合の領域はそれぞれちがってあたりまえなのにすべてをごっちゃにする


  矢部村の八女津姫が卑弥呼でもいいのです。


たとえば、矢部村が聖地=八女津姫の本拠地。


八女津姫は普段は筑後川の流域の宮にいる=卑弥呼の城。


佐賀平野が邪馬台国=八女国本土。


邪馬台国連合の中核地は博多佐賀平野のすべて=邪馬台国+投馬国+不弥国+奴国+伊都国。


そして支配地は田辺郡の平野、飯塚の平野、京都郡の平野、中津宇佐平野。女王国の東の端は宇佐あたりとなる。


 


同じ例を三つみてみよう


 


北京は首都である。(宗教上の首都はないが)


その周辺の中原が中華本土である。


江南と黄海沿岸部をいれて中華連合の本体である


チベット、外モンゴル、ウイグルが中華の勢力の及ぶ範囲である


 


ロンドンがイギリスの首都である。イングランドがイギリスの本土である。


ブリテン島が連合王国の本土である。


勢力はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドである。


 


ローマ帝国。


首都はローマです。ローマ周辺がローマ本土です。そして中核となるのはラテン同盟であるはイタリア半島です。


その勢力範囲は地中海全域です。


 


そしてギリシャ。


聖地デルフォイの神託の場、デルフォイ。


アテネが中心都市で首都です。アテネ周辺がアテネ勢力の本土。スパルタいれてギリシャ半島がギリシャ連合です。


 


だいたい大国というのはどこも、首都、本土、本土を中核とした拡大本土、そして勢力範囲という順番に広がるのです。


卑弥呼のいた場所と、邪馬台国の首都と、邪馬台国本土、邪馬台国連合の中核地、連合の勢力範囲、これを分けないから、


あそこもここも邪馬台国となる。


そうでなければ、たとえばローマ帝国の皇帝の住む場所はどこかという議論をするときに、それはスペインのジブラルタ海峡あたりだとか、アルプス山脈のてっぺんだとか、ドイツの森の中だとかか、エルサレムだか、イタリア半島の先端かシチリア島、フェニキアのあったとこだとか、そんな風なことになる。


それらの場所はみなローマ帝国ですからね。間違いではない。


でも中核の場所はイタリア半島らしい、本土はその真ん中あたりらしい、そして居住地はローマであるらしい。


となるべきですよね。


どうも邪馬台国論争はそんな論理展開がないですね。 


 


この見地でぼくは邪馬台国を考えるべきだとおもいます


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コメント

天地無我

Unknown
>「 しかも伊都国は糸島とするため、距離も方向も倭人伝と違います。?????の世界。」
ですね。多くの見解は考察ナシで糸島を伊都国として、ここからの邪馬台国論の展開。全くの語呂合わせですね。それならばついでに、そのまま語呂合わせオンリーで…、などとも。
なぜか、ここから先は難しい論理で倭人伝を解釈し、地政学の見地などはほとんどナシでの各国比定。
と言うより、邪馬台国を先ず比定し、これに都合のよい倭人伝解釈を編み出しているのでしょうか?。
各 邪馬台国論に伊都国の比定に十分な考察があるともっと面白いと思うのですが…。

>「首都、本土、本土を中核とした拡大本土、そして勢力範囲という順番に広がるのです。」。国には広がり(面)がある。そして、聖都と政都。(若しかしたら商都も、記載されていない出先機関=行政府、軍事基地などもあったかも。)
重要なことと思います。

不弥人

Unknown
一番難しいのが陸行1月ですね。日本列島には一ヶ月歩く必然性のある地理的な環境はありません。まず船で近くまで行き、そこから歩くでしょう。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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